『カネコアヤノ TOUR 2020 “燦々”』密着ルポ【前編】歌えなくなる、その日に向けて
2019年9月にリリースした4thアルバム『燦々』の全国ツアーとして、2020年1月から3月の間に全国11カ所でライブを行う予定だったシンガーソングライターのカネコアヤノ。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で金沢と沖縄での公演が延期になってしまったが、1月の東京から2月の札幌までの全公演、そして金沢での公演予定日に行われたインスタライブまでを間近で観たライターの橋本倫史が、カネコアヤノへのインタビューを交えたツアールポを寄稿。
前編では、仙台と名古屋で行われたバンド形態でのライブについてのルポをお届けします。
目次
2020年2月15日(土)|宮城・仙台MACANA
「声、ちょっともらっていいですか?」
1曲目の「花ひらくまで」が終わり、切れ目なく次のイントロが始まったところで、カネコアヤノがマイク越しにそう言った。こんな風に本番中にモニターの調整を求めたのは、今回のツアーで初めてのことだった。異変を察知したスタッフが、舞台袖に駆け込んでくる。曲が間奏に入ったタイミングで、本村拓磨が「モニターが鳴ってないっす!」とスタッフに耳打ちした。ほどなくしてモニターの音が鳴り始める。3曲目の「布と皮膚」のイントロでは、ベースの響きを確かめるように、本村はいつもと少し違うフレーズを奏でている。
トラブルに動揺することなく、ライブは進んでいく。7曲目の「天使とスーパーカー」では、今日の一度限りを楽しもうと、林宏敏がいつもと違ったフレーズを織り交ぜると、メンバーから笑みがこぼれる。アウトロに辿り着くと、「ら、らららら」と口ずさみながら、カネコアヤノは歌に没入してゆく。そうして研ぎ澄まされた感覚が、次の「セゾン」で一気に炸裂する。
「今日は私も、『セゾン』、ええ曲やーって思いながら歌ってたかも」。終演後、カネコアヤノはそう振り返った。この日の「セゾン」は、本番だけでなく、リハーサルのときにも強い手応えを覚えているように見えた。
ほとんどの曲は、リハーサルではサビを歌い終えると演奏を止める。「セゾン」のリハーサルでも、最初のサビを歌い終えると演奏は止まったが、彼女はまだ歌いたかったかのように、歌詞のつづきを口ずさみ、爪を見つめていた。
「リハのときって、その日で一番最初に歌ってるから楽しいんだけど、そこで100点出しちゃうと2回目って難しいじゃないですか。フェスのリハーサルとか、誰かが観てる環境だったら、『今ここのリハーサルしか観ない人もいるかもしれないから、やったろ!』って感じでつるっと1曲やっちゃうこともあるけど、ワンマンだと『この調子だと今日の100点が出ちゃうからやめよう』って感じはありますね。でも、確かに今日、『セゾン』はリハの入りから楽しかったな。それは覚えてますね」
この日の「セゾン」は、歌詞の一語一語がまっすぐに届いてきた。カネコアヤノ自身も、「日によってはがんばって歌わなきゃってなるときもあるんだけど、サビのとこもすとんと出た感覚がするから、そういう意味でも自信を持って歌ってた気がします」と振り返った。
いろんな話をしてきたね 二人
落ち着いてきたよ やっといま
ミモザが揺れる
何も起こらない一部屋に響く
換気扇の音
やけに落ち着く プリズムは光る
たぶんこれからも続いていく
テーブルの上
雑に置かれた財布と鍵
丁寧な愛 油断した心に
安心するんだよ 不思議とさ
雑に抱きしめあいたいだけ 君と
間違ってなかったって うん
幼いことを気にしているのか
