「あなたの感じ方はあなただけのもの」ヤマシタトモコ『違国日記』で読み解くコミュニケーションと、“わかり合えない他者と生きる”こと
マンガの小さなひとコマに、さりげないひと言に、救われることがある。視界が開けることがある。わかり合えない私たちがそれでも手を取って生きていくために、あのマンガを読み解こう。ライターの羽佐田瑶子による、コミュニケーションやジェンダーを考えるためのマンガレビュー・エッセイ。
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わかり合えない他者と手を取り合うために
『FEEL YOUNG』(祥伝社)で連載中、『違国日記』作者のヤマシタトモコは過去のインタビューで「“人と人は絶対にわかり合えない”という漫画を描きたいんです」と語った。わかり合えない他者と共に、生きていくということ──。
交通事故で両親を亡くした15歳・女子高生の朝と、朝の母親の妹にあたる35歳・少女小説家の高代槙生は突然、共同生活をすることになる。たとえ同じ国に住んでいる遠縁だとしても、朝が「まるで違う国の人と話しているようだ」と表現するように、ふたりは性格も価値観も異なる。これまで母親の意見に従うことが多かった朝は、自分自身も一国一城の主のように考えや意見が存在していいことに初めは戸惑う。しかし、次第に感情を吐き出し、槙生と朝は時々交わったり離れたりしながら、物語が進んでいく。
「あなたの感じ方はあなただけのもので誰にも責める権利はない」
(『違国日記』1巻より/槙生)
「自分の言葉で生きていきたい」と誓いを立てても、気がつけば社会のようなものにのまれてしまう。他人の声に耳を傾けようと気にし過ぎてしまい、着飾った言葉を発してしまう。周囲の期待と理想の自分にしがみついて、本心を閉ざしてしまう。
自分にさえも本当のことを言えなくなっている感覚は、自分で自分を傷つけ他人に嘘をつきつづけているようで、悪循環にはまっていく。
中学生のころの私は、そんな感覚を知らなかった。違和感を覚えたら、意見を伝えて当然。まわりの目なんて気にせず、小さな声でもはっきりと伝える。相手が先生だろうと先輩だろうと、言い負かす準備がじゅうぶんにできている、今思えば非常に強気な中学生だった。まじめなタイプの私と異なり、自由気ままな不良風である同級生を心のどこかで見下して、自分は正しい、と酔っている部分があったのかもしれない。
「勉強ばっかりしてて楽しい?」クラスの真ん中で笑う集団に聞かれた。自習時間を自由時間だと捉えている彼らに、私は教科書をのぞき込んだまま伝えた。「私はあなたたちと違ってやりたいことがある。だから邪魔をしないでほしい」。シンと静まり返った空気は、彼らが鼻で笑ってくれたことでなかったことになった。
私は、彼らのことを何も知らない。将来の夢も、今の興味も語り合ったこともない。なのに、勝手にフィルターをかけて、社会の尺度ですべてを決めつけてカテゴライズした。そこに、相手の気持ちを推し量る優しさや個人を見つめようとする誠実さはなく、正しさという武器を振りかざして、一体何人の子を傷つけたのだろう。私はどんどんひとりになっていった。
しかし、漠然とした不安や寂しさが日に日に募っていった。些細な落胆や見えない将来を、ひとりで悩むことはあまりに心細かったのだと思う。私だって誰かと笑い合い、手を取り合って違う世界を見ることを欲していたと、槙生と朝の会話や槙生が卒業式に友人から手紙をもらうシーンから思う。生意気な口をきいてしまう強気な性格や相手を受け入れられない狭量さを省みながら、生まれ変わることを望んで、私は同級生が誰もいない学区外の高校を受験した。
空気を読んでスルーするほうが楽だけれど
「あなたがわたしの息苦しさを理解しないのと同じようにわたしもあなたのさみしさは理解できない それは あなたとわたしが別の人間だから …ないがしろにされたと感じたなら悪かった だから……歩み寄ろう」
(『違国日記』3巻より/槙生と朝の会話)
「…わかり合えないのに?」
「そう わかり合えないから」
槙生は、相手の意見を初めから否定したりしない。わからなくてもスルーしたり諦めたりせずに、自分の言葉にして伝える。事故で両親を亡くした直後の朝の「(悲しいか)わからない」と呟いた際には、「あなたの感じ方はあなただけのもので 誰にも責める権利はない」と伝えた。「わかるわ」と無理に共感することも「可笑しい」と常識に当てはめて非難することもせず、朝にしかわからない気持ちを尊重する。
空気を読んでスルーしてしまったほうが人間関係は楽なことも多いはずで、実際に槙生は「その「ふつう」がわたしにはできないので困っている」、「どうしてわたしはこんなに世界と繋がるのがうまくないんだろう」(3巻)と生きづらさに苦しんでいる場面もある。しかし、違和感に正直なのだろう。私の感情は私だけのもので、あなたの感情もあなただけのもの──「尊重する」けれども「違う人間である」ことを前提にしたコミュニケーションは時に厳しく残酷だけれど、誤魔化しがない。自分も他人も守れる誠実な態度だと思う。
「俺はそこ(男社会の洗礼みたいなもの)から降りる もうその土俵には乗らないと決めたら 急にいろんなことが楽になった(中略)それまでは周りに合わせてぐにゃぐにゃ形変えて だから「こうしかなれない」って自分のある人には憧れる」
(『違国日記』第7巻より/笠町)
元カレの笠町くんも槙生に影響を受け、優等生で聞き分けのよかった自己像から解放されていく。親や周囲から求められる理想どおりに生きることを優先し、相手に合わせて自分を変えながら、その理想にしがみついていた。
しかし、「違和感」に向き合って戦うことを決める。それは想像以上に苦しみを伴うもので、気がついたらベッドから起き上がれなくなっていたと、彼は当時を振り返る。だけど、「そこから降りて 逃げて やっと人間になれて初めて余裕が出た」(7巻)。そうしてもう一度、槙生との関係性を再構築していく笠町くんの存在は励まされる。
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