「私もメディアも搾取する側になり得る」Black Lives Matterを機に考えたこと(なみちえ)

2020.8.4

クイックジャーナル なみちえ

文=なみちえ 構成=渡辺裕也
編集=田島太陽


ラッパーとして活躍し、着ぐるみ制作など多分野で芸術家としても活動するなみちえ。世界で巻き起こる「Black Lives Matter」(BLM)について考える。

本質を見失った日本の「表現」

BLMは本来は正当な人権運動であって、欧米だけではなく、全人類に共通する問題です。当たり前のことではありますが、間違っていることに対して「間違っている」とちゃんと声を上げるべき時期がようやく来たんだなと思っています。でも、どうやら日本には介入しづらい問題だと感じる人も多いみたいですね。中には今の動きをただの流行だと勘違いしている人もいて。ある意味、ホントに平和ですよね。

私が気になったのはBLMのムーブメントを同調圧力と感じて勘違いしている人が多々いたこと。 実際に勘違いした状態で「同調圧力が嫌」と発信してしまうことでそれが新しい同調圧力を生むこと、今のムーブメントを止めてしまう可能性があるということも問題だと感じました。

芸術表現と社会問題は、常に密接につながっているはずなんだけど、商業音楽の表面的なマーケティングによって本質を見失ってきたように感じます。つまり表現が、現実から目をそらすためのものになっている。私自身はアーティストとして、絶対にそういう音楽を生産してはいけないと思っています。

私はかっこつけたいから音楽をやっているわけではなく、生活にもとづいて表現をしているだけ。そもそも、私の制作テーマにはずっとBLMとの共通点がありました。たとえば、6月19日に発表したグローバルシャイの「国人ラップ」という曲で、私は自分のアイデンティティについて歌っています。これは私にとって“常にタイムリー”な問題だし、私が正しいと感じていることとBLMの正当性には、すごく近いものを感じているんです。

マジョリティとは正反対にいる“生きづらさ”

アーティストは、大きく2種類に分けられると思っています。ちゃんと本質的なことを表現するアーティストと、どちらかというと商業性に寄っているアーティスト。要はマネタイズのために、自我とアウトプットの一貫性を分断させているアーティストですね。後者のほうが、社会問題が露呈したときに個人の発言と自身の仕事との意識の剥離を起こしやすいと感じています。

もちろん5、6年前のSNSに比べれば、そのような傾向は薄れてきた体感もあります。でも“アーティスト”がBLMについて語ると、それを煽るメディアもある。しかもそれで儲けている。被差別者側を搾取する構造になっているのは気色が悪いです。

たとえば、大島優子さんがBLMについて発信したのを受けて「芸能人がこういう発言をするのはいかがなものか」という記事が拡散されました。発言する権利は誰にでも平等にあるのに、社会問題について発言した芸能人を批判し、さらにその記事への批判も集まって、気づけば本質からどんどん離れていく。そういうのを見ると、日本はBLMを取り上げる以前に問題があるなとも思います。

特にテレビなどのオールドメディアの責任は大きい。NHKの『これでわかった!世界のいま』という番組が批判されましたが、BLMの本質をちゃんと伝えず、正当な人権運動を「貧富の差による暴動」という報じ方をしていて、これは本当にひど過ぎです。問題の根源に辿り着こうともせず、ただ手の平で転がすだけで、満足している。そしてそれでお金を儲けている!

そういうオールドメディアから抜け出そうとする若者もたくさんいるとは思います。でも、実際は特権階級がその安定した立ち位置を手放さないせいで、なかなか抜け出せない。というか、日本はマジョリティにとって都合がいい国なんです。私はそれと正反対の立場にいる部分もあるから、すごく生きづらいこともあります。

私もメディアも、搾取する立場になることもある


なみちえ

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