「ジェンダー的にはいい!けど…」な作品との向き合い方
ジェンダー論やフェミニズム、クィアスタディーズの観点を踏まえた上で、エンタテインメントとしておもしろいと評価される作品が断続的に発表されている現在。そんななかだからこそ生じる作品との向き合い方の難しさについて、ライターのヒラギノ游ゴが考えていきます。
※この記事は映画『ブラック・ウィドウ』と『キャプテン・マーベル』の結末までの内容を踏まえて書かれたものです。未見の方はご注意ください。
ブラック・ウィドウのラスボスの話
『ブラック・ウィドウ』を観た。ラスボスの設定がよかった! まだ少ない女性ヒーロー(※1)がタイトルロールを務める作品としてやるべきことをやっているように思えて頼もしく感じた。
本作で主人公ブラック・ウィドウが最後に戦うドレイコフは、世界中から女児を拉致・洗脳し、エージェントとして陰謀に加担させてきた組織のトップ。ブラック・ウィドウ自身、かつてこのエージェントの一員だった。
彼はなんの特殊能力も持たないどころか、単純な身体能力にも冴えたところのない肥満の中年男性だ。そんな彼がいかにしてクライマックスでブラック・ウィドウを追い詰めたのか、その設定「フェロモン・ロック」に製作者側の意志を感じた(実際どれだけ意図的なものかは断言できないけれど)。
フェロモン・ロックとは、彼のフェロモンを嗅いだ者から彼への害意を奪うというもの。要は彼を攻撃できなくさせる一種の暗示だ。彼はブラック・ウィドウが自身の組織にいたころ、彼女に(ほかのエージェントにも)これを施していた。
強大な暴力で従わせたり、武装したり、正体を隠したりするんじゃなく、抵抗する意志自体をもとから剥奪するシステム。
“抵抗する意志を奪う”こと。これは、これまで女性が家父長制に基づく社会構造の中で強いられてきた不均衡と符合する。不均衡が前提として組み込まれた社会のありようを日々の暮らしの中で思い知らされ、「どうせここで声を上げたって変わらない」「笑ってやり過ごすしかない」「今我慢すれば命までは取られない」と刷り込まれていく。
フランチャイズ作品でサノスを超えるわかりやすい“強さ”を示すヴィランを出すわけにはいかないという都合を鑑みても、ドレイコフのスペックは絵面として極めて地味だ。それでもこの設定をもって彼に“象徴させる”べきだという製作者側の意志を感じる作劇だった(※2)。
※1 ここでは(主に本邦で)「ヒロイン」という言葉に付与されるイメージとの区別のため、少なくとも暫定的に「ヒーロー」と呼ぶことにする。
※2 作品の内容に関しては感じ入るところがあったけれど、公開後にスカーレット・ヨハンソンとディズニーとの間に公開の形態をめぐって訴訟が起こっていることに触れずにこの記事を終えたくはない。スカーレットの訴えが事実なら、ディズニー側が一方的に取り決めを反故にし、補償をしなかったことになる。
キャプテン・マーベルのラスボスの話
ドレイコフを見て即座に思い出したのが『キャプテン・マーベル』だ。こちらの作品でも、ラスボスとの戦いのシーンが示唆に富んでいた。
この作品のラスボスにあたるヨン・ロッグは、主人公キャプテン・マーベル=キャロルがかつて所属していた組織の教官。キャロルはこの組織「スターフォース」を、宇宙の秩序を乱す者を取り締まる戦士たちのチームだと信じていた。しかしその実、無辜(むこ)の宇宙人を迫害し搾取を行うクソ集団だった。
そうした事実を知ったキャロルは、ヨン・ロッグとの一騎打ちに臨む。自分の過去との決別の意味もあるクライマックスだ。
ヨン・ロッグは資質を買っていた元教え子と決闘に至った感慨を語り、武器を捨て、素手で私を倒してこそ一人前だ、私に己の強さを証明しろと啖呵を切る。これへの返しが素晴らしかった! キャロルは気持ちよくとうとうと語りつづけるヨン・ロッグに構わず、素手……からエネルギー波を撃ち出す能力で彼をふっ飛ばし、「証明なんて必要ない」と言って戦いを放棄して引き上げる。
このシーン、「いや戦わないんかい!」というズッコケシーンとして捉える向きもいて寂しいところなのだけれど、計り知れない意義深さのある脚本だ。
というのは、男性優位社会において女が男に自身の価値を認めさせようとするとき、結局、男の作った価値観の枠組みの中で評価されなければならないという構造に対するアンチテーゼとして機能し得るということ。
「もっと女性の働きやすい職場に」という進言を通すために、まずその女性の働きにくい職場で成果を上げて発言力を高めなければならない。だから“それ”を変えたいのに!
ジェンダーにまつわるリテラシー向上のためのプロジェクトが、上役の男性管理職によって「わかりにくい」と却下されて実現しない。あんたにわかりやすいわけないだろ、あんたが今わかってないようなことをわかるようになるためのプロジェクトなんだから!
対企業でジェンダー論を扱う仕事をしていると、何度となくこういうねじれ構造を目の当たりにする。キャロルの振る舞いは、そういった構造自体に目が向くリテラシーの高さに裏打ちされた、真にドラスティックで、課題解決思考で、パンクなソリューションだ。
オチを知ってからヨン・ロッグの講釈の冒頭まで巻き戻すと、ヨン・ロッグの語りに耳を傾けるキャロルの神妙な面持ちが、かつての師との決別を迎えて名状し難い感慨に耽って……というよりも、おっさんのダルい自分語りにシラけているように見えて痛快。
こんなふうに、単に男の悪玉を撃破!じゃなく男性優位の社会構造そのものに目が向いているような、単に女たちが協力して困難を突破!じゃなく連帯の中にあるインターセクショナリティを見過ごさないような、本質を捉えた検討の形跡が見られる作品は年々増えている。
表面的な“エンパワメントっぽいノリ”じゃない、構造的理解に基づくもの。
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