コロナ禍の行く末は『マッドマックス』か。文明の終わりを目撃する可能性を想像してみる

2021.2.3

正気の境界はどこにあるのか

想像してしまう。

それはたとえば、「ごみ収集が来なくなった日」のようなかたちで何気にいきなり訪れるのではないだろうか。行動制限の対象者の増加がつづき、社会の物理的な血流がわかりやすいかたちで止まったとき、人は初めてホンモノの厳しい状況認識に包まれる気がする。

公共交通機関が減便を繰り返したとして、社会はどこまで平常なふりをできるのか? たとえば山手線の運行本数が今の3分の2になったとしても(当然ながら騒ぎになるだろうけど)たぶん都政崩壊には至らないだろう。が、しかし「1時間に1本」とかになったらどうか? そのとき、社会が正気のままでいられるとは思えない。この正気の境界はどこにあるのか?
考えさせられる。

直観的に言えるのは、店頭でも通販でもどうがんばっても買い物ができなくなったとき、人は社会機能の崩壊と、本来的な意味でのサバイバルの必要性から目を逸らすことができなくなるだろう、ということ。サバイバルの具体的なノウハウも知らないままに。そして、過去の日常にしがみついて生きようとする者には、いろいろなかたちで悲劇が襲いかかる。

システムの崩壊にめっぽう弱い状態

高度で洗練された社会生活が確立されていればいるほど、つまずきによる機能不全は大きい。

ブライアン・ウォード=パーキンズというオックスフォード大学の研究者が著した『ローマ帝国の崩壊:文明が終わるということ』という書物がある。あくまで仮説だが、彼の主張は興味深い。

長年、「ゲルマン蛮族によるローマ(狭義でいえば西ローマ帝国)文化の徹底的な破壊」のあとにヨーロッパ文化が形成されたと言われてきたが、近年、「それは単純化されたドラマだ。ゲルマン人はさまざまな方法で末期の西ローマ社会に同化しソフトランディングし、ローマは(もちろん例外はあれど)破壊されたのではなく、中世ヨーロッパに【移行・継承】されたのだ」という説が主流になっている。この背後にはEU的な文化融合・共存理念のアピールという(独仏を中心に推進される)政治性があって、その主義主張が目指すところはまあよろしい。だが……とウォード=パーキンズ先生は述べる。考古学的に検証すると、史的な実態はかなり違うっぽい。なるほど確かに西ローマ帝国の滅亡後も文化レベルはそのまま変わらず維持された、と説明できなくもない。しかしそれはあくまで「権力と武力に守られた」ごく一部の上流階層だけの話であり、この時期、西欧エリアの一般人の生活レベルは(地域によっては新石器時代レベルにまで)一気に急落したことが発掘調査から窺える。

これはなぜか? 端的に言えば、広域にまたがって機能していた分業的な経済・流通システムが短期間で崩壊したことの影響と思われる。

『ローマ帝国の崩壊: 文明が終わるということ』ブライアン ウォード=パーキンズ 著 南雲泰輔 訳/白水社
『ローマ帝国の崩壊: 文明が終わるということ』ブライアン ウォード=パーキンズ 著 南雲泰輔 訳/白水社

そう、何かを単機能的に量産するだけで安定した生活を送れる状態に慣れ切った人間は、システムの崩壊にめっぽう弱い。交易船や隊商の姿は絶え、生活物資は手に入らず……という状況に至りながら、自給自足的な生活・サバイバル能力はとうの昔に失われている。食い詰めてどこかに移動・移住しようにも、街道の治安を守っていたローマ軍はいなくなったり略奪者に転じたりしており、要するに環境が『マッドマックス』化していた。

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(Blu-ray)/ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
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教養ある市民層が、城塞都市を支配する権力者の庇護に入る代償として奴隷化してしまう情景も随所で見られただろう。まさにリアル『北斗の拳』ワールドというべきか、中世封建社会の基盤となる農奴システムは、実はこのようにして形成されたのかもしれない。

『北斗の拳』<1巻>武論尊、原哲夫/コアミックス
『北斗の拳』<1巻>武論尊、原哲夫/コアミックス

……という話であり、いろいろ納得というか、特に広域分業システム崩壊のヤバさについては今後の社会的リスクを考える上でも示唆的な内容だ。これはもうトイレットペーパーや徳用パスタの買い占め・買い置きでクリアできる問題ではない。

だからこそ思う。
ワクチンが暴利価格でないかたちで流通して、しかも継続的にちゃんと効いて集団免疫的な効力を発揮し、なんだかんだいってコロナ前の世界にちゃっかり戻れればいいなぁ、と。
しかし変異株ウイルスとかが、各種の医学・科学・政治的な対応を上回る猛威を振るったりして「超えてはいけない一線」を超えてしまったら、どうなるのか。

たぶんどうしようもない。
生存そのものが厳しい状態になりながら、WEBカメラで地球の反対側にいる家族の顔だけは眺められる、という特殊な地獄がそこにある。互いに救いの手を差し伸べることもできない。

映画『タイタニック』のように?

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