とにかく明るい安村、妻には隠せなかった芸人への未練。師匠・有吉との出会いで救われた芸歴21年を振り返る

2021.9.20


妻には隠せなかった芸人への未練

とにかく明るい安村

──実際、そんな安村さんがコンビを解散してピン芸人になるというのはすごい決断じゃないですか。そのころには芸人を辞めようかとも考えていたんですよね。

安村 そうです。仕事も収入も減ってきているし、コンビとしてのビジョンもあまり見えなくなってきちゃって。ふたりで『アメトーーク!』(テレビ朝日)とかのひな壇に出ているのがまったく想像できなかったので、これはもうダメだなと思って解散したんです。

でも、そこで芸人を辞めて普通に働こうと思っているというのを奥さんに報告したら、「まだ(芸人を)めちゃくちゃやりたそうな顔してるよ」と言われたんです。それならもう少しやったほうがいいんじゃないかなと思って。ピン芸人を2年くらいやってみて、ダメだったら辞めようかなと。

──やっぱりピン芸人は難しいだろうというのがあったんですか?

安村 難しいだろうなというのがあって、実際にやってみたら、本当にめちゃくちゃ難しかったです。想像の何十倍も難しかった。単純にネタもウケないし、コンビでやっていたときの感じでやっても、ツッコミがないから伝わらないし。コンビでやっていたときのお客さんもだんだん離れていくし。

これは厳しいなと思ったんですけど、どうせ2年でダメだったら辞めるんだし、とりあえずやりつづけてみようと。そんなときに全裸ポーズのネタがふと浮かんだんです。

──あのネタは思いついたときに手応えはあったんですか?

安村 めちゃくちゃありましたね。思いついたときは「これは来た!」と思って、知り合いの人にネタのときに流す曲も作ってもらって、単独ライブでやったんですよ。でも、そこではお客さんがちょっと引いていて、あんまりウケなくて。

今でこそ当たり前になりましたけど、裸になるだけでもちょっと引いてしまうところはあるし、当時はストリップ劇場みたいなピンクの照明にしていて、髪型はオールバックで「裸に見えるぜ~」ってスギちゃんみたいなしゃべり方だったんです。

でも、ネタには自信があったから、ほかの場所でやるときに普通の明るい照明でやったらウケたんです。そのときに「いやらしい感じじゃなくて明るくやったほうがいいんだな」と気づいたんです。

大ブレイクから一転、世間からの痛烈批判

とにかく明るい安村

──あのネタが有名になるきっかけになった番組はあったんですか?

安村 きっかけはフジテレビの『バイキング』ですね。当時は情報番組じゃなくてバラエティ番組だったんですけど、そこでネタをやったらめちゃくちゃウケたんです。それから『バイキング』には毎週呼ばれるようになって、ほかの番組にもどんどん出られるようになりました。

──最初にテレビでネタがウケたときにはどんな気分でしたか?

安村 めちゃくちゃうれしかったですよ。生放送が終わってからその番組をやっていた知り合いの放送作家とお台場のフジテレビの近くのサイゼリヤに行って、安いワインで乾杯しました。「来たな!」って言って、テンション上がってましたね。

──そのころ、特にうれしかった仕事はありますか?

安村 うれしかったのは、『バイキング』でサンドウィッチマンさんの地引網のロケがあったんですよ。そこに一緒に行かせてもらって、地引網を引きながら全裸に見えるポーズをやったりしました。

あと、その次の週ぐらいに山に行って、サンドウィッチマンさんと畑仕事をして、地元のけんちん汁みたいなものをみんなに振る舞うというのがあって。そこで言うことがないから、けんちん汁を配りながら「はいてますよ」って言っていて。それがスタジオで超ウケたんです。「いや、関係ないだろ」みたいな。それで「これ、いけるかもしれない」っていう手応えを感じましたね。今でも関係ないときによくやってます。VTRを振るときにも「VTR、はいてますよ」とか。

とにかく明るい安村

──いいのを見つけましたね。安村さんは大ブレークして、新語・流行語大賞も受賞するまでになるわけですが、そこから徐々に勢いも落ちていってしまいましたよね。そのことについて『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日)に出演されたときには、不倫報道が出たことがきっかけだったと話されてましたけど、実際には何かきっかけがあったんでしょうか。

安村 僕は不倫があったからダメになったってよく言っているんですけど、東野(幸治)さんだけは「いや、実力や」って言ってますね(笑)。

──でも、あの騒動で直接仕事が飛んだりしたこともあって、実際に影響は大きかったんですよね。

安村 そうですね。劇場には出させてくれていたんですけど、やっぱりそういうニュースがあったあとに裸で出てくると、特に女性の人にはちょっと気持ち悪いと思われたりもして。なかなか厳しかったですね。

一時期はそれに関する仕事ばかりでした。ワイドショーに呼ばれて、女性タレントさんにめった打ちにされる、みたいな。そこでちょっとでもふざけると「何ふざけてるんだよ」みたいに言われて、また反省して謝るっていう。そういうのでなんとかテレビには出ていたんですけど、1年ぐらいするとそれもなくなって、まったくテレビに出られなくなりました。

師匠・有吉弘行からの“バツ”


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ラリー遠田

(らりー・とおだ)1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わ..