「強がり」と「弱さ」が実はつながっている――ドラマ『心の傷を癒すということ』から考える

2020.2.10
医師

文=西森路代 編集=鈴木 梢


自然災害は、日本だけで考えても珍しくないものになってしまった。だからといってもちろん日常ではなく、人の心に深い傷を残す。今でこそ、“心のケア”が重視される時代となっているが、たとえば阪神・淡路大震災の頃はどうだっただろうか。

NHKの土曜ドラマ『心の傷を癒すということ』では、阪神・淡路大震災時に被災者たちの“心のケア”に奮闘しつづけた精神科医の姿を描く。ライター西森路代の連載「ドラマの奥底」では、同ドラマの内容から、心に傷を負いながら「強がる」人の根底にあるものを考える。

「心が疲れたときにはケアが必要」と周知されていなかった頃

NHKの土曜ドラマの枠で放送されている『心の傷を癒すということ』は、阪神・淡路大震災時、被災者の心のケアに奔走したひとりの精神科医、安和隆(柄本佑)の半生を描く作品である。

第1話は、幼少の和隆が母親(キムラ緑子)から自分が在日韓国人であると知らされたところから始まり、高校時代に共に医学部を目指す親友(濱田岳)との友情、そして妻(尾野真千子)との出会いなどを描く。

ドラマの色彩はどこか抑えられていて、演出や脚本も落ち着いたトーンが感じられる。このドラマを観たことで、「心が癒されない」という状態にはなってほしくないという意図があるのではないかと感じる。「実際の安和隆さんも穏やかな小さい声で、でも伝わる話し方をしていた」と、このドラマの会見時に柄本が語っていた。実際、演じるときにも話し方を意識したという。安さんも、人をいかに傷つけないかを考えてそのトーンで話していたのではないかとも思えてくる。

そんなトーンは、第1話の終わり、1995年1月17日の未明、つまり阪神・淡路大震災が起こる直前を描いた場面でも感じられる。

そのシーンの直前、和隆は夜の街でふと振り返り、視聴者である我々を見ているのか、もっと遠くを見ているのかわからない表情でカメラのほうに振り向く(このシーンに少し『殺人の追憶』のソン・ガンホがよぎった)。そして、和隆と妻、生まれたふたりの娘とともに自宅で眠っている1995年1月17日の早朝のシーンが挟み込まれたかと思うと、画面は暗転して、次の瞬間には、被災者たちが避難所や病院にいる予告編につづく。 こうした直接的ではない場面転換だけで、震災の記憶を見ているものに呼び起させるのだ(見ていないものには、その状況をわからせる)。

第2話では、震災が起こったあとの神戸を描く。いろいろな悲しみを抱いた人たちが登場し、また和隆はある新聞社から、「精神科医としてこの現状を執筆してほしい」という原稿依頼を受ける。この状況を見ていると、今でこそ、心が疲れたときにケアが必要ということは周知されるようになったが、その当時はまだまだ知られていなかったことを実感する。 また、震災後の避難所で、イラついた人が自分の権利を主張したり、酒の空き瓶が見られる現実なども描かれる。

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西森路代

(にしもり・みちよ)1972年、愛媛県生まれ。ライター。大学卒業後、地元テレビ局に勤務の後、30歳で上京。派遣社員、編集プロダクション勤務、ラジオディレクターを経てフリーランスに。香港、台湾、韓国と日本のエンターテイメントについて、女性の消費活動について主に執筆している。

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