コロナで判決が延期「乳腺外科医わいせつ事件」の問題点(小川たまか)

2020.4.21

文=小川たまか 編集=田島太陽


2020年4月15日、高裁(控訴審)判決が出る予定だったある事件が、コロナウイルス感染拡大の影響を受け延期となった。

2016年、都内の病院で右胸の乳腺腫瘍を摘出する手術を受けた女性が、術後、執刀医に胸を舐められたと被害を訴えた事件である。医師は準強制わいせつ罪で逮捕・起訴されるも冤罪を主張し、12人の弁護団で裁判に臨んだ地裁では無罪が言い渡されていた。

性暴力などに精通するライターの小川たまかが、事件と裁判をめぐる問題点を解説する。「医療現場の働き方」にも通ずる争点とは?

コロナの影響で裁判も続々延期に

右を見てもコロナ、左を見てもコロナのニュースがつづいています。このご時世、コロナ関連以外の記事が読まれづらくなっているのが、木っ端ライターとしてはなかなかツラいところです。2月ごろ、今よりずっとのほほんとしていた時期でも、PVを取るのはコロナ関連でした。目に見えて街から人が減るより前から危機感は募っていたんですよね。コロナは敵だし、ライバル……。

3月は個人的に大注目していた性犯罪事件の判決がありましたが、これの傍聴記事も思ったよりも伸びず(名古屋高裁の、実父から娘への準強制性交等事件の裁判です。逆転の有罪判決が出ました)。

とはいえ、3月はまだ裁判ができてました。「密!」を防ぐために傍聴席が両側2席ずつ空けられ、抽選倍率が厳しくなったものの、いったん中に入ってしまえばいつもより快適空間だったのに。4月には、延期となる裁判も続々と出てきました。

「これが有罪になったら怖くて女性の手術はできない」

2020年4月15日、とある性犯罪事件の高裁(控訴審)判決が出る予定でしたが、これも延期に。乳腺外科医の男性が、手術後の女性患者の胸を舐めたとされる、準強制わいせつ事件です。

昨年の2019年2月に東京地裁で無罪判決となり、その後検察が控訴。判決前から「冤罪」ではないか、被害者が麻酔後の「せん妄」(意識内容の変化)で性的な妄想を見たのではないかと報じられていたので、ご存知の方も多いかもしれません。

医療従事者からは「これが有罪になったら怖くて女性の手術はできない」などという声も聞かれ、医師側の弁護団はなんと12人! 主任弁護士は、ゴーン事件でもたびたびメディアに登場して宮崎駿似と話題になっていた、刑事弁護のレジェンドと言われる高野隆弁護士です。

私は普段、性暴力被害者や支援者の取材を多くしています。この事件についての話は事件発生後から報道を見ていましたが、深く関心を持ち始めたのは裁判を見た人から次のように聞いてからです。

「弁護団が、医師が撮影した女性の裸の胸(患部)の写真を、法廷で傍聴席からも見えるプロジェクターに映そうとした。とても驚いた」

要約すると、そんな内容でした。さすがに裁判長が制止し、写真が映されることはなかったそうです。医師側の弁護団としては、「顔が映っているわけじゃないんだからいいじゃないか」ということだったのかもしれないのですが、そ、そんなわけないじゃん……。

注目される事件、されない事件

冤罪かどうかの話とは別に、こういうやり方は被害者へのプレッシャーになります。プレッシャーといえば、地裁の判決日や控訴審の期日には、裁判所前に医師側の支援者が駆けつけ、マイクを持って「冤罪を許してはいけない」のスピーチ。チラシも配っていました。

法廷の前にいると、医師側の支援者だと間違えられて「不当判決が出るかもしれないけれど許してはいけませんね」と声をかけられたこともありました。なんていうか、そのぐらいアウェイでした。医師側の支援者から当選した傍聴券をもらっているジャーナリストもいました。

たとえば昨年の伊藤詩織さんの民事訴訟では、傍聴席は詩織さんの支援者がほとんど。記者たちも、かなり詩織さんを応援していました。3月12日の名古屋高裁(実父から娘への準強制性交等事件)も、裁判所前で被害者を支援する人たちがスタンディング。

法廷の外でどんなアピールが行われるか、どちらに多くの支援者がつくかは世論や報道によるところも大きく、また報道も世論に流されるところがあり、一種の残酷さも感じます。もちろん、騒がれず注目されずマスコミも報じず、人知れずひっそりと終わっていく裁判もたくさんあります(注目されたくない人もいるので、関心が集まればいいというものでもありませんが)。

