近年の黒沢清作品に欠かせない俳優となり、日本映画界でもほかに代えがたい特異な存在感を発揮している東出昌大。彼の最新主演作『草の響き』が、2021年10月8日に封切られた。
ライターの相田冬二は、「私たちは、東出昌大を前にして、途方に暮れている」と評する。その理由とは──。
俳優の奥底にある魅力に迫る連載「告白的男優論」の第13回、東出昌大論をお届けする。
黒沢清を虜にした男
今、最も刮目すべき男優。というより、いつになったら、名優認定されるのか。
いつだって、同時代的評価は当てにならないものだが、それにしたってどうかしている。これほどまでに異形の才能の持ち主が、正当な評価を獲得するに至っていない現実を、心底恥ずかしく思う。
黒沢清監督の寵愛を受けている、というより、溺愛されていると表現したほうが正確ではないのか。今の黒沢清はけっして量産体制ではない。にもかかわらず、東出昌大の黒沢映画登板回数は、わずか5年のうちに4回。その初回、『クリーピー 偽りの隣人』では、途中退場する役どころだったが、出演している誰よりも印象的だった。
竹内結子の叫びで壮絶に締め括られるあの作品に、それでも拭えぬ禍々しさがあるとしたら、それは西島秀俊や香川照之の狂気ではなく、余韻というレベルを遥かに超えた東出昌大という存在の【こびりつき】だった。東出は、タチの悪いシールのように貼りつき、いくらむしり取っても、粘着部分を残したまま、平然と居座る。私たちの深層にこびりついて、離れようとしないのだ。
そもそも、あの役はなんだったのだ。
天使か。悪魔か。被害者か。加害者か。善意か。悪意か。意識か。無意識か。同胞か。異邦人か。敵か。味方か。生物か。現象か。光か。影か。そのいずれでもないようでいて、そのすべてでもあるような。そんな、誰でもないからこそ、誰でもあるような、偏在する【もののけ】のような。どうにも解釈不能の、打つ手なし、思考の【ヘルプレス】状態に誘う幻惑的な存在として、彼はいた。
黒沢清は、すっかりその虜になったのだろう。そうでなければ、『予兆 散歩する侵略者 劇場版』で異星人を演じさせてはいないだろうし、その原型に相当する『散歩する侵略者』で最重要キーマンである謎の牧師役に起用するはずもない。この2作で、東出昌大は、完全に、黒沢清作品における【ゾーン】を手中に収めた。
【ゾーン】とは、何か。
人間ならざる者が、ひとり立つ場所である。そう、東出昌大は、いつも、ひとりで立っている。そのことに、私は畏怖を覚える。
つづく黒沢清との4度目のタッグ『スパイの妻 劇場版』では、それまでとは異なる、最も人間らしい役に扮した。かに見えるが、果たして、そうだったのかどうか。『スパイの妻』は、蒼井優の、そして、高橋一生の、狂気の純愛が際立つ作りにはなっている。この夫婦に較べれば、東出が体現した軍人は凡庸な人物にも映る。
だが……やはり、東出昌大は、ここでも、たったひとりで、唯一無二の【ゾーン】に立っていた。何ものにも、もたれかからずに。支えなしで、孤立無援のまま、立ち尽くしていた。その風情を目の当たりにすると、キャラクターの人物設定など、もうどうでもよくなる。
理由などないのだ。東出昌大は、ひとりで立っている。孤独という概念など、寄せつけないほど超然とした佇まいで、そこにいる。『予兆』の異星人は、孤独を知らないだろう。東出昌大に、私は寂しさを感じたことがない。他人から見れば孤独でしかない人物が、寂しさというありきたりの感情、感覚に取り込まれることなく、ただひとりで立っている。立っていられる。
だから、東出昌大のオーラは、フォルムは、非凡なのである。
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