バイデン大統領就任式、『ガンダム』『ヤマト』『亡念のザムド』…繰り返される「私たち」「私」の物語の先には
バイデン大統領の就任式演説と印象的だったアマンダ・ゴーマンの朗読から、アニメ評論家・藤津亮太は主語「私たち」について思索する。
分断が生んだ“境界線”を越えて
「私たち」というのは「私」の複数形だけれど、単なる単複の違い以上の差があるように思えてならない。まず「私たち」という単語は「私」と比べて圧倒的に“強い”。
そんなことを思ったのは1月21日にアメリカで行われたバイデン大統領の就任式の報道を見たからだ。バイデン大統領の演説や、詩人のアマンダ・ゴーマンが朗読した作品『The Hill We Climb(私たちがのぼる丘)』では、何度も「私たち(We)」という主語が繰り返されていた。
もちろん演説で「私たち」が主語になるのは珍しいことではない。何しろ“強い”主語だから、聴衆を巻き込み、高揚させるにはうってつけの言葉だ。思えば『機動戦士ガンダム』第12話「ジオンの脅威」に出てくる、ギレン・ザビの演説。あの戦意の高揚を目的とした演説(おそらくアニメに登場する演説としては、最も有名なもののひとつであろう)も「我々はひとりの英雄を失った」と「私たち=我々」を主語にした語りかけから始まっていた。
ギレンの演説に出てくる「我々」と大統領就任式で繰り返された「私たち」は確かに“強い言葉”ではある。しかし、同時に大きく異なっている点もある。それは言葉が目指している“目的地”だ。
大統領就任式の主題は「分断ではなく結束を」。だから『私たちがのぼる丘』にはこんな一節も出てくる。
世界に、少なくとも、これは真実だと言わしめよう──
翻訳は『クーリエ・ジャポン』「【緊急全訳】アマンダ・ゴーマン『私たちがのぼる丘』─米国大統領就任式で世界が注目」を参照
私たちは嘆いたけれども成長したと。
傷ついたけれども望んだと。
倦んだけれども試みたと。
私たちはいつまでも共に結ばれて、勝ち誇るだろうと。
それは私たちが敗北を二度と味わうことがないからではなく、分断を二度と植え付けたりしないからだ。
ここには分断を乗り越え克服しようとすることが「私たち」の成長であり、望みであり、試みであると語られている。
「私たち」にはたぶん2種類あるのだ。ひとつは“境界線”を越えて、その向こう側に向かって呼びかけるための「私たち」。もうひとつは、境界線の手前に留まって、こちら側の結束を固めるための「私たち」。大統領就任式の私たちは、分断が生んだ“境界線”を越え、その向こう側の目的地へと届くことを願って発せられている。ここでは境界線の向こう側の目的地も含めて、全体が「私たち」の言葉で呼ばれている。
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