四千頭身・後藤拓実「芸人になるのが怖かった」若さを武器に戦ったブレイク前夜

2021.3.4
四千頭身・後藤拓実

文=山本大樹 撮影=青山裕企
編集=田島太陽


スターになりたい、芸能界でひと山当てたい──。多くのお笑い芸人が抱くような夢や野望を、後藤拓実は一度も考えたことがない。

「友達が事務所のオーディションに応募したから」。彼がお笑い芸人になったのは、そんなギャグみたいな理由だ。気づけば20歳という異例の若さでデビューを飾り、瞬く間に四千頭身はテレビでスポットライトを浴びる存在になった。

「芸人になるのが怖かった」と語る彼は、自身が置かれた今の状況をどう見つめているのか。芸人としての第一歩を踏み出した養成所時代から、現在までの歩みを語ってもらったインタビューの前編。

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「芸人、こんなに簡単なんだ」から「早く辞めなきゃ」な日々へ

後藤拓実(ごとう・たくみ)1997年2月6日生まれ、岩手県出身

──昔からお笑い芸人への憧れはあったんですか?

なかったですね。出身地の岩手県が好きなんで、子どものころは地元で林業とかやりたいなって思ってました。こんな華やかな仕事をやるとは思わなかったです。

──もし芸人になっていなくて、ほかの仕事をしている自分もリアルに想像できますか?

できます。田舎暮らしとか最高です。

──芸人という仕事にすごく執着していたわけではない、と。

そうですね。養成所に入ったのも、友達に勝手にオーディションに応募されたからなんで。抵抗はもちろんありましたけど、「SCANDALに会えるかも」「とりあえず行ったらおもしろいかも」と思って受けたんです。会場についてから「なんで来ちゃったんだろう」って後悔したんですけど、そこで合格して、養成所に入りました。

──実際に入ってみてどうでした?

養成所も何度か辞めようとしたんですよ。「このまま芸人になれちゃうな」と思って、それがちょっと怖くて。「芸人で食っていくぞ」っていうのもなかったし、芸人になったところで売れないままズルズル行くこともあるじゃないですか。だから早く辞めないと、普通に働けなくなっちゃうなと思ったんです。でも、まわりから止められました。

──とはいえ、入学した当初から「別格だった」と言われるほど目立っていたとお聞きしました。入る前から何かネタを考えていたわけでもないんですか?

ネタ作りは養成所に入ってからですね。正直、「こんなに簡単なんだ」って思いました。入学してすぐに全員の前で自己PRというか、ピンネタをする機会があるんですけど、そこでもウケて。ほかにあんまりおもしろい人がいなかったんで……。ちなみに、一番つまらなかったのが都築です(笑)。めっちゃスベってましたね。石橋のことは全然覚えてないんですけど……。

──そんな「一番つまらない」と思った都築さんに声をかけられて、最初はもうひとりの同期を交えてトリオを結成するんですよね。

そうですね。まだお互いのことをあまり知らなかったけど、都築は最初の自己紹介でめちゃめちゃスベってたんで、そういうところをイジられて負け顔ができるんだったらおもしろいかも、と思って。

──今、バラエティで先輩からかわいがられている都築さんを見ているとなんとなく想像がつきます。

そうですね。そのあと一度トリオを解散して、石橋とコンビを組んでみたんです。僕はボケをやりたかったし、石橋はツッコミだと思ったから。でも全然ツッコミができなくて、すぐ解散しちゃったんですけど。

そしたら石橋が「芸人もう辞める」みたいなこと言い始めて、なんか申し訳ないな……と。僕は都築たちと組み直そうと思ってたんですけど、ちょうど別のひとりが辞めちゃったタイミングだったんで、「じゃあ、僕らとやってみる?」って。

──そのころから漫才のネタは今のようなかたちだったんですか?

そうかもしれないです。都築は変なこと言いそうな顔してるから、ボケるなら石橋よりは都築だなとか、そんな感じでネタを考えてました。漫才のかたちは今とそんなに変わらないと思いますけど、最初は逆に、何も知らないからスラスラ書けましたね。漫才はこうあるべき、みたいなのもわからないから。だから今のほうが難しいっすね、やっぱり『M-1』とかも意識しちゃうんで。昔のほうが楽しかったですね……。

──当時から「この3人ならいける」という手応えはありました?

いや、自信はなかったです。芸人になれるとは思ったんですけど、売れるとは思わなかった。だからずっと怖くて、早く辞めなきゃと思ってました。

「若さ」を逆手に取って居場所を築いた

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