新生『赤鬼』に野田秀樹が託したもの。対話が欠如した世界で描かれる“私たちの日常”

2020.8.1

対話が欠如した現代に上演される『赤鬼』

本作に見られるテーマは、非常にタイムリーなものと思えるが、野田曰く、そもそもコロナ禍にかかわらず『赤鬼』を上演する予定であったらしい。確かに、偏見や差別というものは、常に私たちの生活の周縁に蔓延しているものだ。

現在のコロナ禍でも、ひとたびウワサが立てばそれに尾ひれがついて伝播し、私たちはここ数カ月、電波を介した言葉の怖さに右往左往している。そして同時に、コンプライアンスの厳しさもあって、安易な発言は慎まなければならない世の中にもなっている。たとえば、ある関係性によっては通じる冗談でも、周囲の環境や、受け手の心理状態によっては危険な言葉と化すことがある。ではそこで自粛し、発されなかった言葉はどこへ向かうのか。それは発信者の中で姿を変えて、宛先が曖昧なまま、ネット上をさまよっていたりする。その結果、誹謗中傷などが横行しているのではないだろうか。

『赤鬼』作・演出:野田秀樹/2020年/東京芸術劇場シアターイースト/Aチーム/撮影:篠山紀信

本作において、得体の知れない赤鬼との「対話」を試みる、“あの女”に対する村人たちの反応は、私たちの社会において「自粛警察」というカタチで姿を現したように思う。ネガティブな意味での「連帯」は、村八分というものさえ生み出しかねない。目に見えないコロナと、匿名だろうが実名だろうがそこには実体のない、目に見えない者によるSNS上での言葉に怯える私たち。

他者のある一面を見ただけで、理解することなどできはしない。そこには、やはり「対話」が必要である。対話をしようとする姿勢が必要なのである。SNS上で声を上げることも重要だが、そこに対話は生まれていないのではないか。他人の独り言(ツイート)を耳に(目に)しただけで、コミュニケートできるわけがない。村人(差別者)は私たちであり、同時に、赤鬼(被差別者)もまた私たちである。「対話」が重要な現代において、今こそ本作は大きな意味を持っている。

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