生々しい感情の発露さえ、貴い――。 松居大悟初の小説『またね家族』
舞台作品の作・演出、『バイプレイヤーズ』(テレビ東京)など映像作品の監督でも知られる松居大悟さんが、自身初の小説『またね家族』(講談社)を発表した。
ライターの僕のマリさんは、本作の主人公と同じく九州出身で、九州に住む父親がいる。そして、同じように父との関係に悩んでいた。そんな彼女は、この作品をどう読んだのか――。
遠く離れていても。
父が小さくなった。一瞬自分の目を疑った。言葉のとおりひとまわりサイズダウンして、小さいおじさんになっていた。去年会ったときにたいそう驚いたものだ。ずっとがっちりとした体型だったのに、身体全体が縮んで、10キロくらいは痩せたのではないかと思う。特に、ズボンから覗く細いふくらはぎを見たときはドキッとした。今年64歳。人生も折り返し地点をとうに過ぎ、定年を迎えようとする父が痩せるのは自然なことのように思えるが、じゅうぶんな原因はあった。
我が家はここ3年、立てつづけに喪中だった。3年前に実家の愛犬が、一昨年に父方の祖母が、昨年は父の姉である伯母が亡くなった。皆長い闘病生活の果てに逝ったので、最後のほうは弱っていく姿を見るのがつらかったのだと思う。息子のようにかわいがっていた愛犬、大好きな母、尊敬していた姉を失った父の目には、どんな世界が見えていたのだろう。そのころを境に食が細くなり痩せたようだ。悲しみに暮れる父に気の利いた言葉をかけられなかったことを、今でも悔いている。
ちょうど1年前、兄の結婚式があった。伯母がガンで亡くなった直後のことで、彼女は死ぬ間際に「あの子の結婚式だけはちゃんとやりなさい」と言い残したという。伯母らしい最期だった。式の直前に喫煙所のベンチで煙草を吸っていると、父が隣に座ってきた。煙草を吸っている姿を見られるのは初めてだったはず。女が煙草なんてと言われるから、従姉妹は親たちに隠れて煙草を吸っている。父はわたしに何も言わなかった。隣で黙って煙をくゆらせて、「ずっと東京で暮らすつもりか」とぼそっと呟いた。そのひと言は、もう親と地元の九州で一緒に暮らすことはないのか、という問いが含まれている。「そのつもり」と短く答えると「そうか」とだけ頷いて、ふたつの煙は混じり合って消えた。このとき何を思っていて、なんと言いたかったのだろう。父はどのくらいわたしのことを知っていて、わたしはどのくらい父のことを知っているだろうか。
映画監督である松居大悟作『またね家族』は、劇作家として東京で暮らす主人公が、余命宣告を受けた九州の父親と向き合う物語。大嫌いだったはずの父親との悪しき思い出や葛藤に苦しみながらも、残されたわずかな時間で親子はお互いの人生に眼差す。父がやりたかったこと、自分がやりたいこと。夢を追いかけることの恐ろしさと青さ、目まぐるしく変わる人間関係。かつての恋人に「愛情乞食」と呼ばれた主人公の織りなす愛情表現。誰しも覚えがあるように、人の気持ちも生き方も、けっして自分の思いどおりにはならない。しかし、生々しい感情の発露さえ、この物語の中では貴い。誰かと向き合うことは自分を見つめ直すことに似ていて、いびつで不器用な愛ほど美しいと思える。
最近まで、父のことが嫌いだと思っていた。「何をするにも父親が一番」という九州に根強く残る風習は、自意識と反抗期をこじらせた年頃にはすべて嫌な思い出として変換された。風呂も一番、食事も父だけ一品多い。それが当たり前ではないということに気づくのに、ずいぶんと時間がかかった。そんな家庭だったので、父は強い存在だと思っていた。無口で、仕事ばかりに生きて、喜怒哀楽がよくわからない人。実家を離れてからは、精神的な距離も遠くなっていた気がする。しかし、身近な命を失い、ショックで小さくなった父は、きっと誰よりも繊細だった。わかりやすく弱る姿を見て確信した。この人の生き甲斐は家族だった。このまま小さくなって消えてしまったらどうしよう。無骨だと思っていたのに、愛にまみれた心の持ち主。きっとまだまだ、わたしの知らない一面があるのだろう。
「はよ孫の顔見せてやらんね」と親戚に言われるたびに苦笑いをしているわたしの気持ちも、父はわかっているかも知れない。もし、このまま普通から逸れつづけるとしても。幸せの形はさまざまだということを身をもって教えたい。わたしは輝けるだろうか。遠く離れていても見えるまばゆさで。
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