『Clubhouse』は「行きつけの飲み屋」の魅力
『Clubhouse』のベクトルは、これらと大きく違う。
簡単に始められない。招待制なので招待されなければ、アプリをダウンロードしても開始できない。
しかも、携帯の電話帳がベースになっていて、電話番号をやりとりしないとログインできないのだ。ハードルが高い。
アーカイブも残せない。生でしゃべるしかできない。しゃべった内容を保存できないし、あとから聴き返すこともできない。
リスナーがコメントをつけることも不可能。もちろん画像や写真をアップして見せたり、リンクアドレスを共有することもできない。メモ機能もない。
複数人でしゃべること。それができることのすべてだ。
「今、人が、集まって、しゃべる」それ以外のことをできなくした。
アーカイブを残せないので、コンテンツとしてしっかり制作しなければならないという気構えが不要になった。
なんの気なしにアプリを立ち上げて、メイン画面をスクロールするとフレンドが参加しているルームが表示され、それをタップする。すぐに会話が聴ける。保存されたものは存在しない。今、話していることだけが、ここにある。
ホストにピックアップされれば、会話に参加しておしゃべりすることになる。
『Clubhouse』がイメージ的に一番近いのは、行きつけの飲み屋だ。ぶらっと寄ったら、あいつがいて、バカ話で盛り上がった。そういう場だ。
招待のやりとりを、電話番号必須にしたのは、電話するぐらいの仲間からコミュニティを拡げなければ「行きつけの飲み屋」にならないからだろう。
トラブルが起こる可能性はある
人は「機能的にできる」と気構えてしまう。
アーカイブが残せるなら残したくなる。残すならしっかりやろう。編集機能があるなら編集するべきか。そうなると、そうしないことが「ちゃんとしてない」というイメージになる。
機能があることによる隠れたメッセージが、今までの音声配信アプリをラジオの模倣にしていた。気軽な雑談でいいですよと言いながら、雑談以上の使い方をユーザーに求めていた。
それら音声配信アプリは、気軽に誰でもラジオ番組が作れるサービスとして有効だ。機能も豊富で使える。
一方で、『Clubhouse』は機能を削ぎ落して、「させない」ことによって、ようやく「雑談」を可能にした。
タイトルをつけることが前提のブログが「記事」を作らねばと身構えさせたのに対して、タイトルなしのツイッターが、ただの「つぶやき」でいいと感じさせてくれたあの感覚を思い出した。
もちろん雑談の場でトラブルが起こるように、ツイッターでトラブルが起こるように、『Clubhouse』でもトラブルが起こる可能性はある(というか、けっこう高い)。
コロナ禍以前。わいわい集まってみんなで話していた。
それが、どれほど我々の生活に潤いをもたらしていたか。
その豊かさを、設計思想とUIの力で蘇らせたツール『Clubhouse』。孤独担当大臣はぜひ使いこなして、活用してほしい。
関連記事
-
-
天才コント師、最強ツッコミ…芸人たちが“究極の問い”に答える「理想の相方とは?」<『最強新コンビ決定戦 THE ゴールデンコンビ』特集>
Amazon Original『最強新コンビ決定戦 THEゴールデンコンビ』:PR -
「みんなで歌うとは?」大西亜玖璃と林鼓子が考える『ニジガク』のテーマと、『完結編 第1章』を観て感じたこと
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会『どこにいても君は君』:PR -
「まさか自分がその一員になるなんて」鬼頭明里と田中ちえ美が明かす『ラブライブ!シリーズ』への憧れと、ニジガク『完結編』への今の想い
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会『どこにいても君は君』:PR -
歌い手・吉乃が“否定”したかった言葉、「主導権は私にある」と語る理由
吉乃「ODD NUMBER」「なに笑ろとんねん」:PR