映画『ブレイブ -群青戦記-』に見る俳優・三浦春馬──その眼の表情こそオリジナリティにあふれている

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文=相田冬二 編集=森田真規


2021年3月12日に公開された映画『ブレイブ -群青戦記-』。現代に生きる高校生たちが戦国時代、「桶狭間の戦い」の直前までタイムスリップしてしまい、仲間を助けるため織田信長の軍勢に立ち向かう、という物語だ。

この映画で高校生たちを導く松平元康(のちの徳川家康)を演じたのが、三浦春馬である。ここでは映画『ブレイブ -群青戦記-』での彼の演技から、“三浦春馬”という稀有な俳優の魅力を紐解いてゆく──。

静かにイマジネーションを喚起する

目にうつる全てのことはメッセージ。

映画『ブレイブ -群青戦記-』の三浦春馬を見て、ある名曲の決定的なフレーズが浮かんだ。三浦春馬はここで、のちに徳川家康となる松平元康を演じている。

予告編90秒【3.12 公開】映画『ブレイブ -群青戦記-』

スポーツ名門校の高校生たちが、戦国時代にタイムスリップ。それぞれのスポーツ能力を活かして、織田信長の軍と闘うことになるという奇想天外な物語だ。元康は、主人公を励まし、鼓舞し、導く役どころである。

だが、三浦は、ありきたりの戦国武将像を踏襲するわけでも、高校生を支え、牽引する大人のポジションをなぞるわけでもない。

確かに、新田真剣佑扮する主人公にとって、元康は頼りになる存在であり、戦国の世に生きる人にとっては正体不明でしかない自分たちを受容してくれる相手でもある。

映画のメインビジュアル。左上に写った松山ケンイチが演じるのは主人公たちと敵対する織田信長

だが、三浦のアプローチは、松平元康という人物を、物語をほどよくスムーズに運ぶための潤滑油にはしない。また、少年にとっての安易な理想にも収まらない。そうではなく、もっともっと、人間的なのだ。

キャラクターを、ストーリーに奉仕するコマにはしない。その人は確かに生きている、という実在感に形を与える。実在感とは、超然的なものではない。ゆらぎ、である。生命を燃やすというのは、炎を焚きつけることではなく、ロウソクの灯が風や気流によって揺れ動くことである。火が大きくなったり、小さくなったりする、その揺らめきに、松平元康の精神性を託した三浦春馬の演技はとても非凡なものだ。

初登場のシーンから、元康の慎重な性格は見て取れる。見たことのない異人でしかない少年少女たちを前に、部下を率いる武将として振る舞うが、威嚇の底には畏れが仕舞い込まれている。建前と深層の配分とコーディネートが繊細で、三浦は一瞬で、観客に興味を抱かせる。松平元康に、好奇心をくすぐられるのだ。

武将然としていないからこそ、元康は映画のモチベーションとなるし、観る者が作品をローリングしていくエキス足り得る。高度なテクニックがここでは駆使されている。が、これ見よがしな態度は一切ない。たとえば、ゆっくりと刀を抜く、そのありようだけで、静かにイマジネーションを喚起する。

だからこそ、主人公と元康との信頼関係の構築にも奥行きが生まれる。

作品全体をひとつ上級なものにするために捧げられた表現

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