「子供がいない人は問題がある」40代男性記者が出した“絶対的な答え”【#02後編/ぼくたち、親になる】

文=稲田豊史 イラスト=ヤギワタル 編集=高橋千里


子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を、匿名で赤裸々に独白してもらうルポルタージュ連載「ぼくたち、親になる」。聞き手は、離婚男性の匿名インタビュー集『ぼくたちの離婚』(角川新書)の著者であり、自身にも一昨年子供が誕生したという稲田豊史氏。
第2回は、ビジネス系大手メディアの記者として働く40代男性。ふたりの子供を育てる彼が、「子供を作らない夫婦」について今思うこととは。

大手メディアの記者である井戸善行さん(仮名、44歳)は、かつて「子供を作るのはダサい」と思っていた。しかし、最初の結婚生活の破綻後に考えが変わり、現在の妻との間にふたりの子をもうけている。

子供たちを愛しながらも、「子供は別人格の他人」「子供は夫婦として共同生活をする上でのスパイス程度」「子育てなんて、10年、15年くらいおもしろいってだけ」といったドライな考え方を披露する井戸さん。

家事・育児の分担や、子供をあえて作らない夫婦について、思うところがあるという。

※以下、井戸さんの語り

「パパレベルチェック」は、妻がマウントを取りたいだけ

4年くらい前にツイッター(X)で、夫がどこまでひとりで育児できるかを判定する「パパレベルチェック」画像が出回って炎上したじゃないですか。

「6時間以上のワンオペが可能」ならレベル3、「母子手帳の場所が分かる」とレベル6とか。オムツ替えやミルク程度は「クズに毛が生えたレベル」であって、イクメンを名乗るなと。

※画像はイメージです

本当にバカバカしいと思いました。

母子手帳の置き場所がわからないのは、妻がその情報を共有してないからですよ。共有してない、説明してないんだから、わかるわけがない。

つまり、妻が夫に対してマウントを取るために、自分がやっている家事・育児を手放さないだけ。手放さないことによって自分の尊厳を保ちたいだけ。

古参社員が中途社員に社内のルールや備品の場所を教えないことで、自分の優位性を保ってるみたいなもの。ただの意地悪ですよ。

母子手帳だろうがなんだろうが、どちらかにその管理を任せてるなら、そっちだけが把握しておけばいい話でしょう。ありとあらゆるものをふたりで管理するなんて非効率過ぎる。片方がもう片方に、必要なときにその都度聞けばいいんです。

子育てや家事の担当分量なんて、必ずどちらかに偏ります。その分量を客観的に測ることなんて誰にもできないし、夫婦お互いの愛情やリスペクトが足りていれば、アンバランスなんて問題になりません。相互理解できてれば、分担比率が8:2だっていいはずです。

「おもしろくない」ことはSNSで可視化されない

ツイッター(X)にはこの種の「夫死ね」的な投稿があふれてますけど、夫婦仲がよく、子育ても普通に問題なくやれていて、充実感を持ってる人も本当は多いし、大半の家庭はうまくいってますよ。

ただ、そういう人たちは公に可視化されたSNS上でそれを言わないだけ。僕もそうです。

なぜ言わないのか。ひとつは、うまくいっていると言うと、うまくいっていない見知らぬ人にやっかまれるから。もうひとつは、普通に問題なくやれていることは、コンテンツとして「おもしろくない」からです。

そこそこ長く記者をやっているので、どんな記事が読まれるか、どんなテキストがネットでバズるか、だいたいの勘どころは掴んでいます。

それでいうと、グラデーションの中間部を切り取ったところで、インパクトがないから拡散されない。極端に振り切っている物言いにこそ、多くの人が飛びつく。

だから……結局、どこまでいっても人様の家庭なんて、わからないものなんですよ。

※画像はイメージです

インスタもそうじゃないですか。可視化されているのはキラキラした写真だけど、実際の生活はショボかったりする。

ツイッター(X)の場合は逆で、目に触れるのは過激な呪詛じみた言葉ばかりだけど、多くの家庭はそこまで夫婦仲が悪くない。僕は性善説の立場というか、世の中意外とうまく回ってるものだと思ってますよ。

