東出昌大、“諦め”という再出発点にたどり着くまで「僕はもうあんまり考えないんです」:人生相談連載「赤信号を渡ってしまう夜に」

取材・文=安里和哲 撮影(TOP画像)=西村 満  撮影(本文中)=長野竜成 編集=菅原史稀


この人生相談連載「赤信号を渡ってしまう夜に」では、価値観が流動化し対話が難しくなった現代に「こんな時代だからこそ、もっと話したほうがいい」と語る俳優・東出昌大がお悩みを読者から募集し、応答していく。

今回は、発達障害と自分らしさの間での揺らぐ相談者に、本当の多様性を説き、提案をする。

そして甲斐性のないパートナーを持ち、別の男性に惹かれていると語る女性には、意外(?)な応答をする。

【連載】赤信号を渡ってしまう夜に(東出昌大)記事一覧

#1:「大人ってちょっとずつ、建前のルールを破る」
#2:「仲よくなりたい相手には、利益を与える必要がある」
#3:“推し活”に思うこと「でも、好きになっちゃったらしょうがない」
#4:濱口竜介監督に伝えた「僕、この気持ちはわかりません」──映画に“正しさ”を求めるべきか?
#5:東出昌大のタバコ論と“意識低い系”でいたい理由
#6:東出昌大が考える“夫婦間のセックスレス”問題
#7:東出昌大「この先、生きていけなくね?」──そんなとき“救い”になった2冊とその理由
#8:東出昌大が考える“愛”の定義「『好き』という気持ちは、恋愛だけじゃない」

自分の納得できる自分でいたい

Letter No.18
社会人5年目です。学生の時分にADHDの診断を受け、以来薬を飲んだり飲まなかったりしています。

薬を飲まないと、優先順位づけとそれに基づいた行動がうまくとれず、初動が遅かったり締め切りを守れないなど社会人として正しくない行動をとってしまいます。薬を飲むとそれらが抑制され、“頑張ればできる”状態になります。

ただ、ここに迷いがあります。社会人としての正しさ/自分としての正しさの間で揺れてしまうのです。社会人としては当然、薬を飲んだ状態の方がよいのですが、感覚的にそれを「本来の自分では ない≒自分にとって正しくない状態である」と感じてしまいます。薬を飲んだ時の自分が「いいけど、嫌いな」だとすると、薬を飲んでいないときの自分は「ダメだけど、好きな奴」という感じです。

好きな奴でいたいと思う一方、ダメなので他者からよい評価は受けられず、そんな自分を嫌いになることがあります。他者の目を気にせず、絶対的な基準に基づいて生きればいいのかもしれませんが、それができません(東出さんは紆余曲折を経て、絶対的な基準を手に入れたように、自分からは見えます)。

長々書いてしまい恐縮ですが、「いいけど嫌いな自分/ダメだけど好きな自分」があったとき、東出さんならどう向き合うかということと、絶対的な基準を手に入れるためにできること(もしあれば)を伺いたいです。

こういう悩みを持っている人は多いと思うんですよね。昔だったら個性で済んでいたことが、病気や障害だとみなされてしまう。もちろんそれによって問題や悩みに対処できて助かっている人もたくさんいる。けれど当然その弊害も出てきたと。

僕は、相談者さんに「こうしたほうがいいよ」と言うことはできません。ただ僕がそう言うだろうと見越して、「東出さんならどう向き合うか」と聞いてくれてますね(笑)。だからあくまでも「僕だったら」ということで話すと、やはり薬を飲まないで「ダメだけどこれが自分」だと思える生き方を選びます。もちろん社会で生きる上では、リスクが伴うだろうけど。

相談者さんはしきりに「社会人として」とおっしゃっていますが、おそらく社会に対して薄ら寒さを感じているんじゃないかな。どうだろう。僕が感じてるだけかな。もしそうだとしたら、そんな社会にわざわざ適応する必要ってないんじゃないかな。

