市川崑が手がけた『第50回全国高校野球選手権大会 青春』
高校野球は何が変わり、そして何が変わっていないのか? その意味で今こそ振り返りたいのが『第50回全国高校野球選手権大会 青春』だ。
『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』が描いたのは2018年の第100回大会に挑む球児と指導者たちの姿。そのちょうど50年前、1968年の第50回大会に挑む球児たちの姿、そして日本の風景を、『東京オリンピック』『ビルマの竪琴』などで知られる市川崑が手がけたドキュメンタリー映画だ。東京と大阪の一部映画館限定ではあるが、甲子園のない特別なこの夏、リバイバル上映されている。
50年前はまだ木製バット。ヘルメットを着用していない学校があるといった道具の進化以外にも、さまざまな面で高校野球は変わっていることに気づかされる。
たとえば、甲子園開会式における選手の入場行進。今年の甲子園交流会では入場行進そのものが行われなかったわけだが、指先の角度までそろった一糸乱れぬ姿を心待ちにしているファンもいる一方で、まるで軍隊のようだと批判の的になることも。
だが、50年前の球児たちの行進風景は、とても“ゆるい”。腕を地面と水平の角度まで上げる球児は、画面に映っている限りではいない。ここからわかるのは、「きびきびとした入場行進が高校球児らしい」というのは、“作られた伝統である”ということ。
選手宣誓にしても、50年前はまさに「定型文」と言いたくなる潔さ。それが今では、宣誓というよりもまるでスピーチ。むしろ、どんな趣向を凝らし、時事問題を盛り込んでくるのかという点ばかりに注目が集まる、これまた“新しい伝統”になっている。その良し悪しはあるにせよ、大きく変わった点のひとつだ。
こうした儀式面以外でも、今なら「小柄」と表現されてもおかしくない178cmの球児を「堂々たる体」と伝える実況アナウンサーの言葉からも、野球がスポーツ的に近代化されたのはこの50年のことなのだ、と発見ができる。
一方で、甲子園を目指す球児たちの必死さは変わらない。この映画では、前年冬から日本全国を駆け回り、市井の球児たちの練習風景からカメラに収めているのだが、日本各地で甲子園を目指し、野球に打ち込む球児たちのひたむきな姿は普遍的である、ということもわかる。
上映館限定のため、スクリーンで堪能できない場合はDVDでぜひチェックしてみてほしい。
グラウンドだけが高校野球ではない『アルプススタンドのはしの方』
ドキュメンタリー映画以外では、応援席から高校野球を捉えた映画『アルプススタンドのはしの方』も現在上映中だ。
『全国高等学校演劇大会』で最優秀賞に輝いた作品を映画化したもの。グラウンドは一切見せず、描かれるのは応援する理由を見失った4人の高校生とブラスバンド部が陣取るアルプススタンド。音以外の野球描写は一切なし、という思い切った手法が清々しい。
甲子園本大会を舞台にしながらロケ地が甲子園球場ではない。という点が気にならなければ、シンプルに青春映画として楽しめるのではないだろうか。高校野球を盛り上げるのは球児たちだけではない。無観客での試合が当たり前になった2020年に公開されたことにこそ意義がある映画といえるかもしれない。
いずれ、コロナ禍を過ごした2020年の球児たちが映画化されるときもやってくるはず。時代ごとに生まれる高校野球映画にも引きつづき期待していきたい。
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