『くれなずめ』成田凌論──底辺に怯えと震えが潜んでいる。だから成田凌は愛らしい。

(c)2020「くれなずめ」製作委員会
文=相田冬二 編集=森田真規


東京に三度目の緊急事態宣言が発令され一度は延期となった映画『くれなずめ』が、2021年5月12日から公開されている。松居大悟監督&脚本による本作で主演を務めているのが、成田凌だ。

ライターの相田冬二は、「成田凌が、現代に渇望されているのには理由がある」という。俳優の奥底にある魅力に迫る連載「告白的男優論」の第2回、成田凌論をお届けする。

【関連】『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』佐藤健論──雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう

淡いフレンドシップ

映画『くれなずめ』主演・成田凌コメントムービー

成田凌が、現代に渇望されているのには理由がある。

硬軟どちらもいける変幻自在で柔軟性の高い演じ手だ。映画でもドラマでも、同性愛者を体現してきた実績は、彼の価値を表象している。成田凌が演じれば、ジェンダーの問題も、ごく身近に感じられる。フレンドリーなニュアンスをたたえた、嫌味のない低姿勢の演技アプローチが、現代とフィットしていることは見逃すべきではないだろう。

フレンドシップ。これは、成田凌を読み解くための有効なキーワードではないだろうか。

悪どい役も、俺様な役も、卑屈な役も、成田凌が表現すると、型どおりのものにはならない。紋切型がゆるやかにスライドし、私たちは無意識のうちに、その人物にフレンドシップを感じている。いや、友愛とまではいかないにしろ、ああ、同じクラスにひとりいたな、こういうヤツ、という雑感が生まれる。淡いフレンドシップ。これが、成田凌というチャームを司る、憎めなさの根本にあるものだと思う。

綾野剛と共演した近作『ホムンクルス』のクレイジーな青年医師が抱えていた闇は、語弊があるかもしれないが、なかなかにかわいかった。かわいい闇。そんな、本来あってはいけないものも、成田凌というフィルターを通過すると実在してしまう。そして、自然に受け取れる。ここも重要な点だ。

綾野剛主演『ホムンクルス』成田凌が謎の男を怪演

成田凌の表現は、鋭さに向かわない。前述したとおり、悪いキャラクターでも、だ。どこか、柔らかい。人間同士な感じがする。これが、成田凌ならではの、淡いフレンドシップと考える。

サバービアの憂鬱

なぜ、鋭い極に向かわないか。

断定調の表現には説得力がある。すなわち、わかりやすい。多くの観客は断定を求めている、とも言える。このキャラクターはこういう人物である、という断定は、メリハリの効いた演技を用意する。メリハリの効いた演技は観客への浸透性も高いし、何よりも、作品に貢献する。対立軸、つまり物語内における人物相関図をデジタルに明示する。こうしたわかりやすさは、快適さを生む。あれこれ考える必要がないので観客は楽でいられる。

しかし、成田凌は、断定調の演技=鋭い極には向かわない。人物を図式の中に当てはめることをしない。だから、ふくよかで豊かな表現が生まれる。

『窮鼠はチーズの夢を見る』の彼は、一途な純愛を生きながら、同時に打算的でもあり、しかし、己が向かうべき到達点が見えていない(設定できていない)脆さ、もどかしさがあった。

映画『窮鼠はチーズの夢を見る』90秒予告

一面的な人間はいない。が、多くの映画で、人は一面的に表現されている。鋭い極に向かっている。時間の問題はある。2時間やそこらで、人間の多面性を伝えることは難しい。だが、本当にそうだろうか。優れた演技者は、尺の問題を乗り越えて、限られた分数の中から、豊穣な人物表現を掴み取っている。

では、成田凌は、どのようにしているか。

人間の根底に、怯えと震えを潜ませる。それは大仰なものではない。微かな怯えと微かな震えである。

まったく怯えずに、まったく震えずに、生きている者は、この世にはひとりもいない。成田凌は、人間の普遍を忍ばせながら演じている。

だから、いくつもの矛盾するファクターが絡み合った『窮鼠はチーズの夢を見る』の同性愛者も、実にチャーミングに銀幕に顕すことができたのだ。

成田凌には、門脇麦との共演作が3本ある。『ここは退屈迎えに来て』『チワワちゃん』『さよならくちびる』(わずか7カ月のうちに立てつづけに公開された)。いずれも必見であり、成田凌の演技の真髄がよりよく体感できる。

橋本愛×門脇麦×成田凌!山内マリコの処女小説『ここは退屈迎えに来て』が映画化

とりわけ、『ここは退屈迎えに来て』は、成田凌ならではの怯えと震えの真骨頂であろう。時制と人物関係が入り乱れるやや複雑な群像青春劇だが、成田凌はここで、異性同性問わず、誰からも憧れられた高校生を演じている。キラキラの王子様に見えて、実は地方都市、あるいは郊外特有の悲哀が、無造作に張りついており、やるせない風情が(まだ10代なのに。しかもモテ男なのに)漂っていた。そして、それは、紛れもなく人間の真実なのだということが体感できた。

サバービアの憂鬱。
今、成田凌ほど、このテクスチャを表現できる存在はいない。

そう、どんなに多くの人に愛されていても、人間は憂鬱とは無縁ではない。『ここは退屈迎えに来て』の成田凌は、語られにくい真実の核心を突いている。

『くれなずめ』に不可欠だった成田凌の表現

この記事の画像(全10枚)


関連記事

この記事が掲載されているカテゴリ

関連記事

『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』佐藤健論──雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう

映画『ホムンクルス』に見る俳優・綾野剛──弱者を護ることができるのは弱者だけだ。

映画『ブレイブ -群青戦記-』に見る俳優・三浦春馬──その眼の表情こそオリジナリティにあふれている

ツートライブ×アイロンヘッド

ツートライブ×アイロンヘッド「全力でぶつかりたいと思われる先輩に」変わらないファイトスタイルと先輩としての覚悟【よしもと漫才劇場10周年企画】

例えば炎×金魚番長

なにかとオーバーしがちな例えば炎×金魚番長が語る、尊敬とナメてる部分【よしもと漫才劇場10周年企画】

ミキ

ミキが見つけた一生かけて挑める芸「漫才だったら千鳥やかまいたちにも勝てる」【よしもと漫才劇場10周年企画】

よしもと芸人総勢50組が万博記念公園に集結!4時間半の『マンゲキ夏祭り2025』をレポート【よしもと漫才劇場10周年企画】

九条ジョー舞台『SIZUKO!QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記

九条ジョー舞台『SIZUKO!QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記「猛暑日のウルトラライトダウン」【前編】

九条ジョー舞台『SIZUKO!QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記

九条ジョー舞台『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE』稽古場日記「小さい傘の喩えがなくなるまで」【後編】

「“瞳の中のセンター”でありたい」SKE48西井美桜が明かす“私の切り札”【『SKE48の大富豪はおわらない!』特別企画】

「悔しい気持ちはガソリン」「特徴的すぎるからこそ、個性」SKE48熊崎晴香&坂本真凛が語る“私の切り札”【『SKE48の大富豪はおわらない!』特別企画】

「優しい姫」と「童顔だけど中身は大人」のふたり。SKE48野村実代&原 優寧の“私の切り札”【『SKE48の大富豪はおわらない!』特別企画】

話題沸騰のにじさんじ発バーチャル・バンド「2時だとか」表紙解禁!『Quick Japan』60ページ徹底特集

TBSアナウンサー・田村真子の1stフォトエッセイ発売決定!「20代までの私の人生の記録」