東京、大宮、福岡…兄弟で“漫才の土壌”を開拓し続けるサカイストの歩み
芸歴26年を迎える兄弟コンビ・サカイスト。東京に生まれ育ち、大阪で今いくよ・くるよに弟子入り。そのあと、大宮ラクーンよしもと劇場の看板ユニット・大宮セブンの初期メンバーにもなったふたりは現在、福岡を拠点に活動している。
東京出身だからこその目線で、地域に根づいたネタを作る。気持ちの赴くまま、活動の場をどんどん変えてきたふたりの今を聞いた。
サカイスト
伝ぺー(でんぺー/1977年1月7日生まれ、東京都出身)とマサヨシ(1979年8月10日生まれ、東京都出身)によるコンビ。初舞台は1998年。大宮ラクーンよしもと劇場の専属芸人「大宮セブン」の初代メンバー。2017年11月より福岡吉本に完全移籍
「漫才の土壌を福岡に」博多大吉に誘われて
──まずは7年前に福岡行きを決意したころのことから聞かせていただけますか?
マサヨシ 2017年に芸歴20年目を迎えたとき、博多華丸・大吉の大吉さんに声をかけていただいたんです。「福岡にはまだ漫才の土壌がない。福岡のお笑いの未来を考えたとき、15分漫才ができるコンビが必要だ」と。僕は楽しそうだなと思って、即答で「行きます」と言っちゃったんですよ。ただ兄ちゃんは当時、結婚したばっかりで。
伝ぺー 子供も生まれるところだったんです。さすがにちょっと待ってほしいと。これまでは悩んだらまず弟に相談してましたけど、このときばかりは妻やいろんな先輩方に相談して、3カ月悩んで「行く」と答えを出しました。
マサヨシ 兄ちゃんは大変だったと思います。僕はひとり身だったので気軽なもので。あ、今もひとり身ですけど。
伝ぺー それは誰も聞いてないんだよ(笑)。東京都港区生まれの僕らにとって、福岡はまったく知らない街で。40歳にもなってそこで一から生活を始めるときに、兄弟が横にいてよかったなと思いました。これは移住しなければ気づかなかったことだと思います。
──7年前というと、まだ福岡に劇場(よしもと福岡 大和証券劇場)ができる前ですよね?
マサヨシ はい。だから出られるのは、天神のビブレホールというライブハウスくらい。
伝ぺー それが月に1、2回。先輩たちからは「福岡には劇場もないし、行ったらタレントになるしかない」と言われていたんです。でも、僕はテレビに出たくてずっとやってたんで、願ったり叶ったりで。
マサヨシ 東京からやってきたコンビは物珍しかったので、地元のいろんな番組にひと通り出してもらいました。
伝ぺー 芸歴20年でテレビの難しさを知れたのは財産になりましたね。
マサヨシ でもやっぱり、福岡の仕事は情報番組のコーナーでの食レポがほとんどなんです。最初こそその中で自分を出そうと必死でしたけど、ちょうどいい出方とかを勉強していきました。そうするうち、4年前に劇場ができたんです。
福岡の笑いが中央に近づいてきている
──大吉さんの言う「漫才の土壌」は、この4年でだいぶ福岡に根づいたのでは?