医師の「手を洗わなかった」という主張

明らかに一方に有利な情報だけを載せているのにわざと中立のふりをして結論に誘導する、というようなジャーナリストの書きぶりを見ると「それはちょっとずるいんじゃないのかな」と思いますので、私はこの事件で被害者側の立場に立っているとまず書いておきます。

この事件では地裁で無罪判決が出ていますが、この地裁判決でも否定された医師側の主張があります。それは、医師が手術の当日、起床時の身支度以降は手術の直前まで手を洗わなかった(だからDNAが付着したのかも)という主張。

手術前の午前中には多数の患者を診療し、触診もあったのに、です。医師は「ニキビを潰したり、ひげを触ったりする癖がある」とも証言。この主張が、コロナでソーシャルディスタンス、うがい手洗いしない者はヒトにあらずの今報じられていたとしたら、大きな驚きを持って受け止められていたのでは。コロナが蔓延(まんえん)してなくてもそれはダメだと思う……。

判決文でもこの主張については「医療従事者の行動としてにわかに信じ難い内容」「被告人の供述の信用性は慎重に判断する必要がある」とされています。医師側を支援する医療従事者は、こういった弁解をどう受け止めているのかが不思議です。

このほかにも、通常であれば患部のみを撮影するはずの手術前写真について、被害者女性の場合は顔も入れた写真を医師に撮られていたのが、「えぇ……」と思う点です。ほとんど報道されなかったこういった点を書いてくれたハフポストの記者さんがいたのですが、彼女は控訴審が始まる前にハフポを退職してしまいました……。悲しい。

「乳腺外科の症例で顔を撮影することは通常ありえない。顔を撮影する必要性がなくプライバシーなどの問題がある。顔が映らないように正面と左右で3枚程度撮影している。症例や医師によっては学会や論文のために多く撮影することもある」

乳腺外科医が準強制わいせつに問われた公判、無罪判決を臨床の医師たちはどう見たか|ハフポスト

ちなみにこの事件については、鑑定資料が廃棄され、「DNAの再鑑定が不可能」だという誤解が一部で広まっているのですが、被害者側の弁護団ははっきりとこれを否定しています。再鑑定は可能ですが、検察側も弁護側も求めていません。

高橋正人弁護士は、今回の無罪判決を「非科学的な判決」と批判し、「鑑定資料を再鑑定できないかのように報道されているがそれは間違い」と話す。

手術後わいせつ事件、女性を支援する弁護団結成 「非科学的な判決」と批判 - 弁護士ドットコム

被害者にとっては「証言だけでは信用されないと思ったから通報して証拠採取してもらったら、医師のDNAが出た」という事件です。そして判決では、DNAが検出された理由は医師が被害者の胸を舐めたことが最有力の仮説と言えるかもしれないが、それでも(手術時の会話や触診の際に患部ではないほうの乳房にも)唾液の飛沫が飛んだことによる可能性を否定できない、とされています。

医療現場での飛沫の拡散、怖いですね。

とにかくコロナは困る

コロナの問題以前から、医師の忙しさや医療現場での労働環境の改善の必要は問題となってきました。医療業界の働き方がホワイトで、人手がじゅうぶんに足りていれば、そもそもこの医師が、「胸部の手術をした直後で麻酔が完全に覚めていない女性患者のベッド脇に、看護師を伴わずにひとりで2回訪れる」必要もなかったはずです。

私はこれまで何度かかかりつけの婦人科で乳がん検診を受けていますが、男性医師が検査を行う際、必ず看護師の女性が横についています。これは患者の安心はもちろん、医師を「冤罪」から守るためでもあります。

奇しくもコロナの影響で判決延期となりましたが、この事件は医療業界の働き方を問う事件でもあるはずです。

4月15日の判決が延期になって、正直なところ私はホッとしてしまいました。もしまた無罪判決が出てしまったらと思うと。被害者が苦しむのを見たくなかったからです。

とはいえもちろん、当事者たちはそうではありません。被害者にとっても医師側にとっても、早く決着がついてほしいでしょう。

裁判の再開を待ちたいと思います。



この記事が掲載されているカテゴリ

Written by

小川たまか

(おがわ・たまか)1980年、東京都品川区生まれ。文系大学院卒業後→フリーライター(2年)→編集プロダクション取締役(10年)→再びフリーライター(←イマココ)。2015年ごろから性暴力、被害者支援の取材に注力。著書に『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』(タバブックス)、『告発..

QJWebはほぼ毎日更新
新着・人気記事をお知らせします。