ミモザが揺れる4月も終わる
4月も終わる毛布をしまう
たぶんこれからも続いていく
綺麗と思うもの 空の色
キャラクターのキーチェーン
丁寧な愛 醒めなくてもいい
「セゾン」には、彼女が歌に込める「儚さ」が詰め込まれているように思う。ここでは「たぶんこれからもつづいていく」という言葉が繰り返されるけれど、その一方では「4月も終わる」と、時間が過ぎ去っていくことが描かれる。
「よいことだけじゃなくて、嫌なこと、向かわなきゃいけないこともつづいてくじゃないですか。あの曲を歌ってると、そういうことを思い出しますね。嫌なこととか、慣れてしまったこともつづいてくし、どうにか向き合わなきゃいけないんだよなと思って歌ってます」
つづいていくことと、過ぎ去ってしまうこと。それは16曲目の「さよーならあなた」でも歌われている。
ふと気がついたら
ときめくセリフも思い出に変わる
さびしいけれど
だから今だけ どうか今だけは
魔法が解けるまで 愛しあおうよ
「ときめく」という瞬間的なきらめきも、生まれてはやがて過去のものとなり、「思い出に変わる」。その儚さを知っているからこそ、「どうか今だけは」と祈りを込めるように、カネコアヤノは歌う。
「基本的に私、『今、楽しい!』ってなってることって、終わっていっちゃうんじゃないかなって気持ちがずっとあるんですよ。バンドは終わらないと思ってるけど、普段の暮らしの中にある『うわ、めっちゃ好き』とか、『今ここでみんなでこうやって遊んでる、これが超楽しいね』とかって、終わっていっちゃうような気がしてて。『だから今だけは、楽しくいようや、馬鹿でもええやん』って気持ちと、続いていくことを受け入れていかなきゃいけないよねって気持ちが、両極端として私の中にきっとある。今この瞬間は心から100%楽しいんだけど、家で引きこもってるタイプの私が『でも、きっと、この瞬間も終わって行っちゃうかもしれないよね』と思ってるんです。それは別に、諦めてるわけじゃないんですけど、期待し過ぎると落とされたときつらいから、終わってしまったときに落ち込まないように、そういう風に考えてるのかもしれない。それで『どうか今だけは』って言っちゃうのかな」
今という瞬間をかけがえなく感じること。そして、その瞬間は過ぎ去ってしまうと俯瞰すること。そのふたつがカネコアヤノの中にある。だからこそ、「どうか今だけは」という言葉が強く響く。
「賢いことは言えないけど、『変わらないと!』って思った」
「もしかしたら、終わっちゃうかもしれないと思うからこそ、そこで終わらなかった人とこの先もずっと一緒にいたいと思ってるのかも」と彼女は笑う。「この感覚を共有できる人を探してるのかもしれないですね。そういう人が見つかったらずっと一緒にいたいし、『おばあちゃんになっても一緒にケーキ食べたいね!』とか、『年とっても、酒飲んで楽しく過ごせたらいいじゃん、私たち!』みたいなことに、結局めちゃくちゃ期待してますね。そういうことを願って、街を歩いてます」
過ぎ去ってしまうことに抗うように、「どうか今だけは」とカネコアヤノは願いを込める。その願いが強く刻み込まれているのは、4曲目に披露された「とがる」だ。
だれかが想いを燃やす
恋もキスも たのしい
わたしの花は枯れない
一生枯れさせない
今夜も月がきれい
それだけで しあわせ
あなたの花は枯れない
一生枯れさせない
かわる!かわる!
かわってく景色を受け入れろ
いつだって苦しいよ
だけど今日は たのしい
あなたの花は枯れない
一生枯れさせない
穏やかな日々は良い
だけどたまに 飽きる
愛が花束になる
一生枯れないやつ
かわる!かわる!