伝ぺー そうですね。劇場ができたおかげで、東京や大阪のスーパースター、勢いのある若手が来てくれる。彼ら目当てのお客様が、一緒に出ている福岡の芸人のことも知ってくれる。これは吉本の強みですよね。
マサヨシ 福岡の後輩たちは東京や大阪の先輩から学んだり、飲みに連れて行ってもらったりしているので、今後、福岡の劇場から売れる芸人が出てくるだろうなと思いますよ。
伝ぺー 福岡NSCは7年前にできたので、その1期生と僕らは福岡デビュー同期なんですよ(笑)。ずっと見ていると、新しい笑いが少しずつできてきている気がしますね。劇場ができるまでの子たちは、どうしても営業ネタ的なものに寄っていたんです。でも、今の子たちは賞レースに向けたネタを作れるし、試せる。コーナーや平場も、東京や大阪の先輩たちの振る舞いを直接見られる。スベりにいく勇気もついてきて、福岡の笑いが中央に近づいてきたなと思います。
マサヨシ 僕は福岡NSC1期生から講師をやらせてもらってるんですよ。なんにもわからなかったヤンチャな福岡のお兄ちゃんたちがちょっとずつ芸人になっていく姿には、胸が熱くなるものがありますよね。
伝ぺー 僕は弟と違って、引っ張っていくタイプではないんです。ただ、僕としては毎年の単独ライブで、あるいは日々の平場で、「先輩がこんなにがんばってたら、俺らサボれないよな」と思ってもらえるような姿勢を見せるしかない。
マサヨシ それはあるね。僕ら、MCとして立ち回るような芸歴なので、戦う場がないんです。だから自主的に『M-1グランプリ』を卒業したくらいの芸人さんや先輩をゲストに呼んで新ネタで勝負するライブをやったり、ボケとツッコミを逆にした漫才を作ってみたりと、新しいことを続けています。
伝ぺー 20代の子たちから見たら僕らめちゃくちゃ先輩ですけど、やっぱりどこかで負けたくないという気持ちもあるんですよ。後輩の人気者でいたいし、まだまだ後輩より笑いを取りたいし。福岡がそう思わせてくれるのかもしれない。東京だったら同世代がいっぱいいるから、そこに収まっていた気がするんですよ。
今だから気づく、大宮セブンのすごさ
──さらに遡って、おふたりは2014年に誕生した大宮セブンの初期メンバーでもありますよね。最初に大宮セブンに参加したときは、どんな気持ちでしたか?
伝ぺー 最初にいわゆるプロデューサーX(初代劇場支配人)に呼ばれて、「サカイストには大宮で劇場の看板をやってもらう」と言われたときに、「看板になれるんだ! 選ばれたんだ!」という喜びが強かったですね。
マサヨシ そうそう。今の大宮セブンメンバーは大宮行きを都落ちみたいに話すことがありますけど、、僕は福岡に誘われたときと同じように「やった! 行きます!」という感じでした。
伝ぺー たまに彼らに会ったとき、いつも言うんですよ。「俺らがいなくなって本当によかったな」って。それまでは、ブロードキャスト!!、犬の心、俺らの3組を観に来るお客さんが正直多かった。その前ではやりたいことができなかったと思うんですよね。でも俺らが抜けたら、自分たちでやるしかない。人気を作るしかない。そこからどんどんみんなが賞レースの決勝に行くようになるじゃないですか。
マサヨシ すごいよね。
伝ぺー 逆にいえば、もし僕らがそのまま残っていたら、今のメンバーの強い個性に埋もれていたと思います。離れてみると、今のこの6組はすごいなと気づきますよ。タイプが全員違って、僕らにないものを持っている人たちばかりだし、才能しかないし。歳を取ってみると、当時は認めたくなかったことにも気づきますね。
── 一昨年おふたりが大宮の劇場に出演されたとき、福岡の方にしか伝わらないようなローカルな話をされていて、しかもそれがウケていたのが印象に残っています。
マサヨシ 僕らが大宮セブンに入って得たものって、「地元の人たちがウケるネタ」なんですよ。最初のころは自分たちのファンが東京から大宮に来てくれていたけど、だんだん客席に地元大宮の人たちも増えていくわけです。そこで、埼玉在住の人にウケるような埼玉あるあるとか、大宮駅のこととかをネタに取り込んで行った。その経験があったから、福岡に行ったときにも、福岡に根づいたネタを作るようになったんです。
伝ぺー 大宮とか福岡に行くと、地元の人間じゃないからこそ見えてくるものがあるんですよね。東京を出て初めて、地方から上京する人たちの感覚がわかった。自分が生まれ育った地域では当たり前のことが、外から見るとおもしろかったり、ヘンだったりする。それがネタにつながっていったんです。
──東京育ちだからこそ、見えるものがあったんですね。
マサヨシ 大宮駅が22番線まであるとか、東口と西口で全然空気が違うとか、そういう特殊性って、外から来た人間じゃないと気づけないですもんね。
伝ぺー 兄弟で見てきた景色が一緒だからできたネタなのかもしれません。
マサヨシ ふたりが感じることが一緒だからこそ、おもしろみが増えるというか。
今いくよ・くるよ師匠が教えてくれたもの
──おふたりは8月に福岡で『弟子de兄弟』と題した単独ライブを開催されますね。
伝ぺー 僕ら、単独ライブは毎年年末にやっていたんですけど、今年は今くるよ師匠が亡くなったこともあって、ひとつの区切りというつもりで今年は夏にもやることにしたんです。
マサヨシ 東京にいたころも同じ『弟子de兄弟』というタイトルで単独ライブをしたことがあったんですよ。弟子出身の芸人がほとんどいない時代だからこそ、今再びこのタイトルで僕らがいくよ・くるよ師匠の弟子で、なおかつ兄弟であることをたくさんの方に知ってもらえたらと。
伝ぺー おふたりが天国に行かれても、僕らにとってはずっと師匠なので。一生師匠は超えられないけど、超えたいという気持ちを単独ライブの漫才にぶつけたいです。
──今いくよ・くるよさんはどんな師匠でしたか?
