ファンタジー世界が舞台なのに、社会問題がリアルすぎる
『伝説のお母さん』の舞台は、(またまた)ドラクエを彷彿とさせるファンタジー世界。かつて勇者たちに封印された魔王が復活したことで、勇者パーティーに再び招集がかかるも、メンバーのひとりである魔法使い・メイ(前田敦子)は、待機児童を抱えているため冒険に出られない、という場面から物語が始まる。
世界を救った魔法使いが、今はワンオペ育児に追われていて、「保育所が空いてないんですよ!」と叫ぶ。ファンタジー世界においては違和感しかないセリフだ。加えて、ゆるい会話の応酬、正直、NHK版『勇者ヨシヒコ』だと思った。
しかし、じっくり観ていると、このドラマが『勇者ヨシヒコ』とは根本的に違うことが分かってきた。なぜなら、舞台設定こそファンタジー世界となっているが、このドラマで描かれているのは、「ワンオペ育児」「待機児童」といった日本の子育てにまつわる社会問題だ。世界を救ったあと子育てに奮闘するメイは、さしづめ「出産を機に仕事を退職したキャリアウーマン」だろうか。そんな彼女が子育てと並行しながら仕事に復帰するには、さまざまな困難がつきまとう。
直接的に描くと少し重い話題も、ファンタジーなら共感しやすい
ただ、この作品のメインテーマである子育て問題は、僕にとって当事者意識を持って考えられる問題ではない。結局のところ、僕が『伝説のお母さん』に惹かれているのは、世界観をうまく活かして遊んでいる、シーンやセリフなのだと思う。
『伝説のお母さん』は、現実世界とファンタジーが絶妙に混ざり合った世界観。それゆえ、現実世界でよくある描写をファンタジーの世界でやる、みたいなシーンが盛りだくさんだ。そもそも序盤から、魔王の復活が「ねえねえ、ニュース見たけどさ、魔王復活して大変みたいだな」と夫婦の雑談のように話されるのだ。世界を救った勇者パーティー再結成の式が、完全に学生時代の同窓会だったり、勇者マサムネが商社とのWワークで空き時間にPCで仕事をしていたりといった描写の一つひとつにクスクスしてしまう。
極めつけは、世界観の混ざりが見えるセリフの数々。個人的に一番好きなのは、保育園のお迎えをすっぽかしてしまったマサムネが妻と喧嘩するシーン。
「今日さ、あんたが保育園迎えに行く番でしょ! 言ったよね? 17時には一時帰宅して、この子迎えに行くって! もうびっくりしたよ。夕方、急に保育士の先生から電話かかってきて、『まだお父さん迎えに来てません』って。魔王討伐はいいよ。それは立派だし、必要だよ。でもさ、保育園は迎えにいこうよ」(マサムネの妻)
狼狽えながらも、マサムネは「いや俺さ……あの……死んでたんだよ」と絞り出す。実際、この日マサムネは戦闘で命を落とし、復活魔法で生き返ったわけで。じゃあしょうがないかあ、となるのかはよく分からないが、「死んでた」が比喩じゃなくてガチな場合があるんだなと、笑った。
舞台設定とテーマの塩梅がうまいのだ。舞台がファンタジー世界の場合(一応地図上では日本っぽいが)、リアリティある描写とは何を意味するのか定義しにくいが、このテーマを丁寧に描くのに「ファンタジー×子育て」を選んだのは成功だったと思う。子育てを巡る問題は、直接的に描くには少し重い。このドラマにおいては、架空の世界の話なのに、どこか共感してしまうような、これは自分たちの世界の話なんだと思わされてしまうシーンが時折、訪れる。ファンタジーの話だからこそ、ある種、客観的に問題について考えることができるのかもしれない。