書店員が『ライフ イズ ストレンジ2』の強烈な体験から「物語」の変化とニーズを考える(花田菜々子)

2020.4.15

音楽カルチャーで20年前に起きた変化が「物語」にも

どちらのゲームにも物語に強い「引き」があり、何十時間という長い時間、プレイヤーの心を掴んで離さずにエンディングまで夢中にさせつづける力がある。職業柄つい考えてしまうのは、この数年、「本が売れない」とよく言われるなかでもさらに小説、つまりフィクションの物語が売れないという事象と、ゲームというコンテンツがナラティブ(※)を引き起こし、今までにない物語の使い方をしているという事象の差だ。

※ナラティブ:「物語」の意味。ゲーム業界では「プレイヤー自身が物語を生み出す体験や価値」などの意図で使われる

といっても、どちらが優れているというような無意味な論を展開したいわけではない。単純に読書の好きなゲーム初心者として、ゲームがここまで物語の魅力を伝えられるコンテンツだったということに驚いたのだ。私にとってこのゲーム2作を通した強烈な物語体験は、単純に小説についてだけでなく、物語の効用やニーズについて考察する大きなきっかけになった。

最近、一部で熱狂的なブームを起こしている『マーダーミステリー』についても似たことが言える。これは同室に10人ほどの参加者を集めて行うアナログな推理ゲームで、それぞれがシナリオに応じて配役を割り当てられ、協力して2〜3時間のうちに犯人を探し当て事件を解決するというものである。

一度そのシナリオを遊んでしまうとネタバレしているため、二度と同じゲームを楽しむことはできない。ミステリー小説の中に入り込むような体験のおもしろさがプレイした人々を魅了しているようだ。このように「音楽を聴く」だけの体験から「好きな歌をカラオケで歌う」ことに音楽カルチャーが移り変わった20年前のような変化が、「物語」にも起き始めているのではないか。

「小説ではなく物語のファンなのだと気づかされた

ところで、『ライフ イズ ストレンジ2』と『Detroit: Become Human』の物語には共通する大きなテーマがある。それは「差別」。ともすればゲーム的でない問題を、2作とも真正面から堂々と描いている。『ライフ イズ ストレンジ2』では移民への差別がリアルに描かれ、屈辱的な扱いそのものまで体験できるし、『Detroit: Become Human』では黒人差別やナチスを喚起させるシーンにたびたび出くわす。

そしてどちらのゲームも平和的解決や暴力的解決を示唆しながら、どの選択肢を選んだ者にも、プレイ後に「本当にこれでよかったのか」と思いを巡らせる余白を残している。自らが主人公を操作したことで、プレイヤーに差し出された問題提起は自分の体験のように強く心に残るものとなる。

もしかしたらこれらのゲームで初めて差別問題に触れ、関心を持つようになる若いプレイヤーもいるかもしれないと考えると希望が胸に湧く。文芸や映画や音楽といったカルチャーに興味のない層にも、社会的なメッセージを直接伝えることができるのだから。

私自身、このゲームを通して自分は小説のファンなのではなく物語のファンなのだと改めて気づかされた。物語のおもしろさにみんなが気づけば、そこに小説の再評価も……と考えるのは書店員としての過大な希望だろうか。

ちなみに、2作はどちらもフランスのゲーム会社によるもの。日本のメーカーもぜひこのような社会派の骨太なゲームをどんどん制作してほしい。


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