黒沢清が贈る2020年の“ハッピーエンド”。映画『スパイの妻』が提示する男女の普遍

2020.10.16

夫は妻にある危険な<旅>を提案する

蒼井優と高橋一生が扮する夫婦は、新婚ではない。だが、ここで見つめられるふたりの道行きは、まさにハネムーンだ。とりわけ、妻のウキウキぶりはハンパない。新婚旅行どころか、婚前旅行かもしれない。さらに言えば、ひと組のカップルが体験する<初めての旅>と言えるかもしれない。

日本屈指の実力派俳優のふたりが夫婦役を演じた

神戸は、黒沢清の故郷。1940年の神戸を舞台に、この物語は繰り広げられる。1940年は、太平洋戦争勃発の前年だ。

貿易商、福原優作の妻、聡子は幼なじみで、今は神戸憲兵分隊本部で分隊長を務める津森泰治から、あることを知らされる。物資調達のため、満州に渡った夫が、ひとりの女性を日本に連れて帰っていたこと。そして、彼女が死んだこと。

大切な人を愛し、瀟洒(しょうしゃ)な洋館で何不自由なく暮らしていた聡子の幸せに、突然影が射す。

夫を愛し抜く聡子だが……

疑心。愛を妨げもすれば、むしろ火に油を注ぐこともある、この感情と感覚に囚われた妻は、夫に詰め寄り、思ってもみなかった告白をされる。

優作は、大きな秘密を抱えていた。そのことに打ちのめされながら、さらに聡子はそれだけが夫の真実ではないのではないかとの想いに幽閉される。

やがて、夫は、ある危険な<旅>を提案する。それは、優作が信じる正義を遂行するための<旅>だった。

聡子は、果てしない疑心と闘いながら、己の愛に底がないことを信じて、その<旅>に飛び込む。<旅>のおわりに待っていたものとは……。

ふたりの<旅>に待ち受けている結末とは?

聡子の完全な一人称映画ではないが、優作の真意は基本的に秘められ、主に妻の眼差しを通して夫の姿形は綴られる。だから、この作品は極上のロマンティシズムを薫(くゆ)らせる。

信じるということ。それを試すのは、疑心だ。疑心の先にあるのは、秘密の存在だ。

どんなに愛し合っている夫婦にだって、秘密はある。秘密に、触れるか、触れないか。そこが大きな分かれ目になる。

その<旅>を受け入れることが、聡子の愛の証明だった。あなたを信じます、という夫への告白だった。そう。真実はどこにあるのかはわからないが、妻は夫の告白に対して、告白で応えたのである。

あふれ出る蒼井優。抑制の高橋一生。対象的な佇まいのふたり

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