不吉霊二『あばよ〜ベイビーイッツユー〜』に見る「新たなヘタウマの息吹」
1997年生まれの新星、不吉霊二の商業出版デビュー作『あばよ〜ベイビーイッツユー〜』。漫画評論家の足立守正さんが、「最先端なのに」、「ノスタルジーを感じる」という本作の魅力を綴った。
※本記事は、2020年4月25日に発売された『クイック・ジャパン』vol.149掲載のコラムを転載したものです。
時間も理屈も、さよなら、あばよ。
アメリカに戦争で負けて20年ちょっと、でもアメリカから『スター・ウォーズ』が来るにはまだちょっとのころ。俺は幼児で、大人に連れられ新宿や横浜の地べたを見つめて歩くのが楽しかった。都会の地べたでは、今では信じられないものが売られていた。トランプ手品のタネとか、蛍光色に塗られた雄ヒヨコとか、熱で変形させたコカ・コーラ瓶とか。色紙を綴じた自作の詩集を売るお姉さんもいた(それが何かわからず、神社で売ってる護符だと思っていた)。
道にありつつ道から外れたそれらはカラフルで美しく、漠然とアメリカっぽく、その感じはなんと言うか、さしずめ不吉霊二のマンガみたいな感じ。不吉霊二に「Hipster」というキャッチをつけたのは担当編集者か。乱暴だけどイカしたアメリカっぽさを指す「ヒップ」の響きは、なぜかしっくりきた。アメリカ的な要素はまったくないのにね。でも、日本独自のアメリカというものはあるのだ。
『あばよ〜ベイビーイッツユー〜』は、自主制作の『ぜ〜んぶ!不吉霊二』を除けば、不吉霊二のデビュー作となる。抑制も、屈託も、直線も、筆記具へのこだわりもない、持ち前の自由な作風には、時間の感覚もない。最先端なのに、母親の学生時代のノートから発見されたようなノスタルジーもある。
実際に本作は、時代を前後しながら、その時代ならではの風俗が描かれる。と思いきや時代考証があやふや。それでもいつしか、読者はラメ入りのマドラーでくるくるかき混ぜられ、苦くて甘くてふざけた色のカクテルの渦の中へ。
第1話の「夢でバッタリ」と最終話「スプラッシュ」という太いエピソードを、幾つもの幕間で整える、意外にも丈夫な造り。だが最大の魅力は、よそ見によぎる風景と、耳に残る無駄話の断片の集積だ。特に第1話の、仲間たちとフードコートからスーパーに移動、食材を調達して鍋を囲んでワイワイするに至る、せつない程に楽しさしかない一部始終を、幻視の中から幻視する場面、掴まれた。心地よいノイズさえ聴こえるようだ。失礼ながら、こんな絵がこんなにきらめくとは。
湯村輝彦がアメリカの大衆図像をクラッシュして自由に再構築した側面もある「ヘタウマ」も、日本独自のアメリカだが、その重要人物・渡辺和博の影響は、不吉霊二にあるのかな。ヤシの木とバイク、恋人たちと広島弁、そして魚介類。重なる符号に、ハート柄のファンシー仕様でリニューアルされた、新たなヘタウマの息吹を覚える。
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