『カネコアヤノ TOUR 2020 “燦々”』密着ルポ【前編】歌えなくなる、その日に向けて

2020.4.1

2020年2月20日(木)|愛知・名古屋クラブクアトロ

キィィンと硬い音が響く。リハーサルで「ごめんね」を演奏していると、サビの途中でハウリングが生じた。ここまで目立ったハウリングが起きたことはなく、少し意外に思っていると、再びキィィンと硬い音が響く。今日の「ごめんね」は、いつもより大きな声が出ているらしかった。

君との思い出 レコード
悔しくって聴けないなぁ
外は雨降り

あしたがあるからがまんした
シングルベットの中で夜が明ける

君といつも遊んでたいだけ
単純な気持ちで傷つけたね
ほんとうごめんね
電球に透けてる君がきれいだよ
ごめんね ごめんね

「ごめんね」を聴くたび、心の奥底にある感情が浮かんでくる。私は今、こうして生きているけれど、やがて終わりを迎えてしまう。いつも、ずっと遊んでいたいのに、この時間には終わりが訪れる。そのことに、私は、納得がいっていないのだと思う。

「なんだろう。なんでしょうね」。カネコアヤノは言葉を探りながら語り出す。「あの曲で歌っているように、『遊んでたいだけ』なんですよ。自分の中に、『全部思いどおりになったらいいのに』って気持ちもあるんですけど、そのとおりにしようとしたら、きっと誰かは傷つくことになる。『遊んでたいだけ』ってけっこうわがままなことだと思うんですけど、ずっと遊んでいられたら楽しいし、それでええやんと思ってますね」

全部思いどおりに。

そう願っていても、ままならない出来事が訪れる。

名古屋のクラブクアトロでのワンマン公演は、当初は2019年11月30日に開催されるはずだった。だが、カネコアヤノがインフルエンザに罹患し、公演は延期され、今日を迎えたのだ。

この日、名古屋クラブクアトロに集まった観客は独特の熱気を帯びていた。どこの会場だって、そこに集まってくる観客はライブを待ちわびて日々を過ごしているのは確かだ。でも、公演が延期となって3カ月を過ごせば、さらに期待は膨らんでゆく。メンバーが登場し、1曲目の「花ひらくまで」の最初のギターの一音が鳴ると、待ってましたとばかりに歓声が上がった。

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名古屋クラブクアトロでのライブより

「今日はほんと、人って優しいなと思いました」。終演後の楽屋で、カネコアヤノはそう語った。「私の体調管理が足りなかったせいで延期になってしまったのに、こうやって待っててくれる人がいるんだ、って。こんなに待たせちゃったのに、最初から最後まで、ぐーっと聴いてくれて、『お待たせ!』って気持ちになりました」

昨秋、カネコアヤノが体調を崩したのは一度だけではなかった。体調不良がつづき、ラジオ番組への出演も延期となった。

「これまで私、体調を崩すことってほとんどなかったんですよ。どかんと熱が出たのは中学生のころからなくて、何年か前にインフルエンザになったときも、37℃しか出なくて、熱が出ない人間だと思ってたんです。でも、去年の秋は突然声が出なくなったり、熱が2回ぐらい出たり、インフルエンザになったり、ずっと体調が悪くて。そんな何カ月かを過ごして、自分は音楽がないと無理なんだって、改めてわかった」

歌いたいのに、歌えなくなる。それはかつて経験したことがなかった。昔と違って、歌を聴きたいと待ってくれる人の数も、携わってくれるスタッフも増えた。舞台は整っているのに、歌えない。声が出ないことがこんなに苦しいことだったのかと気づかされる日々だった。

「歌が歌えなくなったらもう、私は何もない人間なんだって、どんどんダウナーになったんです」。カネコアヤノは振り返る。「歌えなくて悔しい気持ちもあるけど、音楽がなかったら何ができるだろうって、ずっと考えたましたね。歌が歌えないと情緒も不安定になるし、無理だ、歌がないと無理だと思ってました。だから、今日という日を迎えて、ああやって待ってくれてる人たちがいると、やっぱり私には音楽しかないわと改めて思いました」

