『進撃の巨人』と「セカイ」に留まる勇気【セカイは今、どこにあるのか?】第2回

2022.9.25
セカイは今、どこにあるのか?|第2回『進撃の巨人』と「セカイ」に留まる勇気

文=北出 栞


2000年代の初頭に生まれた「セカイ系」という言葉は、「主人公の自意識の問題と、<世界の終わり>のような破滅的展開が短絡的に結びつけられる」作品への揶揄的な表現として使われてきた。しかし2022年現在、スマホゲームや広告などで再び「セカイ」という表記が頻繁に使われるようになっている。そこから汲み取るのことのできる現代のリアリティとは? 文筆家・北出栞が2020年代のアニメ作品から、セカイ系の新たな様相を探る。 

※この記事は『クイック・ジャパン』vol.160に掲載のコラムを転載したものです。

「世界に外側などない」

あふれ出す「ぼく」の自意識を止めた碇シンジが静かに見つめる、青い水平線。それが前回『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を通して見出した「セカイ」の原風景だった。言葉を尽くすほど分断が可視化され、大文字の「現実」に足を絡め取られてしまうそんな時代に、私たちはいちど沈黙する必要がある。「セカイ」とは、それでも絞り出すようにして、今ここにいる自分を肯定するための合言葉なのかもしれないと。

水平線のイメージをめぐり、『シン・エヴァ』と対照をなす作品がある。昨年、原作が11年半にわたる連載の末に完結し、その最終章となるアニメ「The Final Season」が現在展開中の『進撃の巨人』だ。

セカイは今、どこにあるのか?|第2回『進撃の巨人』と「セカイ」に留まる勇気
『「進撃の巨人」The Final Season Part 2』(NHK総合)原作:諫山創/監督:林祐一郎/声の出演:梶裕貴、石川由依、井上麻里奈ほか/2022年1月9日より放送 (C)諫山創・講談社/「進撃の巨人」The Final Season製作委員会

主人公エレンたちは、巨人との激闘の末「海」にたどり着く。それは幼少のころ夢見た、なによりも渇望した景色だ。しかしエレンは口にする、「…なぁ? 向こうにいる敵…全部殺せば…オレ達 自由になれるのか?」巨人の正体とは、実は壁の外にも存在していた人類の送り込んだ、一種の兵器であった。海の向こうにも人類が……いや、倒すべき「敵」がいるということを、エレンはすでに知っている。世界に外側などない。そのことを読者に見せつけるように物語は「壁外人類」の視点に移り、「マーレ編」がはじまる。

プーチンの侵攻は「セカイ系的」なのか?

このように『進撃の巨人』は今日における沈黙=「セカイ」の困難を体現している作品だが、同時に「悪しきセカイ系」とでも言うべき思想を批判的に織り込んだ作品でもある。それは民族主義に関するものだ。「海」の向こう側=自由を求める心(小さな問題)を民族主義的な根拠(大きな問題)によって支えようとするというのは、作中で否定されることになる「イェーガー派」のロジックそのものである。ほかでもない主人公エレンが、終盤近くまで「エルディア帝国」を復権する意志に基づいて行動しているかのように描かれるのだ。

ここで、いずれ世界史に刻まれることになるだろう、現在進行形の戦争を無視することはできない。2022年2月24日、ロシアのプーチン大統領は、国際政治の常識からはありえないとされていたウクライナへの侵攻を実行に移した。民族主義的な物語を根拠に侵攻を正当化した同大統領の姿勢を「セカイ系」的だとするツイートも、実際に筆者の目に留まった。

しかし、今日における「セカイ」のありかを探るという本連載の指針は、そのような姿勢とは相容れないものである。そもそも民族主義的な物語……歴史を構成する「因果」という概念とセカイ系とは、真逆の位置にあると言っていい。

