ザ・ブルーハーツ「人にやさしく」が2020年に響く理由。映画『君が世界のはじまり』が更新する“青春”
松本穂香主演、ふくだももこ監督の実写映画『君が世界のはじまり』が、7月31日から全国の映画館で公開された。松本演じる「えん」をはじめ、閉塞感漂う大阪の郊外で暮らす6人の高校生の日常が、ある凄惨な事件と前後して絡み合っていく様子を描いた青春群像劇となっている。
原作は、ふくだ監督自ら執筆した「えん」「ブルーハーツを聴いた夜、君とキスしてさようなら」というふたつの小説で、それを『リンダ リンダ リンダ』(2005年)、『マイ・バック・ページ』(2011年)を手がけた脚本家・向井康介がひとつの物語として再構築したもの。
原作小説のタイトルに名前があるように、劇中ではザ・ブルーハーツの代名詞的名曲「人にやさしく」がフィーチャーされているのが特徴だ。この曲をガイドラインに、本作に込められた思春期の無垢なエネルギーに迫る。
「気が狂いそう」な思春期の少年少女
「気が狂いそう」という独白で幕が開き、「ガンバレ!」というエールで締めくくる――1995年に解散したザ・ブルーハーツが「人にやさしく」という曲に込めた、鮮烈な絶望と希望のコントラスト。それは、楽曲のリリースから33年(※厳密には、甲本ヒロトがそれ以前に所属していたモッズバンド、ザ・コーツ時代に「がんばれのうた」として誕生)を経ても不変である。胸の内でそう思っていても、「気が狂いそう」となかなか口に出すのは難しいし、「ガンバレ!」と他者を励ますことだって簡単ではない。だが、初期衝動をそのまま形にしたようなパンク・ロックの躍動感に乗せて、ザ・ブルーハーツはその思いをズバッと代弁してくれたのだ。
『君が世界のはじまり』では、6人の高校生の、平凡に見えて「気が狂いそう」な日々にスポットが当てられている。家庭の事情、恋愛模様、暮らしている街への拒絶……内容や事態の大小は違えど、彼・彼女たちにとって出口の見えないシビアな問題が山積しており、ちょっとしたきっかけで自暴自棄になってしまうような状況に追いやられている。しかもそれは、学校生活の中ではよく見えないし、クラスメイトに相談できる類のものでもない、極私的な内容であるのが語られる。
映像は、松本穂香演じる憂いのある優等生「えん」と、中田青渚演じる落第生だが天衣無縫な性格が周囲を惹きつける「琴子」、琴子に恋するえんのクラスメイト「岡田」らのやり取りを、関西弁ならではの軽妙なグルーヴを生かして切り取っていく。
一方で、閉店の噂がある寂れたショッピングモールや工場地帯の無機質な貯蔵タンクがところどころに映し込まれ、彼らの閉塞感の象徴として示される。さらに、ザ・ブルーハーツが好きという共通点から惹かれ合い、やけっぱちの性愛に溺れていく「純」と「伊尾」、琴子がひと目惚れする「業平(なりひら)」らの厳しい家庭環境が掘り下げられるなかで、映像に刻まれる閉塞感も爆発寸前まで膨らみ、物語の転機でありピークともなる凄惨な事件へとつながっていく。
それまでえんを媒介にゆるやかに連動していたこれらのエピソードが、この事件を境に集約されて終盤になだれ込むダイナミックな展開こそ作品の醍醐味であり、ミステリーテイストになっているのも特徴だ。ふたつの小説をひとつに再構築したことによるよい意味での歪(いびつ)さが、この飛躍を生み出していると言っても過言ではないだろう。
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