多様性の時代だっていわれるようになって久しいですが、実際の社会はあらぬ方向に行っている気がしてなりません。僕は以前から、落語の与太郎じゃないけど、「ダメなヤツでも存在してていいじゃない」っていう態度こそが多様性だと思ってます。でもそういう人間に対する厳しさって増す一方じゃないですか。

ダメなヤツどころか、一度でもダメな言動をした人は徹底的に叩かれる社会です。しかも世間は叩いたことすらすぐに忘れてしまう。

そうですね。だから僕だったら好きな自分を守るかな。こんなしょうもない社会なんて無責任に放り出して、自分の好きなように生きて、そんな自分を好いてくれる人たちと生きたい。

そりゃお金は稼げなくなるかもしんないけど、嫌いな自分で社会に認められるぐらいなら、爪弾きにされても自分の納得できる自分でいたい。僕だったらですけどね。

「諦めから出発する」という考え方

相談者は「東出さんは紆余曲折を経て絶対的な基準を手に入れたように見える」とも言ってます。

いやいや、ないですよ! それってもはや解脱(げだつ)じゃないですか(笑)。もし本当に「絶対的な基準を手に入れているように見える」んだとしたら、それは僕がもう諦めているからじゃないか。

突き放しているように聞こえてしまったら申し訳ないんですが、相談者さんが今ふたつの道で悩んでいるのは、ある意味幸せだと思うんです。どっちの世界線を選ぶのも、自分次第ってことだから。

でも僕はいろいろあって進退窮(きわ)まって、選んでいる余裕すらなかった。変化せざるを得ないし、決断せざるを得ない。どんなふうに生きていこう、じゃなくて、どうすれば生き抜けるんだろうという状況だったんです。選択肢はもうない、そんな諦めから再出発したから、僕は人よりも悩まないんだと思います。

あきらめるっていっても、何もネガティブなニュアンスではないですよね。

そうそう。仏教で「諦める」って「明らめる」要するに「事情・理由をはっきり見定める」という意味なんですよね。

前にも言ったことですが、人ってどうやら悩んだり疑ったりすることを崇高な行為だと勘違いしやすいらしい。そもそも「暗中模索」とか「疑心暗鬼」って言葉からして、なんかかっこいいじゃないですか(笑)。暗闇の中で必死になって手探りで答えを探すのは、どこか美しいことのように思えてしまう。けれど、暗闇で鬼に出会っちゃったらたまったもんじゃない。

僕はもうあんまり考えないんです。今も目の前の生活をどうしていくかってことしか考えてないですから。

いい意味でその日暮らしですね。

うん。僕だって将来のこととか考え出したら不安になりますよ。

でもたとえば今日だったら、猟師仲間が猪を獲ってきたから一緒に解体して、保存した。それだけで午前中がつぶれるわけです。雨が降ったら猟も畑仕事も全部中止にして、軒下で作業する。そうやって自然に翻弄されながら、今日をどう生きるかってことを考えている。それが僕の「諦め」ですね。

恋愛相談は……知らんわっ!

Letter No.19
夫が居ます。ですが、元々、金銭面に問題があり、不安を抱えながら一緒になりましたが、子供が出来た現在色々とお金がかかるのに、夫が生活費を入れてくれず当初よりも更に厳しい経済状況になり、夫よりも私自身が大黒柱になる状況…それでも稼ぎが足りない中、色々と自分の悩みを聞いてくれる方との出会いがありました。

はじめは特別な感情はなかったのですが、優しく接してくれて、夫にはない頼り甲斐のある彼に段々と惹かれてしまいました。 浮気ではなく、本気で惹かれてしまっている自分に戸惑いをかくせません。この先、どうしたら良いのか決断もできずにいますが、頼り甲斐のない夫とこのまま生きていくのか、1人で子育てしながら生きる道を選ぶのか…。

夫がいるのにも拘らず、別の人を好きになってしまった自分が不甲斐なくてたまりません。正解はないと思いますが、何かアドバイス頂けないでしょうか?

