マーブル状にミックスされたドキュメンタリー性とリアリティ
本当なら、『アボカドの固さ』の(特に主演の前原の)「ここがイタい!」とか、そういったことを語ったほうがいいのかもしれない。けれども、いち映画ファンとしてここで強調しておきたいのは、城真也という新たな才能、彼の鋭敏な感覚のことだ。
まず、その画面の力強さは特筆に値する。
ブレブレの手持ちカメラでリアリティやエモさを仮構することが良くも悪くも常套句になっている多くのインディ映画に対して、本作の画面からはカメラをフィックスして撮る潔さと、美しい画を求める意志が見て取れる。端正な構図や、まるで黒沢清の映画のようなロングショットは、「失恋した男の日々」というウェットな物語やそれを演じる俳優たちを適度な距離感で突き放し、ドライな目線で捉えてみせている。
また、演出も巧みだ。
本作のパンフレットのために行った城へのインタビューで教えてくれたのは、彼が濱口竜介監督の演出方法などを参考にし、フラットな「本読み」をベースにした演出を作り上げていったことだった。劇的な振る舞いを俳優に求めず、ただセリフを読み上げるだけのような演技を引き出し、さらに(この映画を特徴づけている)長回しを多用することによって、『アボカドの固さ』は得も言われぬリアリティを獲得している。
監督の演出のもとで作り上げられた演技をカメラで撮る、という虚構性と、カメラの前で生身の人間が動き、話している(さらに、前原の実体験をもとに書かれている脚本)、という否定し得ないドキュメンタリー性とリアリティ。『アボカドの固さ』は、映画の本質的な部分にあるこのふたつの要素をマーブル状にミックスして観客の目の前に差し出す。
『アボカドの固さ』における現実味と虚構性のバランスについてもうひとつ。
演出においてはとにかくフィクション性を排していった、と城は明言している。一方で本作には、そのリアリティを突き崩す決定的なシーンが二度挿入される。突如訪れるそのファンタジックな場面は、「前原くん、イタいなあ」と思いながら物語に没入し切っている観客に「これは映画ですよ」という虚構性を改めて自覚させる気つけ薬のような効用を持っている。
丹念にリアリティを作り上げていく演出をしながらも、それを自ら否定するかのように夢や幻であると明示し、フィクションであると見せつけること。現在Vimeoで無料公開されている、城の前作にあたる中編映画『さようなら、ごくろうさん』にも似たシーンがあることからもわかるように、それは城の(どこかテオ・アンゲロプロス的な)作家性なのかもしれない。
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