ここで検討したいのが、セカイ系が持つ「神話的」な性格である。通常、あるものごとを指して「神話的」と言うとき、「AとBが出会い、Cが起こる」といった出来事のパターンが史実やフィクションの中に繰り返し表れることを指す。「〈ぼく〉が〈きみ〉と出会い、〈世界の終わり〉が訪れる」といった構造が複数の作品をまたいで見出されるというセカイ系の定義も、一種の神話と言えるわけだ。

たしかに、民族主義的な物語を政治に導入する姿勢に対し「神話的」との批判がなされることもある。しかし、問題は神話の反復的性格ではなく、反復の根拠として民族意識を持ち出すことではないのか。類似や反復をベースに捉えること自体には、間違いなくポジティブな側面がある。とりわけ天災や疫病など「起こるはずのない」ことが頻繁に起こる昨今にあっては、因果という概念に基づいた「科学的」なものごとの捉え方の限界を、誰でも痛感させられているだろう。

「セカイ」を手放さない勇気

そして『進撃の巨人』は、こうした「神話的」な思考の重要性を問うている作品でもあるのだ。

たとえば、マーレに潜入したエレンは、かつて「鎧の巨人」としてパラディ島の壁を破ったライナーに対峙して「オレはお前と同じだ」と言う。エレンから見た「セカイ」の臨界点たる「海」を挟んで「同じ」構図がマーレ側にもあることが─言い換えればエレンとライナーという、同じ形の「セカイ」を生きる人間が両サイドにいることが─読者に対して示唆されるのだ。その上でマーレ側の登場人物であるガビが、「壁」を越えて潜り込んだパラディ島での現地民との交流を通して、「悪魔」とだけ教えられてきた島民が自分たちと「同じ」人間だと体感する様子が描かれる。こうした反復・対称関係はマーレ編に入って以降至るところに見られ、前半で巨人が「異形」として扱われてきたからこそ、より際立つものとなっている。

アニメ「The Final Season」1期のOPテーマである「僕の戦争」(神聖かまってちゃん)は、こうした本作の構造をよく体現している。海外のファンからも『進撃の巨人』との相性の良さを評価されている同楽曲だが、アニメには使われていない、日本語で歌われる最後のヴァースでは<帰り道を無くした風景><下校時間 鳴きだすチャイム>などと、ソングライター・の子の実体験に沿ったと思しき、「学校」を「戦場」として捉える視点が導入されている。ポップソングの反復構造に、『進撃の巨人』の物語のスケールから見れば小さな個人的リアリティ─それを「セカイ」と呼んでもいい─を刻み込むことで、かえって普遍的な説得力を獲得しているのだ。

神聖かまってちゃん「僕の戦争」

現在起きている戦争を、World War Wired(接続世界大戦)と表現する者がいる (※) 。たしかにSNSを開けば戦渦の情報が刻一刻と流れてきて、今立っている足元すらおぼつかなくなる。そうなったときに、聞きかじった物語や歴史でなにかを理解した気になるのではなく、自らの「セカイ」のリアリティに留まるということ。それは決して臆病さなどではないし、いつか出会う別の「セカイ」を理解するための準備にもなる。「セカイ」を手放さないこともひとつの勇気だと、この場を借りて伝えたい。

※世界的ベストセラー『フラット化する世界』の著者、トーマス・フリードマンによる。「通信、衛星、貿易、インターネット、交通網など、かつてないほど緊密に結ばれた世界の中で起きた」最初の戦争である、というのがその理由。以下の記事を参照。
『フラット化する世界』著者、「接続された世界における最初の戦争だ」(クーリエ・ジャポン)

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  • セカイは今、どこにあるのか?|第2回『進撃の巨人』と「セカイ」に留まる勇気

    『「進撃の巨人」The Final Season 完結編』

    原作:諫山創
    監督:林祐一郎
    声の出演:梶裕貴、石川由依、井上麻里奈ほか
    NHK総合にて2023年放送
    (C)諫山創・講談社/「進撃の巨人」The Final Season製作委員会

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