ドラマ『エルピス —希望、あるいは災い—』(カンテレ)が始まった。放送されるフジテレビの月曜22時枠は、2021年10月以来、綾野剛主演の『アバランチ』、『ドクターホワイト』、『恋なんて、本気でやってどうするの?』、『魔法のリノベ』と話題作がつづいている。
本作は、NHK連続テレビ小説『カーネーション』(2011年~2012年)や『今ここにある危機とぼくの好感度について』(2021年/NHK)などの脚本を手がけた渡辺あやが、民放ドラマで初めて脚本を執筆したことでも注目を集めている。『カルテット』(2017年/TBS)、『17才の帝国』(2022年/NHK)などを手がけたプロデューサー・佐野亜裕美と渡辺あやの6年越しの企画となった話題のドラマ。ライターの木俣冬があらすじや見どころをレビューする。
目次
演出を大根仁が担当し、松尾スズキが出演する意味
「私はもう飲み込めない」
第1話より
長澤まさみがいつ吐くか、目が離せなかった。
いや、いくらなんでも吐くところは映さないだろう、テレビで。でも、もしかしたら、かの名作、大人計画『愛の罰~生まれつきなら しかたない~』(1994年)のように、アレがインパクトをもたらすのではないかと変な期待をした(長澤まさみは出演していません)のは、冒頭に、勝海舟を演じる俳優・桂木信太郎役として、『愛の罰』を作・演出した松尾スズキが出演していたからだ。
演出の大根仁は、松尾の名作のひとつ『マシーン日記』をドラマ化(2003年)し、やがて、舞台も演出する(2021年)ほど松尾スズキとは縁が深い。だからこそ、やるんじゃないだろうかと、その興味がドラマ後半の牽引力になっていた。
あるいは、あの伝説のアニメ『あしたのジョー2』の透過光で描かれた嘔吐シーンのような美しさでやってくれるかもしれない。そんな期待を持って見つづけた結果──
長澤まさみはペットボトルの水をぐびぐび飲んで、吐き出しそうなものを飲み込んだ。ただ、夕暮れの屋上で口を押さえ苦悩する長澤まさみが、ラスト、水を飲んだあと、手の甲で口を拭い、戦いに赴くように歩いていく様が美しく、『あしたのジョー』と並んだような気がした。
1話あらすじ: 冤罪に立ち向かう志の高い物語
……こんな始まりですみません。脚本の渡辺あやさんや佐野亜裕美プロデューサーが、もし、これを読んだらがっかりし、大根監督は舌打ちするかもしれない。なぜなら、『エルピス ―希望、あるいは災い―』は、とあるテレビ局の局員たちが冤罪事件に挑む、志の高い物語だからだ。
企画が立ち上がったのは6年前。デリケートな問題を扱っているためGOが出ず、それでも台本は全話書き上げ、そのまま塩漬けになっていたものが、2022年、日の目を見ることになった。
『エルピス ―希望、あるいは災い―』第1話「落ち目の女子アナと新米ディレクターが冤罪事件を追う!?」。
恋人との路チューを撮られたため報道キャスターの座を降ろされ、今や深夜の情報番組『フライデーボンボン』でライトなコーナーMCを担当している浅川恵那(長澤まさみ)は、新人ディレクター岸本拓朗(眞栄田郷敦)から冤罪事件を晴らしたいと持ちかけられる。
連続殺人事件の容疑者として逮捕された松本良夫(片岡正二郎)は無罪である。そう主張するヘアメイクのチェリーこと大山さくら(三浦透子)に弱みを握られた岸本は、しぶしぶ動いていた。
浅川は、かつて報道番組で冤罪事件を扱ったことがあり、冤罪事件は極めてデリケートな案件であることを知っているため渋る。
案の定、報道局にはまったく相手にされない。岸本が尊敬する報道局のエース記者で官邸キャップの斎藤正一(鈴木亮平)に相談すると、判決を覆すことには警察と検察と裁判所の威信がかかっていると注意しながらも、助言をくれた。
こうなったら『フライデーボンボン』で特集番組をやるしかない。ところが、『フライデーボンボン』のチーフプロデューサー・村井喬一(岡部たかし)は企画を見るなり、国家権力を敵に回すことになると全否定する。村井の言葉に我に返った岸本は諦めようとする一方、もともと乗り気ではなかった浅川は
「私はもう飲み込めない」
「でないともう、死ぬし、私」
と俄然やる気になる。
岸本が斎藤に「僕はいかに可能性がないかじゃなくて、どうすればあるか、斎藤さんに教えてもらいたいんです」と迫ったとき、浅川は吐き気を催した。国家権力が決定し、大多数が認めたものを、たったひとりが否定したところで、ひっくり返すことは難しい。だが岸本は、不可能であると決めつけず、「どうすれば」と方法を問いかけたのだ。愚直な岸本の問いに浅川が反応したことは重要であろう。
以前から、吐き気がして食事が摂れなくなっていた浅川は、ことあるごとに吐き気を催し、ひたすら水を飲みつづけている。
よかれと思って行動する私たちに突きつけるもの
報道キャスターを降ろされてから、ずっと何かを抱えて息を潜めてきた浅川。花粉が体内のコップいっぱいに溜まって花粉症としてあふれ出すように、何かが溜まって収まらなくなってしまったものを薄めるように、浅川は水を注ぎ込んでいるようにも見える。
浅川を嘔吐せしめる体内の脈動、暴れる獣のようなそれをどう手なずけるか。浅川は獣においしい水を与えつづける。まるで細胞を入れ替えるように。
浅川は、過去の彼女のニュース映像を思い出しながら「全然覚えていない」と呟いていた。冤罪には、最初に無責任な報道をマスコミが一斉に行ったことも影響していると岸本は言うが、浅川は、マスコミは報道したことの責任を取らず、振り返って反省することもなく、目先のことばかり考えていることを自覚している。「全然覚えていない」というのは、何かを忘れようとしているのだろうか。
一方、岸本は、まだ社会と自分の関係を自覚していないのんきな人物だ。そもそも、冤罪事件を調べ始めたのも、彼が手を出すことを禁止された番組のキャストであるボンボンガールの篠山あさみ(華村あすか)を口説いたことがバレそうになったからだった。あまりにも俗っぽいことを理由に行うことで、国家を敵に回すことになるなんてと抱え切れなくなって逃げようとするが、その渦中、彼もまた、自分の中で蓋をしてきた暗部を思い出してしまう。
冒頭、松尾スズキが演じる桂木が岸本に、善人であると思っているだろうと語りかけていた。桂木は、善人=凡人とし、それらの事なかれ主義を批判しているように見える。善人=凡人とは庶民にほかならない、つまり大多数の人たちである。悪意など微塵もない、よかれと思って行動する人たちである。だが、私たちは時として失念する。私たちの中の「善」とは、容易にその価値が移り変わり、時には誰かにとっての悪にもなり得るものだということだ。重要なのは、何を選択し、それを貫けるか、その意思の強さである。