かわってく覚悟はあるはずだ
歌詞の表記としては2度だけ繰り返される「かわる!」というフレーズは、歌唱では4度繰り返される。自分自身に、あるいは観客におまじないをかけるように、とても大きな声で強く、「かわる!」とカネコアヤノは繰り返す。
「私は一度、表で大きく動くことからフェードアウトしてた時期があるんですよ。だけど、私はやっぱり大きいステージで歌いたいし、前向きに音楽やりたいなと思ったんです。『とがる』を作ったときって、そういうタイミングだったんですよね」
カネコアヤノが最初にミニアルバムを制作したのは2012年のことだ。それ以降――より正確に言えば、2011年以降――というのは、私たちは常に「あなたはどの立場を取るのか」と問われる日々が続いた。「とがる」は、その問いかけに直接的に答える歌ではないけれど、私はどこに立って歌うのかと、明瞭に宣言している歌であるように思う。
「確かに、『この問題についてどう考えてるんですか?』と問われるイメージはありました。そういうのに対して、私は何も考えてないわけではないけど、論ずる人じゃないから上手に言えないし、中途半端なことは言えないなと思ったんです。だけど、みんなが良くなればいいなってことは歌える。だから歌おうと思ったんです。それを歌うために、まず私はどうなったらいいかなと考えたときに、『私、かわろ!』と思えたんですよ。私が好きな音楽は、ぱかーんとした音楽だから、ほんとシンプルに『私、かわろ!』と思えたんです。賢いことは言えないけど、言えないことにコンプレックスを抱いてるんじゃなくて、『変わらないと!』って思ったし、今でも思ってますね」
「どうせ死ぬなら語り継がれて死にたい。だから今日、1ミリも抜いちゃいけない」
この10年を振り返ってみると、私たちの日常はある日を境に一変してしまうのだと痛感させられることの連続だった。目の前にある風景は、あっけなく変わってしまう。それは、“この街”で起きたことだけでなく、あらゆる土地の災害や事件や事故が、私たちにそのことを伝えてくる。
「過ぎ去っていくことがわかり切っているなら、今の自分が100%楽しむしかないと思うんですよね」。カネコアヤノはそう語る。「ライブもそうだけど、終わることがわかってるからさ。たとえば、憧れの中野サンプラザでやれることは決まってるけど、その日も1時間半しか私は立てないわけですよ。でも、だとしたら、『今まで観てきたライブで一番よかった!』っていうことをやるしかないなって、ほんとに思います。それは全部のライブがそうですね。明日私は死んじゃうかもしれないから、今日の全部を出し切るしかないなって。音楽以外でも、みんなでげらげら笑ったり、おいしいごはんを食べたり、店員さんに『おいしかったです、ごちそうさまでした』ってしっかり伝えたり――そうやって体感したことを、できるだけ覚えておくこと。楽しいことと消えていっちゃうことって、隣り合わせにずっとある感じがするから、私は『とにかく遊ぶ!』と思って生きてます」
彼女の言葉を聞いたあとに、改めて「とがる」の歌詞を読み返すと、そこに込められた言葉の強さが際立つ。過ぎ去ってしまうこと、終わってしまうことに目をつむるのではなく、それを受け入れた上で、今という瞬間をカネコアヤノは肯定する。
「今日『とがる』のイントロが始まったとき、お客さんがわーって盛り上がってたんですよね。歌を聴いてちょっとでも元気になったり、今日も空を見上げて帰ってくれたりすれば、それだけでいいなって思います。ライブに来る前に、つらいことがあったり、立ち向かわなきゃいけないことがあったりしても、今ここで『だけど 今日はたのしい』って、ちょっとでもふわってなれるといいなと」
ライブが終わっても、日々はつづく。だからこそ、観客には腹八分目で帰って欲しいのだと彼女は語る。ここまでのツアーは、弾き語りでもバンドセットでも長丁場にはならず、90分ほどで幕を閉じてきた。
「もちろん100パーセント楽しんでほしいと思ってるんですけど、『あと1曲聴きたかったな』ぐらいの感じで帰ってほしいと思ってるんです。そういう気持ちがあると、なんとなく次があるような感じがしませんか。ライブは終わるけど、つづいてくから。確かにこの一瞬は終わるけど、だから私は、とにかくやりきる。明日、流行りの病に罹るのは私かもしれないし、どうせ死ぬなら『こういうミュージシャンがいてね』と語り継がれて死にてえなあと思うから、だから今日も1ミリも抜いちゃいけないし、『喉がどうにかなるぐらいに歌ったろ!』って私は思う。その一瞬の時間を共有して、誰かひとりががんばれるなら、それで幸せって回るじゃんって思うかも」
だから私はと、彼女は語る。
過ぎ去っていく日々のなかで、それを惜しむでも嘆くでもなく、今という一瞬に詰まっている愛おしさを振り絞るようにカネコアヤノは歌う。その叫びに、観客のひとりである私は背中を押され、今日を生きている。