新型コロナの余波でイベント中止リスクを負うのは誰なのか(九龍ジョー)

2020.2.28

積み重ねてきた文化芸術への軽視

もうひとつ気にかかるのは、なぜまっさきに「多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベント等」なのか、という点だ。濃厚接触という観点に立つとき、それらは、識者の多くが指摘する満員電車などへの具体的な施策よりも優先して言及されるべきことなのだろうか。

新型コロナウイルス_九龍JOURNAL_4
2月27日には新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため全国の小中高校や特別支援学校に休校要請が出された

そこには、どうしてもこの政権が重ねてきた、カルチャーや芸術に対する軽視を思わずにはいられない。軽視というよりも、一種の目くらましだ。

もともとカルチャーや芸術は、権力によってコントロールされやすいものだ。なぜならそれは、興味のない人間にとって、「なくても困らないもの」だから。たとえば、あるミュージシャンのライブが中止になったとしても、ファン以外は「へー、大変だねー」ぐらいにしか思わないだろう。

カルチャーや芸術には得てしてそういう側面があり、だから声がひとつにまとまりにくい。この「まとまりにくさ=多様性」こそが文化の苗床なのだが、政府はその間隙をつくように、前述のごとき丸投げアナウンスをし、その補償に言及することもない。

繰り返すが、今に始まったことではない。

昨年の「あいちトリエンナーレ」では、外部有識者による審査委員会を経た上で交付決定したはずの補助金(文化庁)が、「申請時の手続きの不備」を理由に、開催後になって当該審査委員への意見聴取もないまま、省庁トップの独断で不交付となる一件があった。

同じく昨年公開の映画『宮本から君へ』でも、麻薬取締法違反で有罪判決を受けた出演者のシーンをカットしなかったことを理由に、文化庁所管の独立行政法人(日本芸術文化振興会)による助成金の交付内定が打ち切られた。

両者は鈍い音で響き合っている。どちらも憲法で保障された「表現の自由」への侵害であると同時に、てめえのものでもないカネで人を懲罰し、その波及リスクなど知ったこっちゃなし、どうせ多くの国民は無関心だろうし、と見くびる権力者のコスい性根が見え隠れする。

もう一度、安倍総理のアナウンスを確認してみよう。

「今後2週間は、中止、延期又は規模縮小等の対応を要請する」

改めて「対応を要請する」という言葉の軽さが目につく。カルチャーや芸術は、それに関心のない人間からすればとるにならないことかもしれない。それを見越したように、平気で「自粛せよ」などと言う。

いくつものイベント中止の報を見るにつけ、確実にこの国の文化は、草の根からダメージを受けつつある。かつて故・川勝正幸は「ポップ・ウィルス」という言葉をつくった。だが、その宿主が生きていくための健康で文化的な最低限度の生活すら、じりじりと切り詰められているのが現状だ。

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