日本社会のひとつの分水嶺となった1995年に誕生したアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』。
そのシリーズの完結編となる『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は2021年1月23日に公開を予定していたものの、新型コロナウイルスの「感染拡大の収束が最優先であると判断」され、1月14日に公開の再延期が発表された。
ここでは《ヱヴァンゲリヲン新劇場版》第3弾となる『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』を、現在の視点から捉え直したレビューをお届けします。
『:Q』は、早過ぎた。2020年以後にこそ必要な問いかけ
『:Q』は公開当時、賛否両論を巻き起こした。
私も頭を抱えたひとりだ。そのときの落胆を自分なりに振り返ってみると、『:破』があまりに凄まじい傑作だったため、見劣りがした、ということだったように思う。
『:破』は、新キャラ投入に加え、物語がテレビ版から完全に枝分かれし、パラレルワールドを形成していた。つまり、「もうひとつのエヴァ」の誕生だった。なぜ、「エヴァンゲリオン」ではなく「ヱヴァンゲリヲン」と表記されていたかの証明がそこにはあった。鮮やか過ぎる新展開であり、ネクストに向けての高揚感は大いに盛り上がった。
しかし、『:Q』は『:破』とはまるで違うテンションで繰り広げられ、観る者を唖然とさせた。何しろ、舞台がいきなり14年後に飛ぶのである。
アッパーからダウナーへ。昼から夜へ。春夏からいきなり冬へ。ファーストクラスの飛行機を乗り継いで旅をしていたのに、いきなり貨物船に乗せられたような落差=温度差があった。戸惑いと悪寒。いや、実際、ぴゅーぴゅーと風が吹く気温の低い描写も多かった。
屈指の人気キャラ、渚カヲルがついに登場、彼が中心のストーリーのはずなのに、なんだか、そんな気持ちにならない。あれ?あれれ?と混乱しているうちに終わってしまった、というのが正直なところだ。
「序破急」とは、能などに用いられる三部構成の物語骨法で、中国由来の「起承転結」とは大いに異なる。極めて日本的なものであり、「急」の部では亡霊や怪物が登場し、唐突に終わることも能では珍しくない。「起承転結」のような理路整然としたものではなく、ある意味、はちゃめちゃ、なんでもアリと言えばなんでもアリでもある。能の本質は、幽幻の美にある。
実は『:Q』のテクスチャは、幽幻そのものだった。『:急』ではなく『:Q』であり、完結はしていないのだが、「序破急」のニュアンスを最も汲んでいたのが『:Q』であった。言文一致。ただ、あまりにいきなりだったので面食らってしまった。私は一時期、能にハマっていたにもかかわらず、この真実に気づくまでに時間がかかった。
テレビ版では「最後の使徒」として現れた渚カヲルは、能における亡霊のような存在なのではないかと考えると、合点がいく。友情とも性愛とも違うかたちで、碇シンジに好意を寄せる渚カヲルは、もちろん人間ではない。
だが、使徒である、とか、綾波レイの同族であるとか、そうした背景よりも、物語を攪乱し、崩壊させ、破滅の淵から、蝋燭の火をゆらゆらさせる「能における亡霊」のような役割を持つキャラクターだと思うと、エヴァがなぜ日本人に愛されるのか、また、海外にも熱狂的な支持者がいるのかが理解できる。
では、渚カヲルは、誰の亡霊なのか。
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