人が町を作り、町が人を作る。おもしろい町には、必ず「サロン」がある

2020.8.31

新居格 評論家で無政府主義者、趣味は散歩とカフェめぐりの元杉並区長

「サロン」は新しい才能の発掘の場でもあったのだ。

本書の「ライブハウスが乱立した『吉祥寺』」では1966年、野口伊織が作った「ファンキー」、ジャズ評論の寺島靖国が一九七〇年にオープンしたジャズ喫茶「メグ」、そして時同じくてライブハウス「ぐゎらん堂」がオープンする。

「ぐゎらん堂」に集まったのは、ミュージシャンやそのファンたちだけではなかった。詩人、作家、画家、編集者、漫画家、写真家、映像作家、演劇人、舞踏家、落語家とその卵たちが、続々と結集したという。

『伝説の「サロン」はいかにして生まれたのか コニュニティという『文化装置』増淵敏之/イースト・プレス/2020年

詩人の金子光晴、フォークシンガーの高田渡もその常連だった。

「ぐゎらん堂」の正式名称は「BLUES HALL/武蔵野火薬庫 ぐゎらん堂」。1985年に閉店した。世代やジャンルの垣根を越えて、人が集まる場所――同時代の表現者と出会うことで、行き詰まったときに何かしらのヒントをもらったり、自分に足りないものに気づいたりする。それもまた「文化装置」の力と言えよう

菊盛英夫著『文学カフェ ブルジョワ文化の社交場』(中公新書、1980年)はヨーロッパのカフェ、コーヒーハウスに関する膨大な文献を丹念に調べた労作(現在品切れ)だ。この本のあとがきでは著者自身が見聞きした日本の「文学カフェ」の話も書いている。

昭和の初め、「コロンバン」がまだ銀座の裏通りに面した六丁目角にあった頃、そこから数軒四丁目寄りに、テラス・カフェの類似の別店を出していた。そこには真昼間から新居格、高田保、矢野目源一らがとぐろを巻いていた。

『文学カフェ ブルジョワ文化の社交場』菊盛英夫/中公新書/1980年

新居格(にい・いたる)は戦後の杉並区長にもなった評論家で大正期から高円寺に住んでいた。趣味は散歩とカフェめぐり。「モボ」「モガ」などの流行語を作った。無政府主義者で「サロン・アナキスト」と言われていた。彼は生活協同組合(生協)の運動にも熱心で「相互扶助」を理想とする社会を目指していた人物でもある。

ちなみに高田保は劇作家にしてコラムニスト、矢野目源一は詩人で翻訳家――いずれも一時代を築いたかどうかはさておき、古書業界では今なお人気の作家である。

人が町を作り、町が人を作る。おもしろい町には、必ず「サロン」がある。ユニークな場所に出くわす運、見つけようとする好奇心もある種の才能といっていい。

ひとりで地道に努力する時間も大切だが、誰とも会わずに部屋にこもりつづけていると、自分が何をやっているのか、どこに向かっているのかわからなくなる。

私が深夜ふらっと近所の飲み屋に出かけたくなるのもそういうときだ。

今の時代にも町のどこかに、まだ知られていない将来「伝説の『サロン』」になる場所があるかもしれませんよ。

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