マサヨシ 最初に「私ら、芸事は言わん」と宣言されて、芸のことは本当に何もおっしゃらない師匠だったんです。ただ、芸人としての生き方や考え方を教えるからと。だから、日常のふとした言葉のほうがすごく残っていますね。たとえば、「ご飯食べてるか」という言葉とか。漫才はパワーを使うから、「ご飯をしっかり食べなさい」と。僕が弟子入りしたとき、「あんたはまだ16歳や。そやから、私らのことを師匠であり母と思いなさい」と言われたんです。その言葉と、「ご飯食べてるか」を思い出すと、今でもお母さんのようにずっと優しく見守ってくれてるんだろうなと思えます。
伝ぺー 東京時代、『マンスリーよしもと』のおしゃれランキングで選ばれて表紙になったことがあったんですよ。その号をいくよ師匠にお渡ししたら「くるよちゃんの分ももう1冊持ってきて」と言われて、それがすごくうれしかった。同時に、おふたりは常にお互いのことを考えているんだな、コンビはふたりでひとつなんだなと思いました。
26年経って福岡につながる道
──おふたりも、まさに「ふたりでひとつ」で、兄弟で26年やってこられたんですね。
マサヨシ そうですね。弟子って、1年経ったら年季明けなんです。16歳で弟子入りして、17歳になってコンビを組もうと思ったら、まわりのお弟子さんはみんな30歳くらいなんですよ。それで兄ちゃんに電話したら、ふたつ返事で大阪に来てくれた。そこから26年ですから。
伝ぺー 僕は当時21歳だったんですけど、すぐデビューできてワーキャー言われると思って行きました。
マサヨシ そしたら楽屋の作法やらなんやら、すごい厳しい世界で。
伝ぺー 弟子修行が始まって。しかも弟子としては弟のほうが先輩だから、すごい偉ぶってくるんですよ。なによりそれがつらい修行時代でした(笑)。
──そもそも16歳で大阪まで弟子入り志願に行くのも、大宮や福岡に求められるままに行くのも、すごいことだと思います。マサヨシさんのフットワークの軽さと、伝ペーさんのミーハー心で、どんどん活動の場を変えてこられたんですね。
マサヨシ 福岡に骨を埋めます、なんて言っていますけど、また違うところから誘われて、行ってみたいと思ったらチャレンジするかもしれない。そのチャレンジ精神をなくしちゃったら僕じゃないし、芸人である以上、戦いながら漫才を続けられる場所を常に探し続けたいと思います。もちろん今のところは、福岡に残るつもりですよ。伴侶も見つけなきゃいけないし。
伝ぺー 聞いてないって(笑)。
マサヨシ 福岡に行ってしばらく経ってから大吉さんと飲ませていただいたとき、「なんで僕らだったんですか?」と聞いたんですよ。そしたら「実は華丸・大吉が福岡のネタ番組で初めて漫才をやったとき、審査員がいくよ・くるよ師匠だったんだよ」と。そのとき、今までの全部がつながってるんだなと驚いて。いくよ・くるよの弟子でよかった、福岡に来てよかったと思いました。
『サカイスト単独ライブ「弟子de兄弟」』
2024年8月25日(日)19:45開場/20:00開演
会場チケット詳細はこちら
【発売中】『大宮セブン10周年記念「埼狂のはじまり」』
発売日:2024年7月7日(日)
価格:2,500円+税
仕様:B5判/80ページ
販売:QJストア、全国のよしもと劇場、テレ玉家
発行:太田出版
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