今年で芸歴21年目となる、とにかく明るい安村。「アームストロング」というコンビでデビューし、徐々に頭角を現していたなかで突然の解散。そして現在の芸名に変えてピンでの活動を開始するも、その道のりも甘くはなかった。
芸人を辞める決意をしたときに言われた妻からのアドバイス、大ブレイクと世間からの痛烈な批判、師匠・有吉弘行との出会い……苦難続きだった21年の芸人人生を振り返る。
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「ギャラ500円」が遠かった
──9月28日(火)に『ルミネtheよしもと20周年記念公演 20年の思い出を語ろう!』というイベントに出演されるそうですね。デビュー21年の安村さんとは歴史が近い舞台ですが、ルミネtheよしもととはどういう劇場なんですか?
安村 僕がNSCを卒業してすぐにルミネができたんですよ。だから、アームストロングというコンビを組んでいた若手のころはそこが主戦場で、ゴングショー形式のライブにずっと出ていました。ビラ配りやチケットのもぎりもよくやっていました。新人のころはそれをやらないと本公演を見学させてもらえなかったんです。
──今はヨシモト∞ホール、神保町よしもと漫才劇場などの若手向けの劇場があるので事情は変わっていますが、当時はルミネに駆け出しの若手芸人も出ていたんですね。
安村 そうですね。ゴングショーで勝ち上がるとギャラが100円の「100円芸人」になるんです。そこからさらに勝つと「200円芸人」「300円芸人」と少しずつ上がっていく。
それで「500円芸人」になったら夕方の『5じ6じ』っていうライブでのネタの出番がもらえるんです。そこに出ていたのは品庄(品川庄司)さん、タカアンドトシさん、森三中さん、インパルスさん、ロバートさんとかそのあたりの超豪華な人たちだったんです。だからそこに入るだけでも大変でした。
──一つひとつ勝ち上がっていかないとそこに出られないんですね。
安村 そうなんですよ。400円まではなんとか行くんですけど、500円はなかなか受からせてくれなかったんです。そこの壁が分厚くて。ライブを劇場の上で観ている作家の人が判定を出すんですけど、ダメだったら300円に降格することもあるんです。400円のまま保留という場合もあって、僕らのコンビは保留が3カ月くらいつづいていました。
当時は相方も若かったので、ネタがすごくウケたのに保留の音が鳴ったときには、お客さんの前でつけていたピエロの鼻を床に叩きつけて怒っていましたね(笑)。それぐらい厳しかったんです。
──でも、最終的には上がれたわけですよね。
安村 上がれたんですけど、本公演に出てからはめちゃくちゃスベってました。ルミネの本公演って基本的に満員なんですよ。警察官のコントをやっていたんですけど、全然ウケてなくて、途中、ふたりでケンカするくだりになったときに、客席の中年男性から「やれ! やれ!」みたいな野次が飛んできて、それが一番ウケるみたいなことがありました。
──本公演に上がってからも厳しい環境だったんですね。
安村 厳しかったですね。お客さんもロンブー(ロンドンブーツ1号2号)さんや極楽とんぼさんのようにテレビに出ている芸能人を観に来ているようなところがあったので、僕らにはけっこうきつかったです。
『東京ってすごい』は嘘がないドキュメンタリー
──アームストロングは『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)や『エンタの神様』(日本テレビ)に出たり、『NHK新人演芸大賞』を受賞したりして、コンビとしては順調なイメージがありましたが、なぜ解散してしまったんでしょうか。
安村 まあ、ネタはよかったんですけど、コンビ仲が悪くなってしまったんですよね。僕が東京に来てからちょっと変わってしまったというのもあるんですけど。
──それって『東京ってすごい』みたいな……。
安村 まさにそれなんです。東京の魅力に流されてしまって。
──それって具体的にはどういうことなんですか?
安村 北海道の地元にいたころ、相方がガキ大将みたいな感じで、その下に3人くらいがくっついていて、僕はそのうちのひとりだったんです。その4人くらいでいつも遊んでいて、僕は相方についていくだけだったんですよ。
お笑いを始めるというのも、誘われたからただついてきただけで。でも、僕も東京でいろいろな人に出会って、楽しいことを覚えて弾けてしまって、ちょっと積極的になったんです。
相方はずっと僕のことを弟子みたいな感じに思っていたんですけど、僕にも自我が芽生えてきて。そこから少しずつズレていって、解散することになったんです。
──東京が安村さんを変えたんですね。
安村 やっぱり東京ってそういう街じゃないですか。年齢的にも18で出てきたんですけど、それまでは野球しかやっていなくて世間のことを何も知らなかったですからね。
──それまでは純朴な子だったんですね。
安村 そうですね。だから、僕自身が今の状況を一番信じられないです。3人兄弟の末っ子でずっと兄たちについていって、相方にもついていって、誘われてお笑い始めて解散して、僕が辞めないでひとりで裸でやっているっていうのは、ちょっと異常な状態だと思っています。
──そこからあの『東京ってすごい』のネタが生まれたんですね。
安村 そうです。あれはただの自分のドキュメンタリーですからね。
──あれをテレビで披露したときには相当な反響があったんじゃないですか?
安村 そんなつもりじゃなかったんですけど、やっぱりそういう嘘がないドキュメンタリーっていうところがにじみ出ちゃってたんでしょうね。
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