こうして稲田さん(注:インタビュアー)と膝を突き合わせて家庭のことを赤裸々に話す機会だって、特に男同士だと皆無でしょ? 匿名取材だからしゃべれるわけで。

表に出てきてるものが全部じゃない。他人の家庭のことなんて、すべては闇の中なんですよ。

人は子供を作って当然。作らない夫婦には「問題がある」

子供ができて、今まで考えもしなかったことを考えるようになりました。たとえば、子供を作らない夫婦について。

明確な「問題がない」のに、子供を作らない夫婦というのは、存在するんでしょうか。

もちろんすべての問題はグラデーションでスペクトラムなので、「問題がない」という仮定は乱暴です。でも、私たちは常識として、どのレベルであれば「問題がない」といえるのか、知っています。

経済的な不安がなく、生殖能力もあり、夫婦関係も良好。そして、周囲の夫婦も次々と子供を作っている。そうした状況で、「子供を作らない」というポリシーを貫くのは非常に難しい、ということも私たちは知っているはずです。

これもSNSでは見かけない意見だと思いますが、「人間は子供を作って当然」じゃないですか。そのほうがナチュラルというか、落ち着きやすい。それでもあえて子供を作らないというのは、どこかに「問題がある」という話になる。

※画像はイメージです

なんでこんなことを考えてるかっていうと、僕、純粋哲学的に、「人間は子供を作る存在」だと思うからですよ。人間は、子供を作るという目的を持って生を受けている。

生命って「つながり」のことだから。それ以上でもそれ以下でもない。結婚は別にしなくてもいいけど、子供を作らなければ人類は成り立たない。

子供がいない人は「エラー値」である

結婚して子供がいないと人間じゃないのか、人権がないのかといったら、もちろんそんなことはありません。ここでいっている「人間」の定義は、すごく狭いので。

それに、遺伝子プール(※)とか遺伝的多様性のことを考えるなら、「子供を作らない人」がいたほうが、遺伝子が多様になってむしろ人類が繁栄するんです。

言ってる意味、わかりますか?

人類に「子供を作らない」選択をする人がこれだけ出てきたというのは、それだけ多様性に富んだ遺伝子プールができ上がってるってことです。

逆に、「子供を作る」選択をする人しかいなかったら、人類の多様性は細っていく。これは好ましくない。

子供がいない人は、すごく汚い言葉でいうと「エラー値」です。

エラー値がいくつもあったほうが、結果としての出力は豊かになる。結果だけ見ていると、子供を作らない人は“無駄”に見えるけど、そんなことはない。

だから逆説的ですけど、「子供を作る人がいるのは、子供を作らない人がいるから」なんですよ。

※遺伝子プール:繁殖可能な個体からなる集団(たとえば「人間」という種全体)が持つ遺伝子の総体

言語化されざるもの

※以下、聞き手・稲田氏の取材後所感

20代のころの「子供を持つことはダサい」から、現在の「人間は子供を作って当然」へ、真逆ともいうべき思想転向を果たした井戸さんは、その気持ちの変化を的確に言語化した。

この変化を人間的成熟と呼ぶべきか、変節と呼ぶべきかは判断のしようもない。ただ、少なくとも現在の井戸さんは満たされており、葛藤はまったくないように見えた。「答えが出た」とでもいわんばかり。

大手メディアで長年辣腕を振るってきた記者だけに、井手さんの「家庭の実態がネットでは可視化されない」という主張には大きな説得力があった。

一方で、「人間は子供を作る存在である」「エラー値」あたりの持論は、どれだけ丁寧に言葉を尽くされても、完全に咀嚼して飲み込むことができなかった。賛成だとか反対だとかいう次元の話ではなく。

説明の筋は通っている。頭では理解できた。彼が子供を持たない人を差別するつもりも、下に見るつもりもないことも承知している。

論理的で明晰で小気味よい語り口。自信に満ちた断定。これが彼の中の「答え」だ。だが、しかし。

何かが引っかかる。何か重大なことが言語化されていない気がするのだ。

【連載「ぼくたち、親になる」】
子を持つ男親に、親になったことによる生活・自意識・人生観の変化を匿名で赤裸々に語ってもらう、独白形式のルポルタージュ。どんな語りも遮らず、価値判断を排し、傾聴に徹し、男親たちの言葉にとことん向き合うことでそのメンタリティを掘り下げ、分断の本質を探る。ここで明かされる「ものすごい本音」の数々は、けっして特別で極端な声ではない(かもしれない)。
▼本連載を通して描きたいこと:この匿名取材の果てには、何が待っているのか?

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稲田豊史

(いなだ・とよし)1974年愛知県生まれ。ライター・コラムニスト・編集者。映画配給会社、出版社を経て、2013年に独立。著書に『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ──コンテンツ消費の現在形』(光文社新書)、『ぼくたちの離婚』(角川新書)、『ポテトチップスと日本人 人生に寄り添う国民食の..

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