女性蔑視、痴漢、ハラスメント…「愚行おじさん」に怒るおじさん予備軍(ウイケンタ)
39歳になり、とある「怒り」を感じることが増えたというライター・コラムニストのウイケンタ氏。自身の経験を踏まえ「生きやすさ」について気づいたこととは?
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目次
「30歳を過ぎたら5年に1回しか年を取らない」感覚
この夏、39歳の誕生日を迎えました。
30代になってから誕生日に一喜一憂することが減ってしまいました。僕は「30歳を過ぎたら5年に1回しか年を取らない」ということを感じます。30歳から34歳は同い年、35歳から39歳は同い年という感覚です。
34歳はアラサー、35歳はアラフォーと言われることが多いので、一応ここの区別はしていますが、30代の日々は20代よりも淡々と過ごすことが多く、僕のように結婚してこなかった独身はライフイベントの少ない日々ですのでひとつ年を取ろうが去年となんら変わらぬ、まるでドラマの再放送のような日々がやってくるわけです。実際、38歳から39歳になったときは物音ひとつ立てずに年を重ねました。
しかし、そんな謎の理論に身を任せ、のらりくらりと牧歌的に過ごしていた30代もラストダンス。来年は40歳です。
「若者」「おじさん」の定義とは
ここ数カ月、コロナ関連のニュースでよく耳にするワードがあります。「特に20歳から39歳の若者層で感染が広がっている」です。なるほど、30代は若者か。
そういえば渋谷にできた若者専用ワクチン接種会場も「対象は16歳から39歳までの若者」と報道されていました。なるほど。39歳はまだ若者らしいです。
つまり、それは「40歳は若者ではない。まごうことなきおじさんである」ということを意味しています。
そんなまごうことなきおじさん予備軍こと、僕。
最近「怒り」を感じることが増えました。その怒りとは、一部のおじさんに対する怒りです。
カフェで出会った「愚行おじさん」の話
つい先日、カフェのカウンター席でパソコンを開き仕事をしていました。そのカウンターには各席にコンセントがあり、Wi-Fiも完備です。つまり、そこでスマホやパソコンを操作してもいいですよというカフェです。
平日の午前中。カウンターには僕以外に女性がひとり。真剣な顔でキーボードを叩いています。
そんなとき、入店してきた年配の男性がまっすぐ女性に近寄り、こう言いました。
「電磁波をっ! まき散らすな! 頭がおかしくなる! しまえ! しまえ!!」
大声です。コロナ禍になってからずいぶん他人の大声を聞いていなかったので驚いてしまいました。
女性は混乱しているのか「え? はい?」という返答を繰り返すばかり。おじさんはパソコンを指差しています。どうやらパソコンから発する電磁波的なものが不快だからしまえという主張のようです。
これです。僕が最近新たに感じるようになった「怒り」。
女性や子供など自分よりも身体が小さな相手にだけ強い態度を取るおじさん。女性蔑視をするおじさん。セクハラ・パワハラするおじさん。痴漢で捕まるおじさん。歩きタバコをするおじさん。最低限の身だしなみに気を遣えないおじさん。駅で無意味に女性にぶつかるおじさん。その他、さまざまな愚行を行うおじさん。
これらのおじさんに、僕ら30代後半の「おじさん予備軍」は静かに怒っているのです。
本来、人間は年を取れば取るほど生きやすくなります。かわいいと感じる対象がどんどん増えていき、いろいろなものを許せるようになります。他人はもちろん、自分への許容範囲もグッと広がるのです。理想と現実の間に「これだ」という納得できる着地点を見つけ、そこに上手に着地できるようになるのです。
それはとても人生を楽しくする変化であり、実際20代前半よりもアラサー、アラサーよりもアラフォーになってからのほうが人生の楽しさが増し、難易度は下がりました。
それなのに、一部のおじさんに対する怒りは増えるばかり。こういったおじさんが、僕らおじさん予備軍がこれから生きるであろう世界を生きにくくしているのです。
カフェで女性に怒鳴り散らしているおじさんは、僕には何も言ってきませんでした。パソコンを使っていた女性と、様子を見に来た女性店員にも何か怒鳴り散らしています。
