田嶋陽子が再ブーム。“日本でいちばん誤解されたフェミニスト”はこんなにカッコよかった(清田隆之)
「90年代のバラエティ番組で、いつも男に怒ってたおばちゃん」。そう聞いて多くの人が思い浮かべるであろう人物が、田嶋陽子だ。あれから20年以上が経ち、“ブーム”と呼べる状況になっているのはなぜなのか。
これまで1200人以上の恋愛相談に耳を傾け、男女問題やフェミニズムに詳しい「桃山商事」の清田隆之が、自らの記憶と経験を振り返りながら解説する。
目次
「イメージ」を作ったメディアの思惑
今、田嶋陽子の言葉がにわかに脚光を浴びている。どこでと聞かれたら「ジェンダー界隈」とか「フェミクラスタ」などと答えるのがわかりやすいのかもしれないが、個人的に「界隈」という言葉が苦手なのと、属性や好みにかかわらずさまざまな人に読まれるべきものだと思っているので、ここでは広く「メディアの世界で」くらいに言ってみたい。
私は1980年生まれの39歳で、自分の世代にとって田嶋陽子とはバラエティ番組の中でいつも男に怒ってるおばちゃんというイメージだった。特に『ビートたけしのTVタックル』でのインパクトが大きく、とりわけ熱心な視聴者ではなかった私でさえ、おかっぱヘアに三角メガネという出で立ちで大竹まことや舛添要一らと舌戦を繰り広げる田嶋陽子の姿が強く印象に残っている。
しかし、そのイメージは私の中で大幅に更新されることになった。というか、その「イメージ」こそが最大の問題であることに気づかされた。
田嶋陽子を「いつも男に怒ってるおばちゃん」に仕立て上げたメディアの思惑、あるいはそのイメージを易々と受け入れてしまった己の思考様式……。そういったものを改めて見つめ直してみることが、2020年の今を生きる男性にとって重要なことではないかと私は考えている。
日本でいちばん誤解されたフェミニスト
このブーム(という言葉が適切かわかりませんが……)のきっかけは昨年秋に2冊の本が出版されたことだった。ひとつはフェミマガジン『エトセトラ VOL.2』「We♥LOVE 田嶋陽子!」特集号、もうひとつは新潮文庫で再文庫化された田嶋の著書『愛という名の支配』だ。
『エトセトラ』は作家の山内マリコと柚木麻子が責任編集を務めており、刊行の理由を山内はまえがきでこう述べている。
わたしたちにテレビは変えられない。だけど、テレビによって作られてしまった、田嶋陽子さんのイメージは変えられるかもしれない。(中略)これが、わたしたち世代がやるべきことなんじゃないかと思うのだ。藪だらけの荒野を開拓し、わたしたちがケガしないよう道を作ってくれた先達を、正しく評価しようと、扇動することが。この、日本でいちばん誤解されたフェミニストを救うことは、日本の女性全員を救うことになるんじゃないかと、わたしは思うのだ。
『エトセトラ』VOL.2より
この宣言のとおり、本書ではさまざまな書き手による論考や書評、鼎談や本人インタビューを通じ、田嶋陽子の功績を改めて振り返っていく。
戦時中の体験や母親との関係がフェミニズムの出発点になっていること、30年前から英文学を土台にした骨太なフェミニスト批評を書いていたこと、テレビ出演の際に編集で印象操作しようとする制作サイドと戦ってきたこと、お茶の間の人気者になって同業のフェミニストから非難が集まったこと──。「そうだったんだ」「知らなかった」の連続で、読むほどに従来のイメージが覆されていった。
「いつも男に怒ってるおばちゃん」は誰が作ったのか
書き手のひとりであるライターの堀越英美は、「やんちゃでかわいい『僕』たちの世界で」と題したエッセイでこう述べている。
彼女が咆哮をあげれば、やんちゃな「僕」や「オイラ」たちが怖がるそぶりをする。もしくは、声高にわめきちらす女にはまいったよ、と苦笑する。社会的強者たちを、ことごとくかわいそうな「僕」に仕立て、加害性を浄化してくれる猛女。それがかつて私たちが目にした彼女の姿だった。メディアに重用されるのは必然だったといえる。
『エトセトラ』VOL.2より
極めて痛烈な批判だ。読みながら苦しい気持ちになった。女性から叱られた際に“被害者しぐさ”を取り、自らの加害や過ちの免責を狙うというのは我々男がやりがちなアクションだからだ。
90年代、メディアは圧倒的に男性のものだった。男性出演者による男性目線の言葉が縦横無尽に飛び交い、男性だらけのスタッフが裏でそれらを強力に支える。女性は限られたいくつかの役割や機能(お色気、聞き役、アシスタント、高嶺の花、女扱いしなくていい女、男たちを許す女、そして叱る女など……)に押し込められ、そこで繰り広げられる光景がそのまま世間のジェンダー観やコミュニケーション様式に反映されていった。
「いつも男に怒ってるおばちゃん」という田嶋陽子のイメージは、テレビという巨大メディアに君臨する男性たちによる印象操作のたまものだったのだ。これは本当に、本当に恐ろしいほど巧妙に作り上げられている。安易に甘受してきた私たち視聴者も共犯者だろう。そしてそれは世間に流布する「フェミニスト」のイメージにもつながっていった。
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