暗黒時代の爆笑問題を奮起させた何気ないひとつのテロップとは?(てれびのスキマ)

爆笑問題『クイック・ジャパン』vol.156表紙

テレビっ子のライター“てれびのスキマ“が、昨日観た番組を記録する連載「きのうのテレビ」。バラエティやドキュメントの中で起こった名場面、名言、貴重な会話の数々を書き留めます。2020年から毎日欠かさず更新中。


『アンタウォッチマン!』

ゴールデンSPと通常回で爆笑問題特集。どうしてもそれぞれのエピソードはさまざまな番組で聞いたことのある話ばかりだが、やはりじっくり話を聞いているためディテールまで聞ける。

たとえば、爆笑問題と太田光代との出会いが春一番が提案した合同コントの光代宅での打ち合わせだというのは有名だが、そのときに行ったのが、太田が台本を執筆した『ニューヨーク恋物語』のパロディコントでヒロイン役が光代だったとか。「オーラがまったくなかった」ため、光代は太田と田中どっちがどっちかわからなかったという第一印象だったのに対し、「ひと目見たときにキレイな人だなって」ひと目惚れだった太田はそのまま居着いて、「ずーっといる。今でも(笑)」(光代)と。

その際も困惑した光代が繊細そうな彼を傷つけないように「もうすぐ銭湯に行くけど行く?」と言ったのを、女性経験のない太田は「OK」のサインだと勘違いしたのだという。出会って翌年、お互い結婚などはする気がなかったが、コンピューター占いで相性が「100%」と出たことをきっかけに結婚。光代は入籍の日を占いで「向こうが一番よくて、私がニ番目にいい日」に決め、9月26日に結婚したという。

が、そのわずか4日後の1990年9月30日に爆笑問題は太田プロから独立する。このときの心境も太田が詳しく語る。

「太田プロのイチオシだったから、単独ライブをやれば(外部の)プロデューサーが演出って名前でつくわけですよ。俺がやりたいのはちょっと際どいネタ。だけど(プロデューサーは)売りたいからちょっと柔らかくしようとする」「当時は自分のネタを曲げたくないから『申し訳ないけど、それはできません』って言ったら『俺の言うことが聞けないわけ?』みたいな感じになって『うるせぇバカ野郎』ってなっちゃった」「そんなのがいくつかあってなんだかやりにくいなって思ってたところで担当マネージャーがプロダクション作るからって。ほんとに軽い気持ちでここにいてやりにくい状態よりも自分がやりたいことができるほうがいいと思ってOKしたの」。

ここから数年、仕事のない暗黒時代に突入する。太田はゲーム三昧。RPGは光代が帰ってくるまでストーリーを進めないという奇妙なルールがあったという。なぜなら、女性役を光代、男性役を太田でセリフのかけ合いをしながらプレイしていたため。かわい過ぎる。

一方「自分の置かれている環境の中で最大限楽しむ」田中は、日本で売り上げ2位のミニストップでバイトをしているうちに店長にスカウトされるように。

後輩であるホンジャマカとバカルディ(さまぁ~ず)による『大石恵三』が始まったとき、「置き去り」だと焦ったという太田は、決定的な場面を目撃する。あるクイズ番組の番宣で、「爆笑問題 続々登場」というテロップとナレーションがあったのだ。光代はそのとき、太田をパッと見たら震えてたという。太田は「『爆笑問題』を“おもしろい問題”っていう意味で使われてるんだって思ったときに、ああもう俺らのことは完全に業界に忘れ去られてるんだなって」と振り返る。

ちょうど田中もそれを観たそうで「俺もショックだった」と振り返る。これで奮起したふたりは「スゴい殺気を感じました」と光代が振り返るほど本気になり、『NHK新人演芸大賞』『GAHAHAキング』で勝利。1993年11月、タイタンを設立する。

そこからの光代社長の戦略がすごかった。当時はまだ単発の仕事ばかりだったからレギュラー番組を取りたかったという思いから単独ライブを企画。それもただ単独ライブをやるのではなく、テレビの改編期を狙い、その手前の時期である7月と1月の2回行なった。

「1回のライブではたぶん決定権のある人が来ないと思った」「最初に来るのは若いスタッフ。それがおもしろければ決定権のある人を連れてきてくれるはず」と。単独ライブ=コントと考えていた太田はその短い期間ではネタができないと最初は嫌がったが「やれ!」と光代に一喝され、たまたまエディ・マーフィの「スタンダップコメディ」の全米ツアーのビデオを観て、漫才ならできるかもと考え直し、1回目はもともとのファンが集まり即完で大成功。2回目は1回目の成功を受け取材もたくさん入った上、光代の思惑どおり、このライブきっかけでレギュラーが5本決まったという。このとき、太田は「カミさんにとって社長は天職なのでは?」と思ったという。

本当に聞けば聞くほど、爆笑問題と太田光代の組み合わせというのは、この3人でなければあり得なかった天の采配だなと思わせる。そして太田と田中と組み合わせもしかり。高校時代、ひと言も口を利かなかったでの大学では友達を作るため社交性を発揮しなければと入試でヤジを飛ばしたが、「未だに(社交性とヤジの)区別がつかない」という太田。そんな彼を入学式で見つけ思わず声をかけ、最初の友達になった田中。その田中の特異性を光代はこう証言する。

「よく若手芸人に太田さんってツッコんでも大丈夫ですか?って聞かれるんですよ。太田はお笑いだったら何を言ってもある程度は大丈夫。だけど田中はやめたほうがいい。田中は『俺はお笑いじゃない』って言ったんです。『え? 爆笑問題ってお笑いじゃないの?』って太田が言ったら『俺は爆笑問題だけどお笑いじゃない!』って(笑)」。

土田が「類似タレントがいない」と評していたが、まさしく誰とも似ていない、どことも違う奇妙な関係性の“奇跡のふたり”だなと思う。

【関連】爆笑問題・田中「意外にアイツのこと好きなのよ」『爆さまネプナイン』で見えた関係性


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    毎夜ライフワークとしてテレビを観つづけ、テレビに関する著書やコラムを多数執筆する、てれびのスキマによる連載。昨日観た番組とそこで得た気づき、今日観たい番組などを毎日更新で綴る、2021年のテレビ鑑賞記録。

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1978年生まれ。ライター。テレビっ子。著書に『タモリ学』(イースト・プレス)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)、『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』(文藝春秋)など。

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