新連載 岩井秀人「ひきこもり入門」【第1回前編】「外に出る」って、そんなに正しいですか?


「男たるもの・社会人たるもの」という価値観がひきこもりの土壌

僕が考えるひきこもりの定義は、「社会に参加していなくて、その状態を本人または家族が問題だと思っているかどうか」だ。一方、厚生労働省によると、ひきこもりとは「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6カ月以上つづけて自宅にいる状態」と定義づけられている。でも、ネットの普及した今の世の中なら6カ月以上外に出なくても仕事はできるし、ただ「家から出ない状態」だけを指して問題にする必要はないと思う。

内閣府の2019年の調査だと、ひきこもりの男女比は3:1と男性が圧倒的に多いという。この数字には僕自身も納得がいく。男女では社会から要請されている条件が違っていて、社会的地位を求めたり、弱音を吐けなかったりする「男たるもの」という価値観の厳しさが、多くの男性のひきこもりを生む土壌になっていると思うからだ。

ひきこもり時代、自転車に乗ってひとりで深夜に来ていた、小金井公園にて(2020年3月)

日本と環境が似ている韓国にもひきこもりがいる。5年ほど前、韓国で『ヒッキー・ソトニデテミターノ』を上演したことがある。その日のアフタートークでは、観に来ていた中年女性が「韓国にはひきこもりはいない」と話した。すると、隣に座っていた若者が「あなたが知らないだけで韓国にもいます」ときっぱり言い返し、ちょっとした言い争いになった。当時、韓国でもひきこもりが少しずつ認知され始めていた時期で、世代によって認識が違っていたのだろう。

韓国は日本と同じか、それ以上に「社会人たるもの」のハードルが高い。厳しい受験戦争に失敗したら顔を上げて歩けないと聞くし、年功序列が徹底しているぶん、年長者はそれなりの「社会的な人間」でなければならない。当然、経済的なゆとりもある程度ないと、社会人と認められない。求められる条件が厳しいと、そこからこぼれ落ちた人は社会にいづらくなる。家から出にくくなる。ひきこもりの誕生である。当然ながら、それだけ社会の目が厳しいのだから、一度ひきこもってしまうと途中から社会に戻るのが難しい。

日本の場合は似ているが、さらに悪い環境として、ちょっとでも人と違う動きをして失敗した人を責め立てる風潮がある。これもいわゆる「普通の社会人」という同調圧力ができやすく、ひきこもりが生まれやすい要因だと思う。

以前フランスを訪れた際に取材したが、ひきこもりはほとんどいないようだった。ヨーロッパでは多様性がよしとされ、いろいろな生き方を認めようという価値観が根づいている。もともと宗教や食べ物、言語が違う人たちが隣り合って暮らしてきた歴史があり、個人の違いをどうすり合わせていくかを幼い頃から考えつづけているからだろう。そうした環境では、人と違う考え方をする人を責めたりしないし、日本の「男たるもの」のような抑圧もない。

オックスフォード事典には「HIKIKOMORI」という単語が載っていたから、ヨーロッパ圏にも存在はしているようだ。ただ、フランスでは日本のひきこもりのような人には出会えなかった。取材のために何人か紹介してもらったが、彼らはみんなコミュニケーションスキルが高く、まっすぐこっちを見ながら「自分の現状と将来までにやり遂げたいこと」を順序立てて極めて流暢に話せるような人たちだったのだ。「ひきこもり有段者」としては「君たちはまだひきこもりに非ず」と聞いていた。もっと会話の能力を下げないとひきこもりとは認めんぞ、と。

話をしていく中で「あいつとかHIKIKOMORIかもね。ノーライフ。」という言葉を聞いた。なんでも学校に来なくてずっと家でゲームをやっているようなやつがひとりいるのだという。近い。近いぞ。どうやら「やつ」はずっと家にいて、「ゲームばっかりしてるんじゃない」と親から家を追い出されたけど、家の外壁にへばりつき、ぎりぎりWi-Fiがつながる場所でノートパソコンを開きゲームをやっているらしい。会うことはできなかったが、そいつこそは間違いなくひきこもり有段者だ。

「犯人はひきこもりだった」2019年に起きたふたつの事件

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