ハライチ岩井勇気「笑いの真髄は音楽にある」漫才への憧れとネタ作りでの“新しい価値観”

2021.4.24
ハライチ 岩井勇気インタビュー

文=斎藤 岬 撮影=オノツトム
編集=小林 翔


刊行したエッセイは9万部を超えるヒット、アニメやネコといった好きな対象を仕事にし、舌鋒鋭いトークも掛け値なしにおもしろい。岩井の活躍の幅は近年急激に広がり、評価もうなぎのぼりだ。

だがもうひとつ、岩井という芸人そしてハライチというコンビを考えるときに、抜かしてはならない最大のものがあるだろう。「漫才」だ。「ネタ書いてるほう」であることに自負を持つ岩井にとって、ネタとはどんな意味を持つものなのだろうか。

ハライチが表紙を飾る『クイック・ジャパン』vol.155(4月24日から順次発売)から、岩井勇気ソロインタビューの一部を抜粋して特別公開。

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爆笑問題の“古典的じゃない感じ”に憧れて

──この取材に向けて、初めて決勝に進んだ2009年の『M-1』を観返したんです。あらためて「来る途中で犬が死んでた」から始める若手、すごいなと思いました。

岩井 いや、違うんですよ。俺はあれはなくしたほうがいいんじゃないかって言ったんです。ライブシーンではウケるけど、さすがにテレビでやるには冗談きつ過ぎるから。「いや、ツカミとして必要だ」って言ったの、澤部なんですよ。なのに澤部が「僕のせいです」ってひと言も言わないから、全部俺のせいになってて。

──今観ると「岩井さんはブレないな」と思ったんですが、違ったんですね。

岩井 あの当時、あの知名度であれをやっちゃダメなんですよ。すげぇ尖ってるように見えるし。あれは澤部が悪いっす。この件だけはちょっと許せないですね(笑)。ほかのところでも、澤部の土壇場の選択ってけっこう間違ってるんです。

──当時の紹介VTRでも言っていたように、中学生のときに『M-1』を観て衝撃を受けて芸人になろうと思ったんですよね?

岩井 それまでテレビ観てるとき、漫才師って余裕でやってるように見えてたんですよ。でも『M-1』は明確に全員が競ってて、ピリつきながらガチでやってる感じが憧れさせたのかもしれないです。漫才やりたかったんで、「だったら『M-1』だろう」くらいのざっくりした感じだったと思います。

──なぜコントでなく漫才を?

岩井 単純に、爆笑問題さんに憧れてたのが大きいですね。たぶん澤部が『ボキャブラ天国』(フジテレビ)観てたんです。学校で話題にしてて、俺も観るようになって。なんとなく観てたくらいだったんですけど、爆笑問題さんが何週か勝ち抜いて優勝するみたいなときがあったんですよ。それで「一番おもしろいんだ」とあらためて思って、ネタ番組で爆笑問題さんの漫才観たり、『爆チュー問題』(フジテレビ)観たりするようになりました。

古典的じゃない感じがしたんですよね。太田さんって、人をびっくりさせるのが好きじゃないですか。そういう感じが観てて楽しかったし、自分でも好きなのかもしれないですね。

人生の要所に、澤部の罠がある

岩井勇気
岩井勇気(いわい・ゆうき)ハライチのボケ担当。1986年生まれ。埼玉県上尾市出身。

──漫才には、漫才コントもあればしゃべくりもあって、ノリボケのように新しいシステムを発明するパターンもあります。新しいシステムを作りたいという気持ちは芸人になったころからあったんでしょうか。

岩井 最初はわかってなかったです。漫才好きだけど、そんなにたくさん見てきてないんで。初期は澤部のほうがしっかり作ってたくらいです。養成所のオーディションも、1〜2回戦は澤部が書いたネタで出てました。お笑いをよく見てて、ネタの構造も多分知ってたから作れたんでしょうね。俺は途中で「どうしたらいいんだろう」ってなって、1本書ききれなかったです。で、澤部が書いた漫才を読んでやってみて「こう運んでこうするんだな」って把握して。

俺、多分そういうふうに何かを分解して理解する要領がめちゃくちゃいいんですよ。それで「このネタをちょっとひねろう」って思ったんです。夫婦がいて、俺が奥さん役で「おかえりなさい。お風呂にします? ご飯にします?」から始まって「和食にします? 洋食にします?」、トイレに行くってなって「和式か洋式か、どっちにしますか?」「トイレットペーパーはシングル? ダブル?」みたいに二択をずっと迫るっていう、わりとシステマチックなものが作れて、自分で「おぉ!」ってなったんですよね。