「『私は音楽をやって生きていくんだ』と決めたときに作った曲」

あれは13曲目の「明け方」を歌い終えたときのことだ。今回のツアーは、バンドセットだとアンコール以外はしゃべることのなかったカネコアヤノが、珍しく口を開く。

「あのー、ほんとすいませんでした」。お詫びの言葉に、客席から「いーよ」と声が飛ぶと、彼女は「ありがとう」と小さく笑う。「ごめんね。ごめんね。だから、あの、新しい曲をやります。がんばって、がんばって練習してきたからね。練習したよね。よーし!」。彼女が大きく声を上げると、ドラムのBobがカウントを取り、演奏が始まる。今日が初披露の新曲「星占いと朝」だ。

いけしゃあしゃあと平気なふりをしたい
冷たい紅茶を一気に飲み干して

君が僕の街の灯り
一緒の気持ちなのにね
こないだ見た嘘くさい占いのせいだよ

朝日の中シャワーの粒が光る
君のことずっと考えて朝

朝にテレビをつけると、ほとんどの番組で星占いを見かける。特段信じているわけでもないのに、自分の星座が最下位だと少し残念な気持ちになってしまう。

星占いは、天体の位置が私たちの暮らしを左右するという考えに基づく。つまり、私たちの暮らしは、星によって決められているということだ。そうした運命に抗うように、「いけしゃあしゃあと」、カネコアヤノは歌う。

「占いとかって、やっぱいいことだけ信じてたいじゃないですか。友だちでも恋人でも、誰かとの関係を占ってもらったときによろしくない結果が出たとしたら、それがいくら当たる占いだったとしてもシカトする。シカトするっていうか、こっちのパワーでねじ伏せてやるって思っていたいんですよね。そういうのを気にせずに、いいことだけ信じて、でっかい心で生きていけたらいいのにってすごく思います」

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名古屋クラブクアトロでのライブより

いいことだけを信じて、でっかい心で生きていけたらいいのに。祈りにも似たそんな気持ちは、この日の18曲目に披露された「祝日」にも込められている。

お腹が痛くなったら
手当てをしてあげる
嫌われないように
毎日不安にならないようにしている

それはそう あなたと目をあわせるようなこと
みんなに内緒もいつまでできるかな

飽きないな
若気の至りか 気持ちの問題か
あとは抱き合って確かめて

あなたが振り返らなくても
姿が見えなくなるまで
気づかれないように見送る
できないことも頑張って
やってみようと思ってる

幸せのためなら
いくらでもずる賢くいようよ
いつまで一人でいる気だよ

飽きないな
若気の至りか 気持ちの問題か
あとは抱き合って確かめて
飽きないな
若気の至りか どうでもいいことだ
これからの話をしよう
祝日 どこに行きたいとか

「祝日」は、2018年にリリースされたアルバム『祝祭』のラストに収録されている曲だ。カネコアヤノ自身にとって大事な1曲ではあるけれど、1年近く、バンドで演奏する機会から遠ざかっていた。

「自分の曲の中で、『大事なライブのときにはこの人を連れて行きたい』って曲がいくつかあって、『祝日』はそのうちのひとつなんです。でも、すごく人格がある感じで、こっちが寄り添わないと歌わせてくれないんです。『祝日』もそうだし、『グレープフルーツ』や『燦々』もそうだけど、こっちが寄り添える気持ちになったときに歌うようにしてますね」

歌の入口を探るように、慎重に、カネコアヤノは「祝日」を歌う。この日はそれが顕著に感じられた。歌に詰まっているものをこぼさないように、いつもよりゆっくりと、ささやかな声で歌い始めた。「あなたが振り返らなくても/姿が見えなくなるまで」という歌詞に至ると、彼女は顔を手で覆い、この歌が生まれたときの感覚をなぞって確かめるように歌う。そして言葉が強くなってゆく。

「2年前に『祝日』を書いたときの自分が、今の自分から離れていくところもあるんです。でも、2年前と結局変わってないからこそ、同じように『祝日』を歌えてると思うんですよね。あれがただの歌になると、つまらない曲になっちゃう気がする。すごく大事な曲だから、そうさせたくないし、だから『今日は歌えないな』ってときは歌わないようにしてる。スタジオで『今日は祝日をやろう』ってなっても、私がやりたくないときは『え、やだ』って言うこともあるんです。この曲は、『私は音楽をやって生きていくんだ』と決めたときに作ったから、わかんなくなっちゃったときに歌うと、思い出す。なんだろう。たとえばファッションにしても、この年齢だからこの服は着れないなって思うことってあるじゃないですか。その気持ちもわかるけど、『年齢とか関係ないじゃん!』って思うんです。若気の至りとかではないよ、それが似合う自分でいれるかどうかでしょって、すごく思う。それと同じように、歌うのが楽しいかどうかですよ、みんなで音を合わせてるのが楽しいかどうか、それだけ、以上――それを思い出すために歌うし、歌うと思い出します」

