ビジネスレベルでは時代遅れ?ポスト資本主義におけるオリンピックの存在意義とは
東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が“女性蔑視”発言により、本日2月12日に行われる緊急会合で辞意を表明すると目されている。さらに報道各社による世論調査でも、「2021年夏開催」には否定的な意見が大勢を占めるようになってきた。
『メディアの牢獄』(1982年)や『もしインターネットが世界を変えるとしたら』(1996年)などの著書を持つメディア批評家の粉川哲夫は、オリンピックのリモート開催について「推進派は考えないようにしている」という。
「コロナ禍で経済構造から社会生活の根本にまで反省を迫っている時代」における、オリンピックの存在意義とは──。
目次
「やはり」東京オリンピックは…
今年の7〜8月に予定されている東京オリンピックの開催の雲行きがにわかに怪しくなってきた。が、森喜朗会長の時代錯誤の女性差別発言で国際常識を破ったというのはマスメディアがお好みの「わかりやすい」ロジックで、順序は逆なのである。
コロナ感染が一向に止まらず、海外からはますます深刻なニュースが入ってくる。都市を封鎖し、外出禁止令まで出している国からすれば、こんな時期に海外からの客を前提とするビッグイベントを開催するなんて信じられないという批判が漂っていたところへ、「Go To イート」や「Go To トラベル」といった、感染を軽視するキャンペーンを政府自身が促進したので、「日本=特殊」神話はいやが上にも高まった。
おそらく、今現在、あるレベルでは中止はやむを得ないという決定がなされているはずだが、トップは無論のこと、各部門の責任者たちが、明確にNOと言わないのが日本流である。周囲の動きを見計り、適当なところで、「やはりこの際」と口を切る。そんな折に森氏がいいタイミングでハメを外してくれた。
この「やはり」という言葉は、外国語に翻訳するのが難しい屈折を内蔵している。手元の『大辞林』によると、古語としては「うごかないでじっとしているさま」、現代語では「前もってした予想や判断と同様であるさま」を意味するという。なんか、日本のトップの面々の仕草が目に浮かぶようだが、「予想や判断」といっても、証拠などなくてもいい。タイミングが難しいのだが、うまいところで「やはり」と言うと、そういう「予想や判断」がちゃんとなされていたかのような既成事実になる。
だから、「やはり」が発せられるときの「予想や判断」の前提は、ある意味で、なんでもいい。たまたまドジをやった人がきっかけになることもあるし、コンセンサスを得られそうな派手目の出来事が使われることもある。
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