能力を超えた職務を与えられた愚者を哀れむ。森喜朗さんは『あとは野となれ大和撫子』を読んで、女性の能力を知りなさい

2021.2.6

森会長にお勧めしたい『あとは野となれ大和撫子』

この2日間のあれこれを全部追っかければ、おじいさんの本音は「女は俺の意見に素直に従わなくて腹立たしい」「いちいち疑問や反論を挙げてきて会議長くなるから疲れる」なのだろうということが丸わかり。さらに憶測すれば、「東京オリンピックは延期すべきだ」とまっとうで冷静な意見を理知的に述べる日本オリンピック委員会理事の山口香さんを「めんどくせえ女だな。空気読めよ。忖度しろよ。やるって言ってんだから、そこで意志統一しろよ、てめえは」くらいのことは思っていそうな森会長にお勧めしたい小説が、宮内悠介の『あとは野となれ大和撫子』(角川書店)なんです。

『あとは野となれ大和撫子』宮内悠介/角川書店
『あとは野となれ大和撫子』宮内悠介/角川書店

旧ソ連時代の大規模な灌漑事業などの影響で干上がりつつあり、塩害や環境汚染などをもたらして「20世紀最大の環境破壊」とも呼ばれる、中央アジアの塩湖アラル海にできたという設定の塩の砂漠。1990年、ここを新天地と定めた〈最初の七人〉のテラフォーミング(地球化)によってできた架空の小国アラルスタンが、この物語の舞台になっています。
事の発端は、内戦を経てウズベキスタンから独立を果たしたことを記念する式典で、最初の七人のうちのひとり、パルヴェーズ・アリー大統領が暗殺される事件。ところが、この国家の一大事に際して、政治の中枢を担っていた副大統領以下議員たちは、尻尾を巻いて逃げ出してしまうのです。そこで立ち上がったのが、28歳のアイシャ、22歳のジャミラ、20歳のナツキという、後宮に住まう女子3人。
後宮といっても、アリーが2代目の大統領になってからのそれは側室たちを囲うハーレムにはあらず。チェチェンから逃れてきたアイシャや、紛争によって両親を失った日本人のナツキをはじめ、さまざまな理由から居場所を失った少女たちのための高等教育の場になっているんです。聡明さによってアリー大統領にかわいがられ、後宮の若い衆のリーダーでもあるアイシャは、親友のジャミラやナツキらの力を借り、この国を、ひいては自分たちの居場所を守るため臨時政府を発足するのですが──。

この機に乗じて、議会の占拠を狙うであろう伝統的イスラム国家を志向する反政府組織AIM。アラルスタンの油田の利権の独占を狙って侵攻してくるかもしれないウズベキスタン。自分たちとは違って本来の側室としての務めを逃れたばかりか、教育の機会を得たアイシャたちを目の敵にしている元側室のお局たちと、その長にして枢密院の議長であるウズマ。大勢の敵に囲まれながら、知恵を絞り、仲間を信頼することで難局を乗り切っていこうとする若い女性たちの奮闘と友情を描いた痛快なエンタテインメントになっています。

でも、いったい誰が理想的な指導者だったアリー大統領を暗殺したのかという謎解きに、個人と国家と地球の幸福をすべて成立させる困難という大きなテーマを内包させているこの物語は、楽しいばかりで終始してはいません。たとえば、技術者志望のナツキは、旧ソ連による「20世紀最大の環境破壊」が一方で綿花畑が作れる地を生み出した事実や、アラルスタンに慈雨をもたらすことが別の地に害を及ぼす可能性について思いを巡らせ、自らの砂漠緑化案について熟考を重ねていきます。作者は登場人物らの視点を借りて、複雑な要因が絡み合う環境破壊だけでなく、多民族の共生や宗教対立についても、読んでおもしろい物語の中で問題提起しているんです。

  アイシャは遠くを見たまま、独語するようにつづけた。
「わたしは国体と信仰、そして人権の三権分立を確立したい」
反射的に、ナツキは目を上げた。
「どういうこと?」
「簡単に言うと、国体の暴走を人権が制限する。そして、人権の暴走を信仰が制限する。さらに信仰の暴走を国体が制限する。その三竦みを制度化するってこと」

(物語終盤、さまざまな困難を乗り越えた末に、議会で長老ウズマや戻ってきた議員たちから臨時大統領のアイシャが弾劾される場面で)
「ウズマ殿の言に従うなら、わたしは単に自殺行為をしたということになる。権力を求めたというには、わたしの行動は道理に合わない。それでも、わたしは──」
 そこまで口にしたときだ。不意に、皆の顔が浮かんできた。
 もう会えないだろう顔もある。震えそうになる手を押さえて、アイシャは先をつづけた。
「わたしたちには、これしか道がなかった。わたしたちは、繋げられさえすればよかった。この国で、いずれ平定されたこの国で、新たな名君が生まれるまでの繋ぎに」
        (略)
「“勇気の前には、運命さえ頭を下げる”──わたしたちは、運命を曲げるほうに賭けた」

『あとは野となれ大和撫子』宮内悠介/角川文庫

「競争意識が強い」からではない

出自もさまざまなら、後宮にやってきた理由もそれぞれに異なる小娘たちが、背筋をまっすぐに未来を見つめ、最善を尽くして「あとは野となれ」と呟く。83歳のおじいさん、この小説の中に出てくる女性もまた空気は読まないし、偉い人に忖度したりしません。納得がいくまで話し合い、時に烈しく言い争います。でも、それはあなたが言う「競争意識が強い」からではありません。アイシャたちは歴史が浅い祖国の危急存亡の秋を乗り切り、未来の同胞たちに手渡すために話し合い、無謀とも思える行動に出るんです。
はてさて、83歳のおじいさん、あなたとアイシャたちのどちらがリーダーとしてふさわしいでしょうか。是非、ご一読いただいた上で感想をお聞かせください。

『遺書 東京五輪への覚悟』森喜朗/幻冬舎
『遺書 東京五輪への覚悟』森喜朗/幻冬舎

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