東出昌大の“人生相談”連載がスタート。第1回「大人ってちょっとずつ、建前のルールを破る」

東出昌大の“人生相談”連載【連載】赤信号を渡ってしまう夜に

取材・文=安里和哲 撮影(TOP画像)=西村 満 編集・文(リード箇所)=菅原史稀


世間は東出昌大に対してさまざまなイメージを持っている。あのスキャンダル以来、悪印象を抱く者も、「山ごもり生活」やメディア出演を通して、印象が塗り替えられたという人もいるだろう。2023年末の取材時に抱いた、彼のイメージを率直に表せば“深慮”そして“真摯”だ。

こちらの問いへ真摯に言葉を尽くしつつも、ありふれた「正論」ではなく、あくまで自分が置かれた立場から導き出される言葉を探す、その姿が印象的だった。インタビューが進むにつれ、“東出昌大”という人物像の輪郭がどんどんと広がっていくのを感じながら、「この人をもっと知りたい」という思いも強まった。

取材の終わり、彼はこう言った。

「人から悩み相談を受ける機会も増えたんですよ。すねに傷のある僕にしか話せないこともあるらしくて」

「昔は作品を通じて、観客やファンの方、同業者とコミュニケーションが取れればいいと考えていて。でも、やはり純粋に会話や相談というかたちで交流することも必要なんですよね。こんな時代だからこそ、もっと話したほうがいい」

インタビュー<東出昌大が考える、“SNSの炎上”との正しい向き合い方。「ネットの誹謗中傷は、便所のラクガキ」>より

価値観が流動化し、対話が難しくなった現代。それでも東出は「こんな時代だからこそ、もっと話したほうがいい」と言いきる。

一度はどん底を見た男がそう言うなら、胸襟を開いて話せる気がする。そこでQJWebは、読者からお悩みを募集し、東出による人生相談の連載企画を設けた。彼が紡ぐ言葉は、この息苦しい社会の間隙を突く。ここにあるのは正論ではなく、悩める人たちと、ひとりの実直な男の対話だ。

【連載】赤信号を渡ってしまう夜に(東出昌大)記事一覧

人生相談という企画には限界がある

写真提供=東出昌大

この企画を引き受けてくれた理由を改めて教えていただけますか?

僕もいろいろあって独立したり移住したりしてから、相談を受けるようになったんですよ。同業者や友人はもちろん、ファンや一般の方々からも問い合わせがあったりして。そういう状況もあって、演技以外のかたちでいろんな人と対話してみてもいいのかなと思い始めたんです。

SNSは性に合わないけど、こういうかたちでコミュニケーションが取れるならアリだなと。ただ、いざ集まった相談を読んでみると「これは大変な仕事になるかもしれないぞ」と尻込みしてます(笑)。

なぜですか?

相談ってまず「ちゃんと話を聞く」っていうのが前提にありますよね。でも、こうやって文章のかたちで読むと、僕が相談者の意図をちゃんと汲み取れているのかわからない。そもそも相談を理解できているのかどうかといった不安があります。

あと、僕は相談者のほうの意見しか聞けないじゃないですか。当然のことなんだけど、これはけっこう悩みどころですね。相談者Aさんの悩みのタネである、Bさんの事情は何も聞けない。Aさんの主観に沿って回答するしかないから、僕の回答は必然的に偏ってしまう。人生相談という企画は、あらかじめそういった限界を抱えているなと。でも、できる限りのことはやってみたいなと思っています。さっそく始めませんか? やってみないとわからないこともあるだろうし。

母が赤信号を渡った夜

Letter No.01
自分の両親は父親の仕事の失敗とそれに伴う借金のせいで約35年前、自分が高校生のときに離婚しました。借金から逃げ、母親だけに働かせた父親のことは勿論恨みましたが、父親のような男と結婚した母親のことも少なからず恨んでしまいました。 

自分自身、人生の折り返し地点を過ぎた年齢になった今でも、昔両親に対して抱いた恨みの気持ちがふと現れてしまい戸惑ってしまいます。心のどこかで未だに両親を許せないでいる自分は、心の狭い人間なのではないかと自己嫌悪に陥ります。 

