人間は競争から逃れられないのか──京大卒小説家・佐川恭一が語る「就活」と「闘争」

2024.4.15

綺麗事と本質は逆転することがある

何度も改稿が重ねられた『就職活動20XX』の初稿ゲラ

──今作は佐川さんにとっても久々の長編となりました。執筆にあたって新しく挑戦したことはありますか?

佐川 商業作品として純粋に長編のエンタテインメントを書いたっていうのは、たぶん初めての経験じゃないですかね。去年の『ゼッタイ!芥川賞受賞宣言〜新感覚文豪ゲームブック〜』(中央公論新社)はパラレルワールドをいくつも走らせたエンタメ長編、と見ることもできますが、あくまでもゲームブック形式ですし、2年前に出した『シン・サークルクラッシャー麻紀』(破滅派)という長編は個人的には純文学と捉えているので、今回は挑戦だらけというか、本当に全部が挑戦でした。

「デスゲーム」とか「20XX年」とか言いながらも、現実の就活とまったくリンクしないことばかり書いても仕方ないと思っていたので、今の就活について担当さんに協力してもらいながら調べつつ、就活という現象の核を失わないようにしながらそれを極端化させていったつもりです。

──執筆過程もかなりハードでしたよね。

佐川 書き進め方としては章ごとに仕上げて担当さんに渡して、オッケーをもらってまた続きを書いていく、という方法だったんですけど、締め切りが毎回けっこうタイトで(笑)。何度もうしろにずらしてもらいながらギリギリ仕上げたという感じでした。かなり迷惑をかけてしまい申し訳なかったのですが、最後の最後までこだわり抜いて書ききることができたので、粘り強く付き合ってくださった担当さんには本当に感謝しています。

──大学ごとのカラーが出たキャラクターはどうやって作り上げていったのでしょうか。

佐川 大学に関しては京大やら同志社やら立命館やら、関西の大学の知り合いはそこそこいるのでなんとなくカラーもつかめていたんですが、関東の大学のイメージが薄かったので、そこは明治大学出身の担当さんにかなり助けてもらいました。まあどんな大学にも当然多種多様な人がいるわけですが、どうしても大学ごとのイメージってかなり固定されてると思ってまして。それをあえて外して意外性を出したところでおもしろさにはつながらないなと考えて、僕の持っているステレオタイプなイメージをわりとそのまま当てはめていきました。

でもやっぱり関西と関東では見え方が違う点があって、僕が「A大学」と設定していたところを担当さんに「こういうことをしそうなのはA大学というよりはB大学だと思います」みたいな意見をもらって変更した部分もありました。偏見と偏見のぶつかり合いですね。というわけで、「うちの大学の学生はこんなんじゃない!」というご意見は、まず太田出版編集部のほうにお寄せください(笑)。

──偏見と偏見のぶつかり合い(笑)。中でもとくに思い入れが強いキャラクターはいますか?

佐川 思い入れが強いキャラクターといわれると難しいですね。メインキャラはだいたい気に入ってますし……そういえば、すぐに退場してしまう役回りなんですが、広島大学の男が腹を切って自○配信をしてSNSフォロワーを増やそうとするところなんかは、『仁義なき戦い』で主人公の菅原文太と兄弟の契りを結ぶ梅宮辰夫をモデルにしてまして(刑務所から出るためにわざと自○するフリをするシーンがある)、そいつは端役ですけど結構気に入ってますね。ぜひみなさんにもお気に入りのキャラを見つけてほしいです。

──個人的には、論破でおなじみの著名人をモデル(?)にした西村というキャラは画期的でした。特に就活ではバカにされがちな「建前」の重要性を解く貴重な場面も描かれていますが、こうした「建前」について普段から思うところはあったのでしょうか?