「私は音楽しかできないから、この人生、これだけはがんばる」

「祝日」を歌わなくなった時期があったように、「グレープフルーツ」も1年以上歌わなかった時期があるという。今回のツアーでは、弾き語りでもバンドセットでも、最後に「燦々」を演奏しているけれど、この歌もきっとどこかで一度歌えなくなるタイミングが訪れるだろうと、カネコアヤノは語る。

いつかきっと歌えなくなる。その日は確実に訪れてしまう。そんな運命めいたものと、彼女はどう対峙しているのだろう。

「この年齢でずっとやっていけるわけじゃないし、見た目もきっと変わっていくと思うんです。だけど、極端に言うと、ずっとかわいくいたいなって思う。かわいいっていうのは、『かわいいおばあちゃんでいたい』みたいなことなんですけど、心を満たすものがずっとあったらいいのにっていう願いなのかな。いつか死んじゃうことは仕方ないけど、おばあちゃんになったとき、心を満たすものがなかったら嫌だって、すごく思ってる。たとえば喉が壊れて歌えなくなる日が来たら、たとえばギターを弾いて歌を作れなくなる日が来たら、どうしよう。でも、その日のために、やりたいことを思いっきりやるしかないのかもしれないよね。たとえば洋服屋さんに行ったとき、服が落ちてたとすると、それを拾って徳を積むようにしてるんです。そうすれば、死んだあとにまた人間になって、好きなことをできるんじゃないか、って。死んじゃっても幸せになれたらいいなって思う。だから、この人生、これだけはがんばる。私は音楽しかできないから、それを一生懸命やりたいって思ってます」

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名古屋クラブクアトロでのライブより

「祝日」を歌っているうちに、彼女の歌声はどんどん強さを増していく。アンコールも含めれば、そこからの5曲。「ぼくら花束みたいに寄り添って」「恋しい日々」「愛のままを」「燦々」、そして「アーケード」は、喉がここで壊れても構わないというほど、破裂するようにカネコアヤノは歌っていた。舞台に立つ姿が発光して見えた。彼女がこの日身にまとっていたのは、YUKI FUJISAWAの藤澤ゆきが手掛けた衣装で、そこには箔が押されており、ライトを浴びてキラキラと輝いている。

「最近はステージで着るための服を作ってもらえる機会があるんですけど、そうやって作ってもらったものを着ると、やっぱり全然違うんです。ゆきさんは服に命を宿してるから、そういう服を着ると、守られてる気持ちになる。ゆきさんだけじゃなくて、FUTATSUKUKURIに作ってもらったり、teasiに作ってもらったり、Ka na taに借りたりした服を着たときも、武装した気持ちになれる。作り手もきっと、カネコアヤノがステージに立ってる姿を想像して作ってくれてるから、その思いが重なる感じがします。だから、すごく強い気持ちになれますね」

衣装に守られながら、カネコアヤノはすべてを振り絞るように歌う。声を少しかすれさせながら、全身全霊で歌い終えると、「ありがとう」とだけ告げてステージを降りた。


カネコアヤノ
シンガーソングライター。2019年にアルバム『燦々』と、弾き語りによる再録アルバム『燦々 ひとりでに』を発表。2020年4月1日に両A面シングル『爛漫/星占いと朝』をCD・7インチ・配信の3形態でリリース。


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カネコアヤノ『爛漫/星占いと朝』
2020年4月1日にCD・7インチ・配信でリリース


「セゾン」作詞/作曲:カネコアヤノ
「ごめんね」作詞/作曲:カネコアヤノ
「祝日」作詞/作曲:カネコアヤノ
(『燦々』収録)
「さよーならあなた」作詞/作曲:カネコアヤノ
(『さよーならあなた』収録)
「とがる」作詞/作曲:カネコアヤノ
(『ひかれあい』収録)
「星占いと朝」作詞/作曲:カネコアヤノ
(『爛漫/星占いと朝』収録)

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橋本倫史

(はしもと・ともふみ)1982年東広島市生まれ。物書き。著書に『ドライブイン探訪』(筑摩書房)と『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社)。琉球新報にて「まちぐゎーひと巡り」(第4金曜掲載)、あまから手帖にて「家族のあじ」連載中。

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