心の持ちようを教えてください。

この企画では「わかった気にならない」ということを大事にしたいので最初に断っておきたいのですが、率直に言うと、僕にはこの相談者の気持ちを想像するのはとても難しかった。だから「両親を許せない」感情に寄り添った回答はできないと思います。

親を「許す」とか「許さない」とかって、決めなくていいと思うんです。そこは忘却するしかない。永遠に忘れるのは無理でも自分の人生をやっている間は忘れられるから。自分が何を楽しいと思うのかを考えて、自分の利益を追求する方向にシフトしていけたらいいですよね。

感情は自然と湧き起こってしまうものだから、それを抑えろなんて僕には言えない。でも、この質問者自身も、親の呪縛から抜けたほうが、今を楽しく生きられると思うんです。ネガティブな思いをずっと抱き続けるのって、エネルギーがいるし大変ですよね。そのしんどさから抜けるために、自己の世界で完結させる方向性で物事を考えていったほうが、ラクになれるんじゃないかな。

過去に囚われてしまっていると、自分の人生を生きられない。

そうですね。たしかにひどいことをされたんだけど、それはもう起こってしまったことだし、相手を責めても過去が変わるわけじゃない。そこは割り切って自分の人生を生きるほうにシフトできたらいいなって思います。なかなか難しいとは思うんだけど、少しずつね。

親も子供も結局みんな個人じゃないですか。だから、いつまでも親子であるっていう関係性にこだわってしまうと苦しくなるんじゃないかな。

東出さん自身は、親に対する葛藤はありませんでしたか?

どうなんだろう。普通によく育ててもらったと思いますよ。

ただ、僕は自分が「大人だ」と母親に認められた日のことは覚えてますね。当時僕は高校生で、12月の忘年会シーズンでした。両親は共働きで飲食店を経営していて、年末は特に忙しかった。僕も店で過ごすことがたまにあって、その夜は店から一緒に家に帰ったんですね。

父はひとりでずんずん行くんだけど、そのうしろを母はトボトボ歩いている。僕はなんとなく母を気遣って、少し後ろを歩いていました。すると、母が赤信号なのに横断歩道を渡ったんですよ。たしかにその道は夜中にはまったく車が通らないので、僕もひとりでいるときは赤信号で渡るような道でした。とはいえ、母が子供である僕の前で信号無視したことにはびっくりしました。同時に、自分はもうひとりの大人なんだと実感したんです。

どういうことでしょうか?

母も、幼いころの僕には「赤信号を渡っちゃダメ」って教えたはずなんです。実際、その瞬間までは母は僕の前では赤信号で必ず立ち止まっていた。子供のうちは自分の頭で考えられないから、「赤信号は渡ってはいけない」と杓子定規に教えることが必要だった。

でも、母はその教えを自ら破ってみせた。それは高校生の僕なら「いいこと」と「悪いこと」の分別がつくと信頼してくれたからだと思うんです。つまり、大人だと認めてくれたんだなと。お互い無言だったけど、伝わってくるものがありました。

大人ってちょっとずつ建前のルールを破ってるし、子供の前では強がってても、実はひとりの人間として疲弊している。そんな大人の本当の姿を、あの夜の母は見せてくれたんだなと思います。

注:道路交通法第7条では歩行者が信号に従う義務が定められており、これに違反した場合は罰則を科される可能性があります

“教えられること”もコミュニケーションの一環

Letter No.02
東出さん、はじめまして。相談なのですが、移住先にどう自分を馴染ませるか?みたいなことをぼんやりと悩んでいます。 

趣味の山登りがもとで、4年ほど前に都内から地方に移住しました(猫一匹と人間ひとりの小規模な生活なので、移住というのは大袈裟ですが)。 

今住んでいる土地は本当にいいところで、質素ながら不自由のない楽しい毎日です。ただ、だからこそなのか、自分はこの場所から貰ってばかりだなあと思います。恩を返せていないというか。いつまで経っても「お客さん」だな、みたいな歯痒さがあります。まわりの人たちは快く自分を受け入れてくれますが、それに応えられているかというと難しいところです。

東出さんのインタビューを読んでいて、住んでいる土地との関わり方の濃密さがすごいな、と思いました。移住先の土地を構成するひとつのピースとして、凸だけでなく凹もハマって噛み合っているような感じというか。