ちなみに僕は身長177cm、ジムで鍛えているゴリラ体型、アウトドア歴15年で肌は年中色黒で、ついでにヒゲ面です。
僕に映画『ハルク』のような、怒りの感情を物理的な力に変える能力があれば、その場で電磁波おじさんの足を持って振り回していたと思います。しかしそんな力はありません。でも放っておけない。僕が放っておけないのは女性ではく、おじさんの地位を低下している「愚行おじさん」です。
「電磁波、僕もですよね! パソコン使っているからね! すいませんね。電磁波、すいませんね。デンジハ、スイマセン、スイマセンッ! デンジハッ!」とおじさんの目をまっすぐ見て、立ち上がり、謝ります。まあまあ声も張りました。ブラック企業に勤務していたころの朝礼くらい声を張りました。おじさんは「なんだよテメエはよう……なんだよ」とモゴモゴ去っていきます。
僕たちおじさん予備軍は、自分たちがこれから属するおじさんという生き物の地位向上に努めなければいけません。
なぜなら、愚行をするおじさんの存在のせいで、この世には「おじさんはどれだけ叩いても大丈夫。頑丈だから。おじさんは強く叩こう」という見えない暗黙のルールが生まれているのです。
これは、脅威です。すごく恐ろしいことです。僕たちおじさん予備軍は怯えている。これから自分が生きる世界に。まるで潔癖症の世界を生きる細菌です。
一部の「愚行おじさん」のせいで、肩身が狭くなる人々
歴史的に見れば確かに成人男性は、昭和や平成の初めくらいまでは社会的強者のように振る舞ってきたのかもしれません。実際、今でもそのことにしがみついている化石のようなおじさんもいます。
しかし、一定数のおじさんはそこから脱却しているし、謙虚に、慎ましく、人生と呼ぶよりは生活と呼んだほうがしっくりくる毎日を一所懸命生きているだけなのです。
身だしなみにも気を遣う人だってずいぶん増えたと思います。
中にはフェミニズムやジェンダーについて知識を深めようと勉強しているおじさんだっています。もちろんそれはおじさんに限ったことではありませんが、万が一本人の知識不足で誤解を招くとおじさんは即刻リンチに遭います。強めのリンチです。しかも、一番強く叩いてくるのはおじさんなんですよね。
それなのに、今日もたくさんのおじさんたちがテレビで耳を塞ぎたくなるような発言を繰り返し、間違ったSNSの使い方で世間を賑わすのです。
そんなおじさんのせいで僕たちおじさん予備軍の肩身は全体的にどんどん狭くなるし、何を発言するも、行動するも、明日は我が身と、実はいつもおっかなびっくり。いつだって横目で周囲をよく確認して、自分の立ち位置が安全圏なのか確認しています。
一人ひとりの行動が「女性の生きやすさ」につながっている
今回の件で、同時に感じたことがあります。
僕はカフェでの出来事で「女性が『生きにくい』と言っている世界はこれのことか!」と、まるで初めてその現場に立ち会ったかのようなことを感じたのですが、絶対に初めてではないのです。
きっとこれまでもたくさん同じような現場に立ち会っていたし、目撃もした。でも、それが「女性が感じている生きにくさ」という認識ができなかった。知識がなかったから。
今回のケースで言えば「女性が困っているな」という認識ではなく「変なおっさんが騒いどるな」という認識だったでしょう。
それは同時に、僕の発言や言動が女性の生きにくさに加担していた可能性も大いにあるということです。
SNSで女性の生きにくさについての発信を目にするようになり、政治家や有名人が女性蔑視発言で自らの立場を悪くし、女友達からは「駅でおじさんがぶつかってくる」ということを聞いていたので「女性が生きる世界はおじさんによって生きにくくされている」という認識はずっとありました。
しかし、自分がおじさん予備軍になり、愚行おじさんに怒りを覚えるようになって、ようやく女性が受けてきた扱いに本当の意味で気づくことができました。
我々おじさん予備軍が、自らの世界を生きやすくすることで、それが巡り巡って女性の生きやすさにつながるのではないかと信じ、若者ラストである39歳を過ごしたいと思います。
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