「志村は死なないの」志村けん追悼番組での高木ブーに“考えをひっくり返された”
テレビの追悼番組に「乱暴さ」を感じ、「好きでなかった」という電柱理論さんは、志村けん追悼番組で高木ブーのコメントを聞いたとき、追悼番組の持つ尊い役割に気づかされたという。
※本記事は、2020年4月25日に発売された『クイック・ジャパン』vol.149掲載のコラムを転載したものです。
追悼番組を見るということ
桜隠しとは、咲いている桜の上に雪が積もることを表す季語であり、東京でいえば30年ぶりにそんなことが起きた日の夜に、ひとりの偉大なるコメディアンがひっそりと息を引き取ったという事実は、あまりに収まりがよくて、まるで作りもののようで、そんな一文が冒頭に書かれた小説を見つけたら、あらすじも読まずに買ってしまうだろう。
志村けんが逝去したが、この場で語りたいことは、「柄本明との芸者コントのような、だらだらとした、でもリアリティに満ちた会話劇こそがコントの終着点」、「ひとみばあさんのコントは静のフリが効いているから、志村の高い身体能力から繰り出される動の笑いが他のどのコントよりも映える」などといった志村けんの笑いについてではない。ましてや、音楽への造詣の深さや、TVで女性の胸を見せていたことの正しくなさの話でもない。今はどんなに重厚な考察や的確な批評を重ねたとしても、悼むことから離れてしまうのだから、ため息をこぼすだけだ。
フジテレビで放送された志村けんの追悼特別番組を見た。斜に構えた性格と過剰な自意識、さらには故人への評価を単純化してしまうような乱暴さが見え隠れして、追悼番組が好きではなかったのだが、そんなこじれた考えは、高木ブーによってひっくり返された。子供のころに雷様のコントを見てはダメさに笑っていた、番組でも「久々に声聞いたな」と加藤茶につっこまれていた、あの高木ブーである。高木ブーは、番組の最後にこうコメントした。
「決めたの。決めました。46年だよね。ドリフターズとして、志村と僕らといっしょにやってた人間って、ちょっと一般の方と違うんだよね。僕らはね。だから、志村は死なないの。ずっと生きてる」そう聞いた瞬間に、あることを理解した。追悼番組の視聴者は、自分でも思っていた以上に、亡くなった有名人にまつわる記憶があることに気づく。それには、番組の合間に流れていたCM、当時の実家の雰囲気、感想を言い合った教室、初めてのライブの帰り道のような個人的な思い出も含まれる。追悼番組を見ることは、時代をなぞることであり、そうすることでその人を失った寂しさはゆっくりと「あの人はまだ自分の中で生きている」に変換されていく。追悼番組にはそんな役割もあったのだ。
母は、笑い話を聞くとよく、「志村の世界だね」と言っていた。おそらくこれからも言うだろう。志村の世界は、これからも生きつづけるのである。
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