移住者として、その土地に深く根ざし関係を持つことに苦労があったのでは?と思うのですが、どうやってその場所に関わっていったのかをお聞きしたいです。都市部から地方に移って今に至るまでの、具体的なことであれ、心構えとかメンタル的なことであれ、プロセスを教えてもらえたらうれしいです。 

僕も移住してまだ2年で、試行錯誤の段階です。だからこの方と同じように、僕もいただいてばっかりで全然お返しなんてできてないです。

ただ、最近気づいたのは、与えられることに引け目を感じる必要はないということ。たしかに近所の方々は「この野菜、作りすぎたからやるよ」って言ってくれて、僕にとってはそういう優しさがすごくありがたいんだけど、まったく恩着せがましくない。見返りなんて気にしてないんだなって思うんです。そこにずっと住んでる人たちって「優しくしてやろう」っていう気持ちで与えるんじゃなくて、ごく自然なコミュニケーションの一環で与えてくれるんです。

僕は田舎ではひよっこなので、何もお返しできない。近所の人たちも、僕から何かもらえるだなんて期待してないんですよ。でもそのぶん、感謝はちゃんと伝えるし、ここが好きですっていう気持ちもなるべく伝えるようにしています。まぁ褒めすぎるとリップサービスっぽくなってしまうんだけど。

東出「仲間と一緒に小屋の上に乗り、屋根を張ったときの一枚です」

東出さんは「お客さん」だっていう意識に共感する面はありますか。

いや、 「お客さん」だとは思わないです。だってもう生活してるから。ここが僕の本拠地だし、別にまわりの人たちも「お前の生活を認める」とか思わないでしょうし。

「地域になじむ」っていったいなんでしょうね。僕は、よく生活の知恵を聞きに行ってます。たとえば、きのこの見分け方とか。別にこっちが対価を用意しなくても、聞いたら教えてくれる。そうやって知識を与えてもらうだけで、コミュニケーションって成立してて。それもひとつのなじみ方なのかなと思います。

まぁ図々しいんだけどね。でも、いろいろ教えてもらうことで関係性は深まっていくから。未熟者として教えを請うのはいいのかもしれない。僕だって後輩に聞かれたら、普通に答えるし、そうやって仲よくなることもあるだろうから。

東京に住んでいるころから、人に相談するタイプでしたか?

役者として働き始めたころは、やたら相談するタイプだったかもしれないです。でも演技の悩みとかって聞いたところでわからないんですよね。演技は「自分で気づけ」ってことでしかないので。その点、生活の知恵には道理があるので教えてもらえるんですよ。

東京で生活する上で、人に聞かないとわからないことってほとんどないですもんね。全部ネットで調べちゃえばいいというか。

そうそう。でもね、「知る」と「わかる」もぜんぜん違うと思うんです。東京に住んでると、誰かに直接聞くのも時間取らせちゃって悪いから、まずはネットで調べてみる。それで知ったつもりになるんだけど、その知識って生きてないんですよね。

僕も田舎に来て最初のころはネットで調べていろいろやってました。「干し柿の作り方」って検索して万全の準備をして作った。しかし腐らせてしまったんです。あとで地元の人に聞いたら「お前はバカか? 山なんだから靄(もや)が出るだろ。濡れて腐るんだよ」って言われて、そこで初めて干し柿は低地じゃないと作れないってことを教えてもらいました。

ネットにはない、生きた知恵は、その土地で生活している人に聞くのが一番。せっかく田舎に住んでるなら積極的に聞いていいと思うんです。そうやってその土地のことを教えてもらったら、徐々になじんでいくんじゃないかな。

東出の人生相談連載「赤信号を渡ってしまう夜に」は、月2回のペースで公開。2024年2月号は、近日公開予定の後編へ続く

本連載では引き続き、読者の皆様から人生相談を募集中! 東出さんに相談したいお悩みがある方は、どうぞ下のボタンをクリックしてお寄せください(※お答えできない場合もございます。あらかじめご了承ください)

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安里和哲

(あさと・かずあき)ライター。1990年、沖縄県生まれ。ブログ『ひとつ恋でもしてみようか』(https://massarassa.hatenablog.com/)に日記や感想文を書く。趣味範囲は、映画、音楽、寄席演芸、お笑い、ラジオなど。執筆経験『クイック・ジャパン』『週刊SPA!』『Maybe!』..

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