ターミナル(山田健人)|得体の知れないD vol.05


文=山田健人


2021年の3月、震災(Disaster)から10年(Decade)という節目にさまざまな「D」をテーマとしたイベント「D2021」が開催される。

連載「得体の知れないD」では、執筆者それぞれが「D」をきっかけとして自身の記憶や所感を紐解き、その可能性を掘り下げていく。

第5回の書き手は、Suchmos、米津玄師、菅田将暉などのMVを手掛ける気鋭の映像監督、山田健人。今回描かれる「D」は何か、なぜこの「D」なのか、思いを巡らせてほしい。

この空港には窓がない

今になって忘れ物があるなどと言い出したところで父も私も驚かなかった。

むしろ今回の旅行については予定を決めて準備にかかるところからあまりにも滞りなく進み過ぎていたくらいで、出発前に多少の問題があったほうが幸先よく感じられていいとも思ったくらいだ。

父が祖母を連れて一度家に戻る役を買って出たので2時間ほど空港で暇になった。しかし変わった空港である。初めて来たのだが名前は知らない ――いや正確に言うと知ることができないようなのだ。この理屈がそもそも理解できないのだが。

今朝の天気予報では終日曇り空と言っていたような気もするが、この空港には窓がまったくなくて空を確認することができない。滑走路に停まっているであろう機体すらも目に留まらないので、一見するとここが空港であるとはにわかには信じがたいのだが、道ゆく人々が皆キャリーケースを手にしていることと、乾燥した空気の流れだけがその手綱となった。

やることも特にないので早めにチェックインすることにする。
また出発直前になってあたふたするのは嫌だから、なんてことを考えながら目的のカウンターを地図で探していると、不思議とどうやら自分はすでにチェックインをすませているような気になってくるのだった。

「まぁ、いいか」「大丈夫」

思い返すと自分の独り言はやけに鮮明にめくれている。声のトーンという概念が存在しない乾いた自問自答を繰り返しながら空港を歩いていた。

ターミナルの入口を抜けると長い通路に出た。90年代のSF映画で宇宙ステーションの内部の表現に使われていそうなやたら機械々々している通路で、果ては遠くどこまでつづいているのかわからない巨大さである。

その通路から各搭乗口まではまたさらに個別のゲートが用意されていて、大きな扉が等間隔にずらずらとそびえ立っている。

扉の前にはそれぞれ受付があったので何かしら手続きをする必要性に駆られて向かった。

受付の前に着くとほかの客はいないようですぐに案内の声がかかる。

受付の女性はいわゆる“出し子”のような風貌で顔色も伺えず、基本的にほとんどしゃべらないのだが、なぜか彼女の口から「剛毅木訥仁に近し」に近い発音の言葉だけが延々とリフレインして聞こえてくるような気がしたのでそれを手続き完了の合図ということにし、扉の先に進んでみた。

大きな扉が機械音とともに開くとその先には螺旋状の通路が地下へとつづいていた。わかりやすく言うとまるで高速道路のジャンクションのような通路で、いざそこを歩いてみると蒸し暑い湿気と曲がった通路のせいで三半規管がやられていく。いったい自分がどれだけ地下深くまで来ているのか、その感覚がどんどん曖昧になっていくのだがこれがまたなんとも快楽的だった。

5分とも5時間とも取れる時間をかけて歩いて行くと、やがて通路は終わり大きな広間に出た。

あたりには火薬とアルコールランプの混ざったような匂いが充満している ――実際にはそんな匂いなどまったくしていない。一瞬でも冷静になって嗅覚に集中するとそんな匂いなどしていないことがわかるような気になれるが、あいにくそのような冷静さを持ち合わせていなかった。

この匂いを感じると同時にここが映画館であることが手に取るようにわかった私は、まずトイレをすませることにした。上映中にトイレで離席するときに横の客をかき分ける、あのなんとも申し訳ない心情には何歳になっても慣れないので、少しでもそんなリスクは回避したかったのだ。

なるべくゆっくり走ってくれ


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