「なんかこれは、いいんじゃねぇか?」って。システマチックなものが好きなのはそのころからかもしれないです。でもオーディションの決勝前日に、俺のこのネタと澤部のネタとどっちでいくかってなったときに、お互い譲らなくて。結局じゃんけんして、俺が勝ったんですよ。

なのに家帰ったら「やっぱり俺のネタやったほうがいいと思う」って澤部からメールが来て。じゃんけん負けてんのに。もう無視しました。こういう土壇場で澤部の選択するルートにいってたら、大変なことになってたと思います(笑)。

──バッドエンドに。

岩井 芸人人生の要所要所に澤部の罠がある(笑)。途中で本人も気づいたのか、そんなに言わなくなりましたけど。

後期『M-1』には「興が醒めた」。“にぎやかし”でしかない漫才への憧れ

ハライチ 岩井勇気、澤部佑
ハライチ岩井勇気(左)、澤部佑(右)

──なぜ初期のネタの話を聞いたかというと、岩井さんの“ネタ”の捉え方に興味があるんです。ネタを書いていることへの強い自負があって、今も新ネタライブ『デルタホース』を主催していて、でも単独ライブはやらないと公言していたり、リズムネタが好きだったり、複雑な距離感があるように見えます。

岩井 単独をやらないのは、そもそも「テレビで漫才やろう」って思って始めたから。それと、昔の「漫才師」みたいなものへの憧れも多少あるんです。もともと落語の間にやる出し物ですよね。

──色物と呼ばれるところの。

岩井 そうそう。寄席をにぎやかすものであって、その人たちでひとつのライブを完成させるとかそういうことじゃないじゃないですか。だから漫才で単独ライブっていうのは違うんじゃないかなって思ってる節はあります。

それでいうと、いつも意識してることがあって。誰もハライチのことを全然知らない、テレビもない島の村に行ったとしますよね。メシ食おうと思ってふたりで居酒屋入ってカウンターに座ってると、大将から「お兄ちゃんたち、なにやってる人なの?」って聞かれて「漫才やってます」って答えて。そこにいる常連たちから「漫才師だってよ!」「ちょっとやってくれよ!」って言われてやって、そこでウケるネタがいいんじゃないかと思ってるんですよ。

だから自分たちのキャラクターをフリにしたネタとか、やりたくないんです。誰も知らないでウケるネタをやりたいですね。

──「人間性が見えたほうがいい」という考え方もありますよね。

岩井 そのほうが深いって意見もあるし、積み重ねていった結果それができるようになった人たちもいっぱいいると思うんですけど、そうすると島の村でやってもおもしろくない。俺らは「ご存知ハライチです」って出ていくのがすごい嫌なんですよ。「知らない人もいるとは思いますが、よろしくお願いします」って気持ちでずっとやってます。

──「正統派の漫才師は売れるのに時間がかかる」と『ゴッドタン』(テレビ東京)で言っていましたが、テレビで漫才がしたかったから、そのためにどうしたらいいかを当初から考えていたんですか?

岩井 どうなんだろう、そっちのほうが向いてたんじゃないですかね。努力してきた人、歴を重ねてうまい人には最初は敵わないじゃないですか。そこを発想力で埋めちゃえばすぐじゃん、みたいには思ってたかもしれないです。合理主義というか。

──ノリボケ漫才ができたとき、このネタを足がかりに澤部さんが売れていく予感はありました?

岩井 それはありました。というより、そもそもあんまり俺自身がテレビに出ていく足がかりになると思ってネタを作ってないんですよ。この誰も発想しなかったような漫才をテレビで発表したい、ってだけで。だからどう考えても澤部が目立とうが、思いついちゃったから発表したい。

──いわゆる「売れたい」というのとは違う。

岩井 違いますね。誰も思い浮かばなかったことを発表して「こんなのあったんだ」って思わせたい。「コツコツやってる人ご苦労さまです、こうすれば出れますよ」っていう……(笑)。

──だからこそ後期『M-1』にはあまり……。

岩井 そうっすねぇ。興が醒めましたね。

──アイディアを形にして驚かせるのが楽しいんですね。

岩井 こういうこと言ったら無粋というか、鬱陶しいかもしれないですけど、新しい価値観を提示してないものがあんまり好きじゃないんですよ。ちょっとでも新しさが入ってると観ていて「おっ」となる。

だから『キングオブコント』観ててもにゃんこスターとかコロチキ(コロコロチキチキペッパーズ)とか、チョコプラ(チョコレートプラネット)とか2700さんとかが好きですね。発想力があるじゃないですか。「やられた」「こんなんあったんかい」っていうのが観てて一番気持ちいい。自分でも常にそういうものを探してます。

前半は4文字か3文字、接続詞が1個、うしろは絶対に2文字

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