箕輪厚介氏の発言から「売れる」を考える(トリプルファイヤー吉田靖直)

2020.6.9

「早くいい旦那さん見つけないとね」とアラサー女性が言われたときの気持ち

私は箕輪氏の発言に、自分の好きなあんまり売れていない本や音楽、ひいてはあんまり売れていない自分のバンドの価値が相対的に低いと言われている気がして反論したくなった。

しかし、めちゃくちゃなことを言う人は世の中にいくらでもいるなかで、なぜ箕輪氏の意見にこんなに掻き立てられるものがあったのか。よく考えてみれば、自分の中にいくらか存在する箕輪氏的な部分を否定し切れなかったからではないかと思われる。

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箕輪厚介『死ぬこと以外かすり傷』(マガジンハウス)

箕輪氏ほどあからさまに言う人は少ないにしろ、「売れたほうが価値が高い」という尺度は世の中に確実に存在している。

売れているミュージシャンがインタビューで「好きなことをやっていれば売れなくてもいい、とは言いたくなかった」と発言すれば、それを批判する人はいない。しかしなぜ売れなければならないのか。売れたいと思うのか。そのへんが具体的に語られることはあまりない。

売れることは金銭にも直結する。理想でメシは食えない。誰にも求められずお金が発生していなければ、それは「仕事」ではなく定義的には「趣味」になってしまうだろう。自分のやっていることを趣味ではないと言いたい。なんで趣味じゃダメなのか。まあ、学生時代から何十回も友達と駄弁ってきたような、なかなか結論の出ない話だ。

昔は売れることに対して今より憧れを抱いていたが、年を取るごとに売れることについて考える時間が減ってきた。売れていないものの中にも好きなものが増えたからかもしれない。昔に比べれば多少売れたと言えなくもない要因がいくつかあるおかげもあるだろう。

今では売れることにあまり向き合わずに穏やかな日々を過ごせている。しかし人気者の友人と同席して他人からの扱いに差を感じたとき、「売れているほうがすごい」という一般的な価値観を急に突きつけられ怯んでしまう。素直に、売れてえな、という気持ちが蘇ってくる。

久しぶりに会った友人から「バンドもっと売れるといいね」と悪意なく言われたときの気持ちは、アラサー女性が親戚から「早くいい旦那さん見つけないとね」と言われたときの気持ちと似ていると想像する。それだけじゃないんだけどな、と思う。でも別に自分だって全然売れたくないわけじゃないしな、とも思う。

今まで読んだものの中では、ECD氏と山本精一氏の文章やインタビューは、売れることに頓着していない言葉が本心から出てきているような気がして感銘を受けた。かっこいい人だ、自分もこんなふうになりたい、と思った。しかし今のところまだその境地に達せていない。

箕輪氏は自分の欲望から目を逸らさず、まっすぐ向き合っただけなのかもしれない。でも、彼を不都合な真実を堂々と口に出した告発者として評価したくもない。酒を飲んでいたときのひと言を取り上げてあれこれ言うのも若干申し訳ないが、配信時の箕輪氏の発言に関しては受け入れられない。彼の発言が取りこぼしている価値、間接的に否定しているものの価値はたくさんあると伝えたい。

できれば「くだらねえこと言ってるよ」と心底から思いたいのだが、そこまで振り切れていない自分の歯切れの悪さをもどかしく感じる。

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