「自粛」と言わず「自宅充電」と呼ぶ。今の最善手とは(荻原魚雷)

2020.4.9

文=荻原魚雷 編集=森山裕之


デビュー作『古本暮らし』以来、古本や身のまわりの生活について等身大の言葉を綴り、多くの読者を魅了している文筆家・荻原魚雷。高円寺の街から、酒場から、部屋から、世界を読む「半隠居遅報」。

今年の初めには想像もしていなかった今現在の日々。日常と非常時について、不要不急の用事について、そして今打つべき最善手について、山田風太郎の著作を片手に考える。

したくないことはしない日々

2020年の正月――まさか3カ月後に今みたいなことになっているとは思いもしなかった。3カ月先のことすらわからないのだから、1年後のことはもっとわからない。

4月以降、ほとんどのスケジュールが白紙だ。少し前まで予定どおりに物事を進めるために四苦八苦していたのが、嘘みたいだ。

わたしは明日の予定が何もない暮らしに憧れていた。今はこんなはずではなかったという気分だ。

山田風太郎著『人間万事嘘ばっかり』(ちくま文庫)に「したくないことはしない」という随筆がある。

山田風太郎『人間万事嘘ばっかり』(ちくま文庫)

父親を5歳、母親を14歳のときに亡くした山田風太郎は「暗愁の時代」という10代を過ごした。しかし20代以降は平穏で幸福な人生になったという。

それは逆境の中にあって、私が「したくないことはしない」というやり方で通してきたことだ。

一見傲慢なようだが、反対だ。「やりたいことをやる」という人々のまねはとうていできないから、「せめてやりたくないことはやらない」という最低の防衛線を考えたにすぎない。

山田風太郎『人間万事嘘ばっかり』(ちくま文庫)

わたしもやりたいことをやるよりも、やりたくないことをやらないほうが性に合っている。焦ってもしかたがない。焦るくらいなら何もしないでぼーっとしていたい。

「そんな奴ばかりになったら世の中は回らないんだよ」

ごもっとも。医療関係者や防災に関わる仕事をしている人が「したくないことはしない」なんてことをいえば「寝言は寝ていえ」と叱られるだろう。しかし今自分が頑張ったところで、いろいろな人の邪魔になりかねない。

話は変わるが、先日、五十肩になった。五十歳になった途端、五十肩になるわたしは律義な人間なのかもしれない。ちょっと左手を動かすだけで痛い。服の脱ぎ着もままならない。簡単な日常の作業すら、思うようにできない状況にある。寝ることさえ四苦八苦。こんなときにこんなことになるなんてついていない――と思ったのだが、期せずして不要不急の外出を控える結果になった。

何事も長期戦だと中年のおっさんは考える。おっさんのポンコツな肉体はストレスと疲労に弱い。

毎日のように夜になると「飲みに行きたい」という誘惑にかられる。

「深夜の閉店まぎわの客の少ない時間なら大丈夫なんじゃないかなあ」

ところが五十肩のおかげで迷いが消えた。アルコールが入ると痛め止めの薬が効かない。無理は禁物。今は何もできなくてもよしと思えるようになった。痛みがちょっと軽くなるだけでも幸せだ。

世の中の用事の大半は不要不急

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荻原魚雷

(おぎはら・ぎょらい)1969年三重県鈴鹿市生まれ。1989年からライターとして書評やコラムを執筆。著書に『本と怠け者』(ちくま文庫)、『閑な読書人』(晶文社)、『古書古書話』(本の雑誌社)、編著に『吉行淳之介 ベスト・エッセイ』(ちくま文庫)、梅崎春生『怠惰の美徳』(中公文庫)などがある。毎日新聞..

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