宇宙を理解していたのに、人とコミュニケーションすることはできなかった
ひきこもり中も、「岩井秀人=孤高のハードボイルド」という大前提は崩れなかった。基本的に、この前提に基づいたひきこもり生活を送っていた。
「まったく外に出る用事はないが、ジェルで髪の毛をセットしてじっと洗面所の鏡を見つめ、氷室京介的な(波乱万丈な人生を送ってきた)顔をして部屋に戻る」みたいな生活である。
もうちょっと具体的に言うと、「洗面所で髪をセットし自室に戻り、氷室の曲を大音量で流しながら姿見の前で歌っていると、いつのまにか「好きな子を悪いやつから守る」というシチュエーションの空想が始まってシャドウボクシング→好きな子を助け出した勢いのままオナニーする」みたいな生活である。
現実はまったくと言っていいほどうまくいってないが、それとは別に理想の「岩井秀人」は強くてカッコよかった。
もう少し詳しく当時のひきこもり生活を振り返ってみたい。
僕にとってのひきこもり生活は、基本的には「外に出て失敗した」ということをとにかく考えないようにするためのものだった。外に出たときに食らった、脳というかなんというか核みたいなものへの傷が、放っておくとどんどん膿んでいく。
かといって「孤高の存在の秀人」には「相談」というコマンドは存在しなかったので、どうすればいいかは全然わからず、ただ時間が過ぎるのを待つという生活だった。部屋でやれるあらゆることをして、ただ待った。何かに夢中になっているうちは傷の化膿がいったん、止まるような気がした。
絨毯を端から描写していくだけの小説を書いてみたり(未完である)、自分をモデルにしたドクロ顔の主人公が犬のマスクを被り、父をはじめとした世の中の大人たちを殺す漫画を書いたり、ゲームもしまくった。し過ぎてコマンドウィンドウが現実世界にチラついていた(洗面所に向かう最中、視界の右上にコマンドウィンドウが見える。人間の脳というのはすごい)。
本も読んだ。村上龍と村上春樹が好きだった。村上龍からは「社会でなんとなく決まってるだけのルールを疑え」みたいなことを学んだし、村上春樹はなんつーかとにかくおしゃれだった。ただ、何かのどっかに書いてた「あなたのちんちんはレーゾンデートルね」みたいな一節にドン引きして以来、春樹のほうは読むのをやめた。
ハードボイルドな自分でいなければならない、の延長で「ほかの人には気づけない何かに気づくべきだ」という強い思いにも縛られていた。時間も無限にあった。部屋の中でぼんやりと思考を巡らせていた。
2019年に僕が演出した舞台『世界は一人』(パルコ・プロデュース)の中で「換気扇の音」についての描写がある。それも、この時期に「知覚」したもののひとつだ。換気扇が「ォーーン」と回る音が、ひとりで部屋にいるとよく聞こえていた。部屋でひとりって、別にいろんな人にあるシチュエーションだと思うけど、あれは「マジでひとり」のときに聞こえる、唯一の音だった。そのせいか、自分の中から鳴っているようにすら聞こえた。なんかそういうの一つひとつに、やたらと意味を見出そうとしていた。
ジミ・ヘンドリックスを聴いて「すべてのものは細胞とか分子とかちっちゃいつぶつぶでできている。そして、地球にあるつぶつぶの総量は変わらない。自然や人間は生まれたり死んだりしながらつぶつぶをシェアしていて、あらゆるつぶつぶの記憶が自分の中に宿っている。つぶつぶのかつての記憶が今、ジミヘンの奏でる振動によって呼び起こされる……。世界ってそういうことなんだ!」と、明け方に世界の真理を発見して半泣きで興奮していた。
今考えるとよくわからないが、あのころは宇宙を理解していた。
僕がひきこもっているころ、中学の同級生たちは社会に出て働いていた。「なんで働けるの?」と心の底から思っていたので聞いてみると「だって働かないと死んじゃうじゃん」と言われた。ショックだった。宇宙こそ理解していたものの、コミュニケーションをそつなくこなしたり、エクセルを使いこなしたりとかは全然できなかった。
ここまで部屋の中での生活を書いてきたが、ひきこもりと言っても、ずっと家にいるわけではない。外に出る日もあった。
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