「今ここの不安と閉塞感を生き切り、息を継いで行くしかない」という事実
尹さんのルーツは朝鮮半島にある。祖父母は植民地支配下の朝鮮半島から別々に日本に渡ってきて京都に居を構えた。父親は水を飲んで腹を膨らませるような生活から、一代で会社を興して神戸の高級住宅街に豪邸を建てた。しかし、成功しても「私たち」と「そうでないもの」を分ける力は容赦なかった。尹さんにも就職時や家を借りる際に「外国籍」であることが立ち塞がった。
その分ける力は「私たち」である側にいるときには意識されないが、「そうでないもの」とされた側からははっきりよく見える。そして、「そうでないもの」とされた側に背負わされた枷は、いくら「私たち」からは理不尽で大きなものに見えても、生まれたときからあるもので、それと共に人生を送らねばならず、「特筆大書」すべきものではないくらい当たり前の前提となっていることにおののく。

さらに読み進むにつれ「そうでないもの」とされる理由は「国籍」だけでなく、貧困、アウトローであること、戦争の敗者、障害、地方と中央の差など、さまざまなものがあると気づく。それらは同時代を生きていても「私たち」にいる側からは見えないものだ。しかし、この分断はこの国にずっとあったものであり、今もさまざまなことを理由に生み出されているものだと、気づかされる。
尹さんは自身の記憶を綴ることを通じ、「そうでないもの」とされた人たちの息遣いも伝える。その息遣いの中にあるのは、痛みや傷や失意だけではない。「私たち」から切り落とされたものや、「私たち」のルールには当てはまらないものの中にある豊かさもある。
それらにはもうひとつの道を照らし、息苦しい世界の中で思考を拓いてくれそうな気配がある。その息遣いに触れるには旅に出なければならないのだろうか、あるいは故郷に根を生やさなければならないのだろうか。
尹さんはそのどちらでもないという。異郷でも故郷でもどちらであろうと、私たちが今ここで生きている事実は変わらず、「今ここの不安と閉塞感を生き切り、息を継いで行くしかない」のだと。
今いる場所がつまらないとよその世界を夢見たり、悲嘆にくれたり憤ったりしていてはその息遣いは聞こえない。まさに今自分が立っているその足元にも、そんな息遣いが眠っているのかもしれないのだ。
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