まるで、透明人間の視線を体験するかのようだ。
すなわち、そこに──たしかにいるのに演出家もカメラクルーの気配も感じさせないドキュメンタリーのスタイル。しかも無機的ではなく、ほんのりとした肌触りもじんわりと。
フレデリック・ワイズマン。現在91歳。この偉大な作家が製作・監督・編集・録音を手掛けた『ボストン市庁舎』。ランニングタイムが4時間半と聞けば、たじろいでも仕方ない。けれども果てしなく「透明人間の視線」を体験できるのだ!
そして観ながらあなたはきっと、世界と自分との関係性をしこたま考えることになる。
※この記事は『クイック・ジャパン』vol.157に掲載のコラムを転載したものです。
解釈は自由
いままでワイズマンは50年以上にわたり、刑務所、学校、警察、病院、裁判所、それから軍隊、競馬場、図書館、議会などアメリカの様々な施設や組織を撮りつづけてきた。説明的なナレーション、テロップ、音楽、インタビューなどを極力排除して。
今回はずばり、マサチューセッツ州のボストン市町舎。ワイズマンにとって地元であるが、6つの都市にこの映画の企画を提出し、唯一、ゴーサインを出したのがボストンだった。繰り返すが『救急救命24時』『警察密着24時』的なけたたましい演出とは対極にある。
また、『ドキュメント72時間』とも違う。手持ちカメラはよく動き、ひとときも目が離せない。市庁舎はフル回転で、たいてい地味な案件だ。
しかし当人にとってはどれも重要で死活問題。駐車違反のトラブルや退役軍人の家に巣食うネズミの駆除……。
これらがちょっといい話に転化し、だからと言って盛り上げもせず、市役所での同性カップルの結婚の儀もごくごく平温だ(マサチューセッツ州では20004年、アメリカで初めて同性婚が合法化された)。
ボストン・レッドソックスの祝勝パレード(撮影が行われた2018年、ワールドシリーズで優勝!)は、ハレの場だが、てことはまだトランプ政権下の日常で、その弊害、しわ寄せが市庁にも押し寄せており、静かに怒りを表明するのがマーティ・ウォルシュ市長だ。

1967年生まれの彼のルーツはアイルランド移民で、労働者階級出身。現在はなんとバイデン政権の労働長官である、この男を隠れ主人公として観ていけばよい。
さて本作は、なにを描いた映画なのか? 答えはむろん自由。解釈は、強制されない。が、少なくとも心になにかが灯るのは確実。おそらく「透明人間の視線」が写し出すものとは、ここ日本でも渇望されているもの──だと思う。
関連記事
-
-
長濱ねるが、嫌いだった自分を許せるようになるまで
FRISK:PR -
空気階段が大学中退ニート&バイトの苦しい日々を“転換”させた先に
FRISK:PR -
「奪われたものは取り返すつもりで生きていく」FINLANDSが4年ぶりのアルバムで伝える、新たな怒りと恥じらい
FINLANDS『HAS』:PR