人生相談って基本的に「知らんわ」の連続なんです。でも僕はわざわざ文章を送ってきてくださる方々と対話がしたくて、こうやっていろいろ言ってます。だけど……恋愛相談は「知らんわ!」感が段違いだ(笑)。

これって恋愛相談なんですね。どうすればパートナーを改心させられるか、という相談ではない?

そう思います。頼りない旦那さんに困っていたら、ほかの親身になってくれる男性に本気で惹かれてしまった。そんな自分のことを本当に「不甲斐ない」と思うかな? 

「好きになっちゃったんです……」と誰かに言える時点で、「恋に落ちている状態」を喜んでるんじゃないか。誤解してほしくないのは、それが悪いことだと僕は思いません。だけど、「不甲斐ない」って言葉は本心ではない気がしました。

この文章では、「旦那が稼いでくれない」のが出発点で、「別の人を好きになっちゃった」っていう道筋になっているけど本当かな。金銭的な問題だけじゃなくて、旦那さんにも飽きてきてたんじゃないか。そう思ってしまうんです。

たしかにパートナーシップの相談だったら「どうすれば夫が家庭にお金を入れてくれるようになりますか?」という問いになるはずですね。

うん。だけどここでは、私の心変わりは旦那に責任がある。それでも夫婦関係を続けるべきか、別の人を選ぶべきかっていう全然違う話になっている。

相談者もご自身でまだ論点が定まっていないんじゃないかなと思います。あなたの心の中のことは僕にはわからんです。もしここで「旦那が稼ぐようになるためにはどうすればいいでしょう?」という悩みだったら、僕にも言えることがあったかもしれない。けれど、相談者さんの恋心、心の動きっていうのは、ご自身で分析してみるしかないように思います。そのうえでまた何か思うところがあれば、対話を続けましょう。

山で感じた重みと痛み

今回は東出の暮らす山まで伺い、寄せられた人生相談を直接見てもらった。

僕ら取材班が到着するなり、あいさつもそこそこに東出は「いま、シシを解体してるところなんです」と言い出す。

彼に従って川辺に下りると、東出の狩猟仲間ふたりが一頭の猪を解体していた。「やってみます?」と言われるがまま、猪の腸とナイフを手渡される。腸をかっさばき、内容物を取り除いて、川の水で洗っていく。不器用な僕はうまくナイフを扱えない。運動不足がたたって、かがんでいる足もすぐに痺れてくる。山の空気と川の水は冷たいが、額から汗がしたたる。

一方、東出たちは黙々と猪をバラしていく。この日の朝、猟師仲間が仕留めた獲物だという。猪の虚ろな瞳をのぞいてみても、腹の中に手を突っ込んで鮮血を触ってみても、なにか思考が紡がれるわけではない。ただ、言いようのない興奮が薄い膜のように体を覆っていく。言葉にできない興奮は危うい。「自分も最近、狩猟に興味が出てきました」などと口走ってしまう。

僕ら取材班の高揚を、東出は当然見破っている。僕らが解体されていく猪を見て思ったことについて、ああだこうだと語っても、東出はあの黒々と澄んだ目で受け入れつつ、ほとんど言葉を返さない。東出の沈黙は「その興奮は自分で処理しろ」と言うかのようだった。

そんな興奮が冷めやらぬまま取材を始めたことが、今回の人生相談において聞き手である僕の姿勢にいくばくかの影響を与えた可能性はある。しかし当然のことながら、東出はいつもどおり、真摯に言葉を尽くしてくれた。

あれからしばらく経って今も鮮明に思い出されるのは、東出が飼う犬のシーちゃんが、その大きな体を僕に預けてくれたときに感じた温かい重み。そして、解体された猪の入ったバケツを運ぶとき、手のひらに食い込んだロープの痛みだけだ。

本連載では、読者の皆様から引き続き人生相談を募集中! 東出さんに相談したいお悩みがある方は、どうぞ下のボタンをクリックしてお寄せください(※お答えできない場合もございます。あらかじめご了承ください)

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