「ジェンダー的にはいい!けど…」な作品との向き合い方

2021.8.17

本題

前述の2作に限らず、ジェンダー論やフェミニズム、クィアスタディーズの考え方に立脚した作品は、映画、マンガ、テレビドラマ、ネット配信ドラマ、楽曲など、さまざまな媒体で日々作り出されている。単にジェンダーやセクシュアリティの観点で正しい・適切なだけでなく、エンタテインメントとしておもしろいと評価されるものが代わる代わる話題になり、界隈で感想が交わされ合う。

で、ようやく本題。この記事で考えたいのは、“そうじゃない”場合のことだ。また、ある一面では好意的に評価できる作品も、また別の面では……ということもあるだろう。『ブラック・ウィドウ』にしろ『キャプテン・マーベル』にしろ人によってはそうだろう。この記事ではポジティブなポイントに絞って紹介したけれど、作品として非の打ちどころがないともオールタイムベストとも思っているわけではないし。

身の回りのフェミニストたちと斯界の話題作の感想を交わす流れのなかで、こちらの出方を窺うように、頃合いを見計らうように、ほとんど懺悔に近いトーンで神妙に「でもあれさ、正直私あんまりだったんだけど……」「好きだったらごめんだけど、ちょっとさ、つまんなく、なかった……?」と打ち明けられることがたびたびある。聞き覚え、あるいは言い覚えがないだろうか。

つまり、ジェンダーにまつわる部分はいいメッセージが表現されているけれど、作品としておもしろかったかと言われると口ごもってしまうような、ピンとこなかった作品との向き合い方に難しさを感じている人は少なくないんじゃないだろうか、というのがこの記事の本題だ。

世間的な(コミュニティ内での)評判は盛り上がっているけれど、話としてはちょっと、ちょっとどうなんだ……!? という。キャラクターはガールクラッシュで魅力的、かけ合いにエスプリが効いてる、だけどちょっと、脚本は平凡じゃない……? ちょっと設定がベタな気がしない……?

コミュニティのムードに水を差す感想は言える相手がなかなかいない。一緒に盛り上がれない自分が、なんだかジェンダー論やフェミニズムの観点でも“なってない”人間に思えてくる。この作品をNot For Meに感じるのは、自分がまともなフェミニストじゃないから?

そういう負い目から、懺悔のようにかしこまって低評価を打ち明けられることが多々ある。最初はあまりの神妙さに笑ってしまったけれど、何度も似た告白を受けるたびに、この息苦しさは存外根の深い課題なのかもと思うようになった。

批評の意義

ジェンダーに関連して物議を醸す公共の施策が取り沙汰されるとき、弁明の常套句として「なんにせよこの問題が可視化されたことに意義がある」みたいな言い回しがよく使われる。とっくに食傷なのでそろそろよく使うのをやめてほしいところだけれど。

この常套句の不誠実なところは、“ジェンダーに関する事象を扱う”というプロジェクトの“前提条件”を“成果”に見せかける欺瞞だ。そして、何かポジティブ要素があったところでネガティブ要素と相殺されることはない。で、そもそもそれはポジティブ要素でもなんでもなく前提条件だ。

そして可視化も何も、そんな問題は遥か昔に俎上に載せられている、というパターンも少なくない。お前に見えてなかっただけだろという話。

確かに、なんであれ取り沙汰されることをありがたがらざるを得ない時期というのはさまざまなジャンルにおいてあるのだろう。ただ、“ありがたがれ”という圧をかけて後ろ暗い何かを正当化することはできない。単純にそれとこれとは話が別だし、ありがたがるかどうかはこっちが決めることだ。

何より、単に人口に膾炙(かいしゃ)することをありがたがっているだけじゃ先がない。内容の良し悪しが批評されないと、界隈全体がアップデートされていかず、よりよいものが生まれる土壌が育たず先細っていく。

フィクション作品の場合は特にそうだろうと思う。

気がつけば、表面的な“女アゲ”的なノリのコンテンツならもうそこらじゅうにいくらでもある時代だ。クィアベイティング(※3)を見分けてコミュニティを守るためにも、単にアゲなだけのコンテンツをいつまでもありがたがっている時代じゃない。わざわざあんなものはつまらんと言って回るべきという話じゃなく、祭り的なムードに心身を預けて全肯定する前に、各々の中にある違和感を口に出すことを許し合う意識をしてみるとよりハッピーなんじゃないかということ。それをやっていかないと結局先細っていくし、そんなに物怖じすることでもないようにも思う。

祭りに参加しない人に敬意を払っていきたい。少なくとも人でなしみたいな気分で孤立させたくない。熱狂のムードの外にいる人たちの抱いた違和感、批評がより未来をおもしろく気持ちよく切り拓くから。全肯定する人ばかりじゃないよね、聞く耳を持ってるよ、というのが伝わるようなあり方を意識していきたい。

※3 クィアベイティング:表面的にセクシャルマイノリティにフレンドリーなスタンスをパフォーマンスすることで集客・支持を得ようとする振る舞い。

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