佐川 あれは一応名前を「東野」にしてたんですが、担当さんに「西村のほうがわかりやすい」と指摘されて西村にしたんですよね。したがって、苦情がある場合はまず太田出版編集部に……(笑)。冗談はさておき、西村のそのシーンは「本質」と「綺麗事」について語るところですよね。綺麗事を並べ立てて悪い本質を隠すことが馬鹿にされがちだけど、それを続けることによって綺麗事と本質が逆転することがあるんじゃないかっていう。これについては普段からというほどではないですけど、なんとなく考えていたことではあります。

やっぱり人間にしても組織にしてもそうですけど、必ず善と悪が入り混じった状態で存在してますよね。それはさまざまなレベルにおいてですが、とにかく完全な善や完全な悪というものはない。で、基本的にはみんな善の部分、その時代や状況において善とされる部分を前面に押し出していく。それは打算からかもしれないけど、そうすることによって周りからの扱いも変わっていくわけで、そのフィードバックを受けてさらに善が強化されていくっていう現象が起きて、ついには本質が裏返ってしまう、みたいなケースもあり得るのかもしれないなと。そういうことが個人レベルでも組織レベルでもポツポツ起きていくことで、世界が少しずつ良い方向に変わっていく可能性もあるんじゃないかという……うまく言えませんけど、このシーンで西村を通じて触れたのはそういうことですね。

──西村の語りにはかなり説得力がありましたね。

佐川 「本音」とか「本質」とか普通にいいますけど、それってそんなにしっかりしたものじゃないのでは?という疑問があって、実はすごく揺らぎやすいんじゃないかという気がするんです。たとえばどこかの居酒屋で「今日は飲みまくって本音でしゃべろうぜ」ってなると、なんか本音感のあることを言わないとってなって、思ってもない悪口が出てくることってありません?(笑) だからなんか、それほどしっかりした本音とか本質って存在しないんじゃないかっていうのは思いますね、ほんとに。

──なるほど。ちなみにSNSの感想では、「グループディスカッション」の章に出てくるAKB48論も話題になっています。佐川さんご自身もAKB48がお好きなのでしょうか。

佐川 僕自身はAKB48にハマってはいなかったんです。でもやっぱり初期の総選挙のころの勢いって社会現象に近くて、飲み会でもその話で盛り上がったりしてましたし、普通にテレビで楽しく観ていました。確実に一時代を築いたアイドルですよね。なによりそのころ、『前田敦子はキリストを超えた』(筑摩書房)の濱野智史さんをはじめとして、たくさんのインテリの人たちがAKBにハマって、いろんな本を出したり座談会みたいなことをしたりしてたんです。本当に本家より周囲を見てるほうがおもしろいんじゃないかと思うぐらいで。みんなけっこう社会学とか宗教学とか哲学とかを組み合わせて語ったりしてて、無駄に読み応えがあったりしたんですよ。内容はまじめに読んだらめちゃくちゃだったと思いますけど、熱量そのものが楽しかった。

──そういうムーブメントを比較的離れた位置で眺めていたんですね。

佐川 そうですね。僕はそういう人たちへの憧れもあって、自分も何かにハマって「推し」みたいなものを作れたら毎日幸せなのかも、とか思ったりもして。宮台真司さんなんかはAKB48自体には否定的だったと思いますが、推しを作る生き方を幸福なモデルとして推奨していましたね。仕事で本当に自己実現できるようなのは少数のエリートだけだからって。

でもまあAKBを例とすると、個人的にはどうしても若い女性アイドルを応援している自分、というのを客観視してしまってキツくなるところがある。AKBにはそのあたりのキツさを自然に取り払う完璧なシステムが構築されている、だからまったく恥ずかしくない、みたいな謎理論もどこかで読んだ気がしますけど、全然そんなことないやろって思ってました(笑)。

なんというか、本気でハマれてる人はいいんですよ。はたから見てても突き抜けてて気持ちいいし、キツさを超越してるというか。でも僕みたいな半端者が、ちょっと恥ずかしがりながらライブ観に行ってノリきれてないみたいなのが一番キツい。美しくないんですよ。

──アイドル以外だと、佐川さんにも「推し」はいたんですか?

佐川 やっぱりどうしても我慢できずに見に行ったものといえば、大江健三郎さんぐらいですね。8年前に立命館大学で加藤周一文庫開設の記念講演会があって、そこに大江さんが来るっていうので、そのときはもう本当にワクワクして行きました。講演自体は文学より政治の話が多くて自分の求めてる話ではなかったんですが、別に目の前に大江がいるんだから話す内容なんて何でもいいっていう(笑)。ああいう気持ちになれる対象をまた探すっていうのは相当難しい気がしちゃいますね。そんなこと言ってて、来年には頭のネジが外れて地下アイドルにウン百万ぶっ込んでる可能性もありますけど、その時は温かく見守ってください。それも小説にしますので(笑)。

電話で内定辞退を伝えたら……

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